12月23日(月)「派兵された北朝鮮兵士の投降加速化…俺たちは騙されていた!」
ロシアに派兵された北朝鮮兵士は、逃げれば後ろから撃たれ、先方隊として平原に追いやられてはドローンの標的になり、ロシア兵の命を守るための捨て駒でしかない。ここへきて北朝鮮兵士たちもその現実を感知し、チャンスさえあれば逃げたがっているはずだ。ただ、これまではウクライナ政府が捕虜となった北朝鮮兵士を捕虜交換でロシアに送り返す方針だったため、なかなか脱走に踏み切れなかった。しかし今では韓国の国家情報院が現地入りし、北朝鮮兵士の心理に訴えるビラを大量に撒いている。ウクライナ政府スポークスマンは北朝鮮軍捕虜が何人いるかという質問に答えなかったが、来年には大量の北朝鮮兵士が捕虜となるだろうと予測した。現在、韓国政治は混迷状態にあるが、仮により安定した状況にあれば、大量の北朝鮮兵士を韓国に連れてきて大々的に記者会見など開き、北朝鮮政府に大打撃を与えることができるのに、と思うと残念である。
12月24日(火)「軍幹部を次々に逮捕?!…李在明は逮捕しないのか、できないのか」
李在明(イ・ジェミョン)と野党「共に民主党」は現政権を、政敵に罪を着せて弾圧する「検察独裁」だとして批判しているが、戒厳令の後、警察、検察、公職者捜査庁が多くの軍幹部を内乱の罪で次々と逮捕していっているのに、これに対してはコメントがない。命令が下ればそれに無条件で従うのが軍人であり、軍人が命令に従ったことで罪になりはしない。戦うべき時に命令に従わず、戦闘を拒否するような軍隊では国を守ることができないではないか。さらに、北朝鮮でもあるまいし、裁判もなしに軍人を即時、逮捕、拘禁するなど異常である。共犯関係の会社社長と副知事を使って北朝鮮に巨額のドルを送らせ、国連制裁違反を犯した李在明こそ、利敵行為、国家反逆罪で一日も早く逮捕すべきである。今回、副知事の7年懲役刑が確定し、李在明が共犯であることも確認された。検察が逮捕すべきは大統領の命令に従った軍人ではなく李在明であるのに、彼を逮捕すらできない検察は独裁どころか腰抜けである。
12月25日(水)「金正恩側近4人の警備強化…蒼光分駐所長の変死体事件が物語るもの」
平壌中心部の中央党幹部が多く暮らす蒼光(チャングァン)という町に置かれた分駐所は、党幹部の政治的・経済的な不正を一手に管理する絶対権力を持つ、金一族に最も近い部署である。90年代300万人が餓死した時、その責任を取らされた農業担当秘書や貨幣改革の失敗の責任を取らされた労働党財政企画部長は、両方ともアメリカのスパイという罪で処刑されたが、彼らに罪を着せたのが蒼光分駐所である。その分駐所長が、金正恩政権になって間もない頃、大同江(テドンガン)で変死体で見つかった。その暗殺主体が誰なのかは未だに不明であるが、分駐所長が死亡したのは、ある党幹部の息子が大量の麻薬を動かしており、武器まで手に入れようとしていた事件を調査している最中であった。幹部の息子はしらを切り、死因なども闇に葬られてしまったが、この事件から、北朝鮮の中央幹部の間でも権力争いがあり、互いに牽制し合っていることがわかる。最近、党中央委員の常務委員である金徳訓(キム・ドクフン)、李炳哲(リ・ビョンチョル)、趙甬元(チョ・ヨンウォン)、崔龍海(チェ・リョンヘ)の4人に金正恩並みに974部隊の警護を付けた。このような措置を取ったこと自体、平壌の中枢にもどんな反政府勢力が潜んでいるかわからないことを物語っている。
12月26日(木)「北朝鮮軍の戦果、誤認射撃、そして戦死者…北朝鮮兵専用墓地が登場」
ロシアの非公式メディアが、12月6日にクルスク地域のプレフボという村を北朝鮮軍が占領し、ウクライナ軍300人を射殺して撤収したと伝えた。11月24日に北朝鮮軍の駐屯地がストーム・シャドウに攻撃され500人が死亡したが、今回のプレフボ村襲撃はその報復だと考えられる。また、チェチェン軍所属の特殊部隊を北朝鮮軍が誤認射撃し、8人が死亡したというニュースも伝わっているが、北朝鮮軍の誤認射撃による犠牲者は200人に上るという情報もある。いずれにせよ北朝鮮軍のウクライナ戦介入は事実だと思われるが、これに伴う北朝鮮側の被害はその戦果を上回るのではないだろうか。北朝鮮側の死傷者が何人になるのかについては正式な情報がないが、ロシア領内に北朝鮮人戦死者用の墓地を造成するという話があることからして、大量の死傷者が既に発生しているのだろう。今年中に5000人の死者が出るとも推定されているが、そうなると後続部隊が追加投入されることが予定されていると思われ、今後の推移が注目される。
