この本は、強制収容所から脱出した方の手記です。姜哲煥氏は、在日二世でもあるため、帰国した在日同胞がどういう目にあったかも多く書かれています。この強制収容所の実態を知らずに、北朝鮮は語れないでしょう。
在日帰国者が、ある日突然家族ごと消された、「帰国者狩り」と言われる部分を引用します。
『北朝鮮脱出〈上〉地獄の政治犯収容所 (文春文庫)』 P15-32
祖父は、政治的な問題を起こすような人ではなかった。誰かにおとし入れられるようなことさえなければ……。祖父は幼い頃日本に渡り、財を成した。資産家として羽振りをきかせ、朝鮮総聯(在日本朝鮮人総聯合会)傘下の京都商工会長を長いあいだつとめていた。
『北朝鮮脱出〈上〉地獄の政治犯収容所 (文春文庫)』 P15-32
祖母は十三歳のとき日本に渡り、二十歳で日本共産党に入党。民族解放のために戦い、朝鮮総聯京都支部の女性同盟委員長として活躍した。
帰国事業(北送事業)が始まると、祖母はみずから率先して祖父を説得した。そして親戚たちが頑強に引きとめるのをふりきり、その多くの財産をすべて整理して新潟から帰国船に乗り、北朝鮮に来たのだった。それは一九六一年のことだった。
(中略)
日本で出版されている朝鮮画報誌に、私たち家族全員が乙蜜台(ウルミルデ)を背景に写した写真と、家族の一人ひとりの紹介記事が掲載されたこともあった。北送家庭が、北朝鮮でどれくらい豊かに暮らしているかを宣伝するためであった。
(中略)
私が息をきらして玄関の前に着くと、子供たちが両脇に分かれて道をあけてくれた。その中で、私より年上の友だちが私を見るなり、「気の毒に…」という表情をした。
(中略)
家の中はめちゃくちゃになっていた。金魚鉢はこなごなになり、金魚が床の上をぴちぴちと跳ねており、他の家財道具も倒れて散乱し、足の踏み場もなかった。
家の中には険悪な顔をした七人の侵入者たちがいた。
彼らは軍靴のまま家中をくまなく探し、ひっかきまわした。ときおりこみあげて出る祖母の泣き声の他には、ただ家財道具をひっかきまわす音だけが響いた。父は気がふれたような様子で奥の間の壁にもたれかかり、首をうしろにのけぞらせて天井を見つめていた。
八歳になる妹の美湖(ミホ)は、泣いている祖母の襟をつかんでおびえていたが、私を見るとぱっとかけてきた。美湖は私の脇にぺったりとくっついて、大きな瞳をくるくるさせた。
「どうしたの? あの人たちは誰なの?」
私は祖母に近寄り、袖をつかんでゆすぶりながら尋ねた。
「うん、哲煥。うちはこれから引越すことになったんだ」
祖母は、頬に流れる涙をふきながら私の顔をなでた。そのとき、侵入者の一人が祖母の前に近寄った。
(中略)
彼は怒鳴りながら、美湖の小さい胸元を足で蹴った。床に倒れた美湖を抱きしめ、祖母はむせび泣いた。幼いながらに私はこぶしをぐっと握りしめたが、どうすることもできなかった。
彼らはカメラだけでなく、金目のものはすべて自分たちのポケットに突っ込んだ。
わが家で一番金目のものは何といっても純金の酒杯と台、そして金時計だった。酒杯は四個が一セットとなっており、精巧に細工されていて、「朝鮮総聯創立記念」特別功労者への贈り物であるという文句が彫りつけられていた。時計はスイス製オメガの金時計で、祖父が日本にいるときから代を継ぐ家宝として保管しておいたものだった。祖父はことあるごとにこれらを取り出し、手入れをしながら、直系の孫である私にそれを見せた。
侵入者は押収品を登録しながら、裕福なわが家に対する妬みと憎悪心をかきたて、それらを一つ一つ取り出すごとに「反動!」「異質ブルジョア!」「スパイ野郎!」と叫んだり、投げつけたりした。
(中略)
私は母のスカートのすそをぎゅっとつかんで外に出た。
