かるめぎ NO.21 1998.06.05

 会報『かるめぎ』の過去号を、旧サイトから、順次こちらにアップしていきます。この機会に、過去の『かるめぎ』を通して、守る会の歩みを知っていただければ幸いです。

(旧サイトより転載:http://hrnk.trycomp.net/archive/karu21go.htm)

餓死300万人以上 北朝鮮 金日成・正日父子独裁がもたらした悲劇~韓国仏教本部が発表~

770人の国外脱出者に直接インタビュー  “道端に死体がごろごろまとめで埋葬しました”

衝撃的な資料

 衝撃的な資料が韓国の仏教団体から発表された。北朝鮮餓死者300万人以上という資料である。北朝鮮から中国に脱出した食糧難民770人に直接面接し、その家族4121人の状態をこまかに聞きだしてまとめている。わたしがかねてから知りたかった北朝鮮の飢餓の実態を示すものである。出したところは、「民族助けあい仏教運動本部」。韓国の主な仏教団体30団体が加盟しているという。資料は「北朝鮮食糧難の実態」(北朝鮮食糧難民770人の面談調査結果報告書)と題されている。

 調査期間は、97年9月30日から98年3月26日までの6か月間。調査者9人、補助者23人。その目的は「北朝鮮住民たちが食糧難でなめている苦痛と被害状況を正確に引き出すこと」といっている。

 その結果、過去2年半のあいだに調査対象者4,121人の内27%にあたる1,107人が餓死または餓死と病気の合併で死亡している。ここから類推して北朗鮮住民2.200万人のうち300万人以上が死んだというのである。

餓死者を座視する金正日

 もし事実なら世界的大事件である。にもかかわらず北朝鮮の鎖国政策でその実態がいっさい伝わらない。これ自体おどろくほどの完璧な統制である。また北朝鮮住民のこれほどの苦しみを平然と座視し、記念碑的大建造物とやらのバカでかい塔づくりなどに巨費をつぎこんでいる金正日政権の非人道性もけたはずれである。

 報告書をだしたねらいは、大規模かつ迅速な食糧の無条件支援を国際社会、とりわけ日本に訴えることである。わたしはこれには見解を異にするが、飢餓の事実は重い。4,121人というサンプルの多さもそれだけ客観性がある。これまでどの団体もやっていない、きわめて貴重な内容である。

 報告書はこう述べている。「調査をすすめながら北朝鮮住民のあまりの苦痛に胸がつまり、涙しない日が一日とてなかった。かれらのなめている苦痛はあまりにも過酷である。人間として最悪の条件で父母の臨終をみとり、子供をなくし、人間のなめうるあらゆる苦痛を短期間に体験したかれらに、地獄のような苦痛の瞬間をもう一度思い起こさせることは、かれらの胸に宿る父母兄弟や子供たちをもう一度殺すようなものであった」

 しかし北朝鮮住民の惨状をひろく伝えねばならないという使命感から涙を振りはらって調査をつづけたという。この人たちの努力と真撃さに敬意を表したい。

 報告書は、調査村象者が国外脱出後も北朝鮮の追っ手におびえている様も指摘している。
 「かれらはわれわれと会っている間もつねにあたりをうかがい『だれか捕まえにくるんではないか』とおびえていた。かれらは『調査員もわれわれの追跡者ではないか』と不安におびえている」。そればかりか「われわれ調査員たちもくりかえし見えない身の危険にさらされねばならなかった。調査場所はしばしば変えられ、時によっては何日も調査が中断することもあった」という。

 北朝鮮の秘密警察が、飢餓地獄の実態が外部にもれないように脱北者を徹底的に捜索していることをうかがわせている。中国当局の全面的な庇護があるからできるのだ。金正日政権の非人間的政策の背後には中国がある。