12月27日(金)「韓国兵士12人を殺害して北に渡った韓国軍兵士の悲惨な末路」
1984年6月26日、韓国陸軍のチョ・ジュンという兵士が、同僚がいる幕舎に手榴弾を投げ込み、小銃を乱射して12人を死亡させた後、越北した事件があった。北朝鮮では彼を英雄と称え、高級マンションや美人の妻を与えるなどの好待遇を施し、2000年頃までテレビにも出ていた。しかし彼の場合、犯した罪が重大なだけに、生涯を厳しい監視の中で暮らさざるを得ず、老いては家族もろとも政治犯収容所に送られ、悲惨な最期を迎えたという。今でこそ北朝鮮で暮らしたいなどと考える韓国人はいないが、以前は「地上の楽園」という宣伝を信じて北に渡った人々もいた。長期収監された非転向政治犯が北に引き渡されたことがあったが、彼らも結局は厳しい監視の対象であり、政治犯収容所に送られて亡くなった人も多いに違いない。
12月28日(土)「金正恩が成川でひんしゅく発言…北朝鮮住民から非難ごうごう」
金正恩が平安道成川(ソンチョン)郡に新たに作った食品工場を訪れた際、「昌城(チャンソン)が住みやすくなったという歌まで作ったというが、地方の人民の生活に何か良いことがあったのか」と述べたと、朝鮮中央放送の李春姫(リ・チュニ)アナウンサーが伝え、北朝鮮の人々を驚愕させた。祖父である金日成が1962年、平安道昌城郡に社会主義地上楽園を具現化した模範的な農村を造成し、これを全国の見本にしようと歌まで作り、現在まで昌城は豊かな村と語り継がれてきた。もっとも今は全国どの農村も荒廃し、昌城郡にも以前の面影はない。それにしても祖父の功績を真正面から否定するとは、どういうことか。しかも造成当時は国全体が今の何倍も豊かな暮らしをしていたのだ。金正恩は今年、1年に20の工場を10年間作って人民の生活を向上させると息巻いているが、工場だけ作っても原材料や燃料もないのに何の足しになるというのか。もっとも、金正恩が祖父を嫌う理由はわからなくもない。父の金正日は金日成に内緒で高英姫(コ・ヨンヒ)と恋仲になり、3人の子供が生まれたが、金日成に隠すため子供たちをスイスに行かせてしまい、両親や祖父母から愛情を受けて育つ機会を奪われてしまったからだ。
12月29日(日)「名簿に隠されたロシア派兵の秘密…最も弱く無知な階層を狙い撃ち?!」
今回、ウクライナ戦に派兵された北朝鮮軍の兵士名簿が公開され、その構成員の驚愕の実態が明らかになった。まず、派兵には労働党幹部の子弟がいないことは既に本放送でも指摘したが、上級幹部はもちろん初級幹部の子弟さえ1人もいなかった。すべて最下層の労働者、農民であった。また、兵士の年齢が18歳から24歳であり、小隊長以下の若い兵士のみで構成されていた。彼らの親のほとんどが40歳代であるうえ、片親か、両親ともいない若者ばかりだった。さらに、兵士の出生地を見ると、平安南道、黄海南北道などの内陸部がほとんどで、両江道、咸鏡北道など、外部の情報に晒されて育った北部の出身者はいなかった。つまり、権力も財力も親もないため死んでも文句を言わない若者、情報へのアクセスが乏しいため政府の言うことに疑いを持たず従う若者を選んで、ウクライナ戦の最前線に送り込んでいるのだ。ウクライナから送られてくる戦場の様子を見ると、戦っているというより殺されに行っていると言うしかない。ドローンを見てむやみに銃撃したり、おとりとして他の兵士たちから突き出されドローンの餌食になったりしているのだ。人間の尊厳の欠片も認められず、虫けらのように殺されていく兵士たちの姿を見て、金正日に対する激しい怒りがこみ上げる。
「ピョンヤン24時」ダイジェストについて
姜哲煥氏のYouTubeチャンネルにおいて、日々韓国語で語られている最新のトピックスを日本語に要約して紹介する。
姜哲煥氏は、京都に暮らしていた祖父母と父が帰国事業で1963年に北朝鮮に渡り、1968年に平壌で生まれた。9歳の時から10年間、家族とともに悪名高い「耀徳(ヨドク)強制収容所」に収容されたが、奇跡的に釈放され、脱北後1992年に韓国に亡命。10年間の朝鮮日報記者を経て、現在はNGO団体「北朝鮮戦略センター」の代表。韓国、北朝鮮はじめ国内外に様々なレベルの情報源を持ち、信頼度の高い情報をいち早く発信している。「守る会」結成間もない時期に日本に招待し、各地で講演を行っていただくなど、「守る会」との縁が深い。
邦訳著書
『平壌の水槽 北朝鮮地獄の強制収容所』(淵弘訳、ポプラ社)
『北朝鮮脱出』(安赫との共著)上・下(池田菊敏訳、文藝春秋 のち文春文庫)
『さらば、収容所国家北朝鮮』(ザ・マサダ)