玄関の前にはソ連製のトラック二台が、エンジンをかけて待機していた。まだ夜明け前の通りは人影がなく、暗さと静寂につつまれていた。
「オマニ(奥さん)! そこから見てはいかん。戸をしめろ」
一階に住むおばあさんは私たちのことが気になり、一睡もできなかった様子だった。私たちが外に出ると、彼女も戸を開けて出てこようとして保衛員の制止を受けた。
「挨拶だけだから、ちょっと会わせてくださいよ」
「オマニ、だめと言ったらだめだ」
おばあさんは目頭を濡らしながら家に戻った。その光景を見て祖母はまた涙を流した。
家族が車に乗ろうとしていると、全在根課長がことさらやわらかい表情を作りながら、母を呼んで立ち止まった。
「若い奥さんは車に乗らずに、しばらくお待ちなさい」
「どうしてですか?」
父がいぶかしげな表情で訊いた。祖母と母も全在根課長を心配そうに見つめた。
「若い奥さんは他の荷物をまとめてから行くことになったので、そう承知しなさい」
「何の荷物を?……それでは私は、荷物を別にまとめなければならないのですか?」
「そうです! これはすべて党(朝鮮労働党)の配慮だから、そのように理解してください」
全在根課長が語尾をにごして答えた。
すると父が申し出た。
「荷物をまとめるのであれば、私が残ります」
「うるさい! なぜあれこれ口出しするんだ。言うとおりにしろと言うのだ」
全在根は激怒して父をどやしつけた。
「それでは、うちの哲煥と美湖は……」
「心配ご無用です。すぐにあとを追うんですから」
祖母、父、美湖、私の家族四人は保衛員たちに背中をつつかれながら、トラックに乗せられた。
(中略)
トラックはいくらも走らないうちに、キイッと音をたてて止まった。そこにやつれた身なりのおばあさんが、保衛員らしき男たちと一緒に立っていた。そのうちの一人が、運転席に乗っている保衛員にひとことふたこと言葉をかけたと思うと、やがてそのおばあさんは私たちのトラックに乗せられた。どうやら直情的な性格の人であるらしく、トラックに乗るやいなや、大声で怒鳴り始めた。
「私に何の罪があるって言うんだい? 罪もない年寄りをどうしようというのか、あん!」
少し時間が経つと、おばあさんも少し落ち着いた様子だった。名前は金照伊、やはり帰国者であるという。祖母がおばあさんに話しかけた。
「日本のどこに住んでらっしゃったのですか?」
「京都です」
「まあ、私も京都に住んでいたんです……それで、ご主人のお名前は?」
「李明秀と言います」
「もしかして、京都総聯本部で働かれていた方では?」
「ええ、そうですが……」「うちの主人は、メッキ事業をしていた姜泰休という者です」
「ああ、商工会の会長をしていらっしゃった姜泰休さんですね。それがどうしてこんな……」
「私たちにも何がなんだか、今もってさっぱりわからないんです」 そうこうしているうちに、外がうっすらと明るくなった。
(中略)
「ここはどこなんですか?」
祖母が横にいた保衛員に尋ねた。
「これは越王嶺という峠だよ」
「あと、どのくらい行かなけりゃいけないんですか?」
「もうすぐだよ。食事して山をおりた頃には到着するから」
越王嶺という名は、王が越えた峠という意味でつけられたという。あとで知ったことだが、収容所の人びとはこの越王嶺を「死の峠」と呼んだ。一度越えたら二度と生きて越えることのできない峠という意味であった。
(中略)
私たちを乗せたトラックは一つ目の哨所から三十分くらい走り、ある集落の前で止まった。そこはすでに収容所内であった。私たちは百八十キロあまりの道を、えんえん十時間かけてやって来たのだ。トラックのうしろの垂れ幕がたくし上げられた。
「着いたぞ、おりろ!」