餓死の原因は失政と6割が回答

 以下、紙面の都合で報告書のさわりの部分だけ紹介する。1ページの表1と2は調査対象者の数と死亡率である

第1表 インタビュー対象者の性別
第2表 男女別死亡率

 第2図は年齢別死亡率。60代、70代の死亡率が異常に高い。また9才以下が37%を占め、子供の死亡が老人についでいることがわかる。

第2図 年齢別死亡率
第1図 調査対象者の家族の死亡率 総家族構成員4121人

 4ページの第3表は、死亡者を原因別に調べている。

第3表

 餓死が37%、餓死と病気の合併が10.5%。栄養失調のため病気にたいする抵抗力がない。また「基礎的医薬品がなく簡単に治せる軽い病気によっても多くの人が死んでいる」と報告書はいう。病気のなかでも肺結核とバラチフスがあわせて11%を占めている。伝染病が蔓延しているというのに打つ手がない状態のようだ。

 さらに、こうした食糧危機を招いた原因についての回答が興味深い。自然災害という答えが23.3%でもっとも多い。以下多い順にあげると、国家政策のため(15.4%)軍事費の過大支出(11.9%)、指導層の官僚主義的失敗〈10.7%)、指導者の責任(10.2%)改革解放をしないから(9.4%)、経済改革をしないから(2.9%)、統一ができないから(2.6%)、その他(13.6%)。あわせると60%以上の人が指導層の失政をあげている。

 報告書にはでていないが、統計数字のもとになった聞き取りをわたしは別途入手したので紙面の許す観囲で一二紹介する。これは日本ではじめて公表されるものである。

<咸鏡北道の50代男性> 人間の皮をかぶったオオカミになった

 家族は両組と妻、子供4人。父は96年7月脳出皿で死亡。母は97年10月に、16歳の息子は97年3月に死亡。12歳の娘は97年4月肺結核で死亡。
 配給の中断は94年4月。その後の生活は、家族のあまった衣類を売り、トウモロコシを買い草を入れてかゆにして食べました。その後は家の品物はなんでも、ついにはふとんまで売って食糧に換えました。とうとう家まで売って、小さな家に移り、その差益で商売を始めました。96年7月から一年間に8人家族のうち4人までが病に倒れ、飢えて、病気治療も一度もしてやれずに死なせてしまいまいました。いまではかゆすら食べられず、妻と息子は肺結核を病み骨と皮になりました。これからはお先真っ暗です。      

 人民斑(注 町内のようなもの)、150人ほどのうち50人が死にました。年寄りと子供が先に死ぬ。道端で死ぬ人があまりに多いため死体をまとめて埋葬しました。暑い夏、死体が早く処理できないときは悪臭をはなち、うじがわいて伝染病がひろがりました。死亡者の大半は飢え死に、少数は病気治療ができず死亡。           

 過去三年間をふりかえると涙ばかりです。病の床で呻吟しんぎんしていた両親と二人の子供は治療もうけられないまま病床で飢えと寒さに苦しみながらあの世にいってしまいました。全身を叩いても、ほこりしかでない私に彼らを救うどんな方法があるでしょうか。そのときは涙も乾いてでませんでした。
 朝鮮民族は意志の強い頑強な民族で、とりわけ礼儀ある民族ですが、情けないことに貧乏になると意志も礼儀もどこかに吹っとんで、人間の皮をかぶったオオカミになってしまったようです。

 私は生きるために白昼盗みもしました。ときには物乞いもしました。われわれの生活はいつよくなるのでしょう。道を行く人々の顔には血の気がありません。ぼろぼろの衣服をまとい、杖をついてよろめきながら飢えにたえきれず横になると二度と起き上がれない人がどれほど多いか数え切れません。

<咸興市の30代女性> 餓死する姿見ていられず子供を捨てる

 家朕は夫と両親、子供二人。8歳の息子が97年9月に餓死。人民班の33世帯120人ほどのうち20人内外が病死や餓死。
 1994年に配給が途絶えてからは、中国から漢方藻剤を輸入する商売でなんとかやってきましたが、96年からは一日二食、97年には一日一食も食べられなくなりました。98年はもっと苦しくなりそうです。これからどう生きていけばよいのか見当もつかず、家族を残して夫と二人で国をでました。

 わたしたちは咸興ハムン市肥料工場で働いていましたが、工場が稼動停止になってずいぶんになります。配給と何時に給料もくれなくなったから生きるためには脱出しかありませんでした。子供を捨てて決死の覚悟で中国の親戚の家にきましたが、ここも安全ではありません。わたしたちの安全を守ってください。これまでお話したことが明るみに出れば生きてはいられません。

 咸興市肥料工場はとても大きくて肥料工場だけでも十万人以上が働いていました。死んだ人がとても多いです。どれだけ死んだか数は知りませんが、飢え死に、病死、凍死、自殺など人間の生きる世の中ではありません。
 わたしのいた人民班では老人と子供たちがたくさん死にました。捨でられ生き別れになった家族のすべてが行方不明になりました。

 ある家の母親は6歳の子供をつれて駅前にいって子供に「トイレにいってくるから、」といってそのまま汽車に乗っていってしまいました。その子は母親を探して泣きつづけ、駅前で寝て、病気になって死んでしまいました。

 わたしは一度ピョンヤンに商売でいったとき、ピョンヤン駅で女子大生が赤ん紡を抱いて泣いていました。わけを聞くと、彼女は「清津にいこうと汽車をまっていると、ある奥さんが生後何か月かの赤ん坊をちょっと抱いていてほしいといってあわててトイレに行きました。もう清津行きの汽車は着いたのに赤ん坊をかかえてどうしようもなく、母親を待ちつづけているんですが、赤ん坊を捨てることもできず、泣いているのです」といいました。

 こんな例が一つや二つではないのです。父母として自分の子供を捨てるなんてこの世に聞いたこともありませんが、血を分けた子供が飢え死にする様を正視できなくてやむなくそうするのです。

 昨年の冬にはわたしたちの人民班にバラチフスが流行したくさん死にました。

(萩原 遼)

98年度総会

スローガンは『出でよ100人の証言者』

 4月19日、午後1時半から5時まで文京区シルバーホールにおいて98年度総会が開催された。

 会員の皆様への開催連絡が遅れ出席人数が懸念されたが天候にも恵まれ、97年度中に新規加入された会員や遠くは岩手県や宮城県そして奈良県や大阪など全国各地から多くの熱心な会員の方々が予定を変更されてまで駆け付けて下さり、用意した座席は埋められた。

 総会は谷川運営委員の司会で、先ず小川晴久共同代表が開会の挨拶を述べ、続いて川井拡大運営委員が韓国の提携団体「北韓同胞の生命と人権を守る市民聯合」尹玄代表から寄せられた祝辞を朗読した。
 続いて関西支部事局長山田文明氏が『関西各地から困難な状況を打ち破り、私どもの会に参加して下さる(在日の)方々が増えている。

 今後、この問題に関心を持った多くの方々に力を発揮して頂く“分散遂行”の集合体として関西支部を作り上げて行けるように、この場を跳躍台にして努力してゆきたい。』との決意を明らかにした。

 引き続いて小川共同代表から昨年度の全体的な活動報告(7頁参照)が、加藤博脱北者生活保護基金担当運営委員から「基金」の活動報告と会計報告、李成男氏の家族から総会に寄せられた“感謝の手紙”が朗読された。
 報告の最後に川崎孝堆会計担当運営委員から「守る会」の会計報告が「鄭箕海・安明哲両氏招請特別会計」と「通常活動会計」に分けておこなわれ、活動報告・会計報告共に承認された。

 次いで昨年度のスローガン『出でよ百人の証言者』に呼応して名乗りを挙げて下さった、帰国者家族の方々に挨拶を願った。日本人妻として北朝鮮に渡った姉をもつ泉芳子さんと姉が帰国者の李明子さんのお二人です(あいさつは別項)。  

 次いで曺幸さんは『祖国を本当に思うのなら、皆が一日も早く立ち上がり名のるべきです。皆で立ち上がれば恐いものはありません。北の体制を崩さない限り強制収容所も餓死者も脱北者もなくなりません。一番大切なことは打倒北朝鮮、金正日国家北朝鮮を打倒しなければ北の人々を助けられないのだと言うことを改めて認識して活動する事です。』と訴えた。
 この後、会場から離散家族の消息を調べたり、実際に支援活動をするなどの運動を続けている方が最近の北朝鮮の実状を語ると共に、本会との協調を表明され、『とにかく、北朝鮮が一日も早く潰れる事を望む。本心を言えば、このような活動はとてもしんどい。一日も早く終りにしたい。』と参加者の思いを代弁し、拍手を浴びた。