一緒に乗って来た保衛部の責任者が私たちに指示した。そこには四、五人の人が私たちを待っていた。
「おい、どこを見ている? 早く荷物でもおろせ’!」
そのうちの監督らしい人が、こん棒をふりまわしながら怒鳴った。すると、横に立っていた四、五人がざわざわと動き始めた。彼らのいでたちを見た私たちはびっくりした。この暑苦しい夏の日に、冬服のようなぶ厚い服をまとっていた。その上、その服は一様にボロに近いしろものだった。骨と皮ばかりの顔には、色を失った大きな瞳が無表情にはめこまれていた。今にも倒れそうな重病人のように見えた。
「荷物をおろせと言ってるのがわからないのか」
監督の保衛員が、一人の腰をこん棒で容赦なく殴りつけた。
「おうっ!」
その男は地面に倒れ込んだ。
「大げさに痛がりやがって! 早く立ちあがれ」
保衛員は、こんどは軍靴で蹴りつけた。情も容赦もなかった。倒れ込んだ人はよろよろと立ちあがると、再び隊列に加わり、荷物を運び始めた。私は思わずぶるぶると震えた。そのとき誰かが近づいて来て、
「母さん!」
と呼ぶではないか。姜昌南叔父(末の叔父)であった。
「まあ、おまえがどうしてここに?」
祖母は叔父の手を握ったまま二の句がつげなかった。父も末の叔父を見ると、ぼうぜんとして立ちつくした。
「私は昨日来ました。そのことはあとで話すことにして……、さあ、ひとまず家に行きましょう」
(中略)
「そうだ、おまえはどうして来ることになったんだ?」
父が叔父に訊いた。
「何の理由も知らされずに、引っぱってこられたんですよ。行きさえすればわかるから、おとなしくついてこいと保衛員に言われて」
昌南叔父は私たちと同じ敬臨洞のアパートに住み、平壌理科大学に通っていたが、昨年大学を卒業し、すぐに三大革命小組員として選出された。そして働いていた剣徳鉱山で突然、このような災いに出会ったのである。
父は叔父に、私たち一家が平壌から引っぱってこられた経緯を説明した。叔父は黙ってうなずいていた。途中、祖母は口をはさみ、
「すべてが私のせいだ。私が帰国などという間違った考えを起こしたせいで、おまえたちにとんでもない苦労をかけることになったんだ」
と言いながらむせび泣いた。
しばらくして祖母と父は、保衛員の指示どおりに談話室に行った。一時間ほどして、二人は家に戻って来た。祖母の顔は死人のような色になっており、父の表情もこれ以上ないほど暗かった。
祖母は部屋に入ってくるや、大声をあげて泣き始めた。
「母さん、泣かないでください。他の人びともみんな暮らしているのに、私たちが暮らしていけないわけがありますか?」
父が祖母をなぐさめた。
「みんな私のせいだ。おまえたちをこんな目にあわせたのは、みな私の考えが間違っていたせいだ」
「おばあさん、泣かないで」
すがり寄る私たちを祖母はぎゅっと抱きしめながら慟哭し、家の中は泣き声につつまれた。しばらくして、やっと気をとりなおした叔父が、談話室で何と言われたのか、その内容を祖母と父に尋ねた。
「保衛員の話では、お祖でさんが、党と祖国にぬぐい去ることのできない過ちを犯し、その罪は、百遍死んで当然だと言うんだ。そこで何の罪かと訊いても説明は何もなく、ただ死ぬほどの罪だとだけ言って……」
父は憤りのあまり、それ以上言葉を続けられなかった。すると祖母が、
「だからおまえたちも一緒に処罰されなければならないが、党の配慮により、寛大に許されてここに来ることになったのだから、一所けんめい働けと言うんだ。私たちはもう死ぬまで、ここで暮らしていかなければならないんだよ」
と言いながら、再び「私のせい」をくりかえし、涙を流した。
これが地上の楽園という嘘を信じて北朝鮮に渡った、在日同胞9万3千人の末路です。
ぜひこの本を手に取って読んでみてください。