 休憩時間の後、小川共同代表から「北朝鮮人権問題をめぐる情勢と特徴」について説明があり、引き続いて萩原遼共同代表から「今年の活動方針案」(8頁参照)が提示・説明された。
 脱北者支援活動の位置づけに付いては多くの人材と資金を要するという問題があり、すぐには結論が出ないので予算案を含めて運営委員会に一任された。また、98年度運営委員メンバーも承認された。

 さて、98年度の活動方針の第一は昨年度と同じ“出でよ100人の証言者!広げよう真実の証言を!‘’です。
 総連の貴方、帰国者家族の貴方、人を愛し・家族を愛し・祖国を愛し、帰国者や北の人々を一人でも助けたいと思っているならば逡巡せずに、総会で発言された帰国者家族のように、勇気を持って立ち上がり証言して下さい。貴方が行動を開始しなければ何事も変わりません。北へいくらお金や品物を送ろうとも根本的な問題の解決にはなりません。
 かえって金正日の封建独裁恐怖社会政治体制を延命させ、新たな犠牲者を増やすだけであり後世の非難を受けることになるでしょう。北朝鮮の人権状況を広く世界に訴え、北朝鮮の収容所体制を打ちくずし、それを支える朝鮮総聯を厳しく批判していこう!

(川崎孝雄)

泉 芳子さん 姉が日本人妻として北朝鮮にわたり、死去された(?)

 『北朝鮮絶望収容所』を読んで入会しました。数年来、姉からの連絡が途絶え、もしかして姉も収容所に入れられているのではないかと、いろいろと消息を探して来ましたが、非公式にどうも亡くなったらしいとの情報に接しました。
 しかし姉が亡くなっていても、北朝鮮に渡った人々を、北の人々の一人でも助けることができればとの思いでこの会にひきつづきとどまり、たとえ微力ながらでも皆様と頑張ってゆきます。みなさんとお会いできたことをとてもうれしく思っています。

李 明子さん 姉が帰国者で、いまも悲惨な生活をしている

 92年頃までは北朝鮮に疑問を感じていなかったが、祖国訪問で北朝鮮を訪れ、姉たちに会って大きなショックをうけました。その後三年半も北の家族から連絡が無く、消息を案じていましたところ、カルメギ14号に載せた悲惨な手紙が人伝に届きました。
 私がこのような活動をして北の家族に被害が及ぶかもしれません。しかし、私が何をしようがしまいがあの手紙のようにゴロゴロ飢え死にして行くならば、姉だけのことを考えずに少し勇気を持って、北朝鮮の実状を知らない世の中の多くの方々に訴えて行ってこそ北の多くの人々を助けられるのではないでしょうか。
 自分たち(在日)が勇気を持たなければ北の人々は救われません。秘密の中にある北朝鮮の悲惨な状況を、知っている自分たちこそが勇気を持って、その事実を広く知らせる事で北の人々を助けて行けるのではないでしょうか。

97年度活動報告

1.証言集会の開催

 新たな証言者を持て、むごい人質政策をうち破り、真相を訴える努力を重ね、5月29日国会議員会館内での記者会見と、7月12日の7人による証言集会を成功させた。新たに4人の方に証言していただいたことの意義は大きい。7月12日の証言を核に、一冊、本を編もうという勢いになっている。「出でよ100人の証言者」

2.亡命者お二人を招いての全国6カ所での講演集会 

 97年10月24日から11月2日まで鄭箕海、安明哲両氏をお招きし、全国6カ所で講演集会を開いた。東京、大阪、新潟以外に、広島、福岡、仙台で開催し、亡命者の声を全国に広げたことの意義は大きい。新たな開催地では民団系組織のご協力を得た。

3.2回の日本人妻里帰りに際し、その改善を求めて奮闘 

 昨年7月以来、守る会は要望を含め4回声明を発表し、希望者全員、早期の里帰りの実現を求めた。また帰国者全員の一時帰国の自由の実現をも併せて要求した。第3陣の里帰りが5月中旬に延びたことを含めて、この問題が政治的道具と化していることがハツキリし、守る会の方針の正しさが立証された。

4.亡命者の手記(1)の翻訳、刊行。先駆的告発の書(2)の復刊。そして多数の新会員の入会

 守る会会員の努力で、『北朝鮮絶望収容所』『北朝鮮 泣いている女たち』(1)が翻訳、刊行され、『楽園の夢やぶれて』(2)の復刊が実現し、多数の新会員を迎えることができた。とりわけ安明哲著『北朝鮮絶望収容所』の影響は絶大である。新会員の力をいかに活かしていくかが課題となった。

5.会報、季刊誌の発行

 会報『カルメギ』を8回発行し、季刊誌『生命と人権』を第3号から第7号まで刊行した。『カルメギ』は月刊化こそしていないが、紙面は充実したものになっている。
 『生命と人権』は昨秋の講演集会のとりくみ等に追われ、編集のあり方や、活用などに大きな弱点を積しているが、韓国での「市民連合」との共同編集によって、各号の内容は大筋においていいものができていると思う。英語版での海外での反響も出始めている。

6.国際的アッピールでも一定の前進

 昨年8月21日の国連人権小委員会での対北朝鮮決議は、待ちに待ったものであった。世界750カ所にソウルから送っている、上記『生命と人権』英語版の一定の貢献もあったと思う。今年1月28日、来日中の国連人権高等弁務官、メアリー・ロビンソンさんにもアッピールをおこない、前向きの返事を得た。

7.脱北者支援

 脱北者支援活動にも、「北朝鮮脱北者生活保護基金」をもとに、積極的に取り組んだ。
 全体的特徴としては、証言集会と亡命者招請集会、日本人妻里帰り問題に全力をあげたため、連続学習会や、曺浩平さん一家真相究明問題のとりくみが、きわめて不十分であった。しかし韓国「市民適合」との共同発行の英語版による海外へのアッピールを含め、今の力量の中でわが守る会はよく奮闘した一年であったと総括することができよう。亡命者の手記のおかげで150名以上の新会員の加入があったことを、何よりも感謝したい。

ことしの活動方針

1.出でよ100人の証言者!広めよう真実の証言を!

 「出でよ100人の証言者!」は昨年7月12日東京の集会の中心スローガンでした。ことしはこれをもっと大きな声にしていきましょう。北朝鮮の飢餓のなかで帰国者たちはばたばたと死んでいます。在日朝鮮人の家族はそれを十分知りつつ声をあげることができません。あげれば帰国者に危害が加えられるからです。
 この北朝鮮の人質政策のために帰国者の惨状や強制収容所の実態がほとんど知られず、一部を除いても新聞もほとんど取り上げません。

 しかしいつまでもこのままではいけない、なんとかしなければ、という声が北朝鮮帰国者の家族の間から高まりはじめています。北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会はことしこの声をいっそう高めるために大いに力をいれましょう。いたるところで大きな集会や小さな集会を開いて、この動きを高めましょう。

2.里帰りしたいのは日本人妻だけではない。

 在日朝鮮人帰国者の里帰りと一時帰国を要求して各界に働きかけましょう。北朝鮮はいまや無政府状態で、在日の家族が荷物を送っても郵便局で盗られてしまったり、送金しても政府が取り上げ帰国者に渡らないといった状況が一般化しつつあります。帰国者は栄養失調によるいろいろな病気で苦しんでいます。日本に連れてきて腹一杯食べさせてやりたい、治療を受けさせたいという在日朝鮮・韓国人の声は切実です。

1)帰国者を一時帰国させよの声を政府、国会、政党、日赤、地方自治体、国際組織に活発につきつけましょう。
2)“帰り船基金”(仮称)を具体化する論議をはじめましょう

 北朝鮮帰国者や日本人妻の一時帰国のためにわれわれが自前の資金を持って政府や関係者に迫ることがいずれ必要になります。在日の家族の間では「船の費用や滞在費は私たちが持つから日本政府は北朝鮮政府と交渉してほしい」という声が起こりはじめています。また日本の一部では「国民の税金を使ってわざわざ日本人妻を里帰りさせることはない」という反対論も出はじめています。
 こうした相反する二つの声に対処するためにも、守る会が自前の資金を持つ必要があげます。大変な事業ですが、こころある人たちに広く呼びかけて実現させましょう。今年はそのための検討の時期としてみんなで考えることを提案します。

3.昨年の総会からひきつがれている問題、すなわち、曺浩平さん一家真相解明、横田めぐみさんら拉致日本人救出などは引き続き取り組んでいきます。

 昨年の総会から取り組んできた脱北者支援については、
①従来どおりでよい
②帰国者の脱北者を中心にすべきだ
③守る会のなかに設置されている生活・保護基金は守る会とは別組織にすべきだ
-という3つの意見があります。

 脱北者支援の中身についても、生活支援なのか救出支援なのか、はっきりさせるべきだという問題もあります。当面②の線でいきますが、本会は北朝鮮帰国者の生命と人権を守るのが主たる使命ですので、③の可能性もふくめ、その趣旨にそって見直しがありうることを付記します。

4.国会議員、日赤、帰国事業を准進した政党や民主団体、マスコミ、さらに人権NGOなどに働きかけていきます。とくに国会議員と日赤には系統的な働きかけを重視します。 

5.学習会、講演会を定期的に開きます。

 連続講座や定期的な学習会を、東京だけでなく関西、九州、仙台などでもおこないましょう。そのさい守る会でこれまでにだした出版物(『生命と人権』、『楽園の夢破れて』、『もう我慢ならない』、『カルメギ』など)をしっかりと活用しましょう。

 また共同代表や運営委員は講師としてどんどん各地に出かけていくようにしましょう。

6.宣伝活動

1)『カルメギ』の編集態勢の確立。内容の充実(会員の声、地方欄の新設など)

2)『生命と人権』の編集の見直し。日本語版の編集に独自性をだす。英語版にも貢献する。

3)出版を積極的におこなう。いちばん急がれるのは守る会の名刺替わりになる冊子や単行本。

4)インターネットを開設します。国際的な働きかけをめざします。

7.組織・財政活動

1)新しく参加された会員同士の交流の場を定期的につくり、会員の創意とエネルギーを守る会の課題達成のためにいかす努力をします。

2)事務局を強化します。そのために広く事務局員をつのります。

8.韓国市民連合との協力

亡命者の貴重な証言をもとに北朝鮮強制収容所の実態を国際的にアッピールするため市民連合との連帯と協力をひき続き強めます。

9.規約検討の小委員会をつくります。

組織の拡大にみあって地方支部との関係など、新たな状況に対処するためです。

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「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」宛
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※2020年12月現在、販売しておりません
 

第54期国連人権委員会(ジュネーブ‘98.3.1~64.24)北朝鮮人権問題資料

 さる4月24日に終わった今年の第54回国連人権委員会でEU、カナダ、ポーランドの代表が、発言の中で北朝鮮の人権状況について言及しました。北朝鮮代表は即座に2回にわたって反論しました。それらを全訳してご紹介します。

 全訳した感想としては、北がまき返しをはかっていることと、主権国家論を盾にすべてをはねつけている彼らの手法です。一つは昨年夏、北に察知されないように電撃的に提案して決議にまでこぎつけたやり方(これ以外には決議の採択はなかったでしょう)にたいし若干北朝鮮に同情する国がでてきて、北がまき返しをはかっていることです。
 これは地獄のような北の収容所の実態を知らないから同情したのでしょう。もっともっと強制収容所の実態を英語版にしてひろく訴える必要があります。

 同時に、北の反論が「主権国家の主権侵害と尊厳の侵害」を切り札にしているので、これを理論的にも実践的にも崩さないことには、ジュネーブの国連人権委員会に期待しても大きな進展がないことがわかります。そのためにまず守る会のわれわれが北朝鮮政府の反論を打ち破るわれわれ自身の解答を用意することです。みなさんのお考えや感想を『カルメギ』編集部にお寄せ下さい。(小川晴久)

EU代表声明(‘98.4.14)

 第12項目 EUは良心囚、政治囚、労働による再教育、家族の分離などの監獄と表現の自由の制限を含む北朝鮮の人権状況に深い関心をもっている。EUは国連の諸機構とNGOがこの問題にもっと大きく関わることを求める。(The EU Calls for great access for mechanisms and NGOs.)
 EUは北朝鮮の市民的政治的権利に関する国際規約の廃棄通告を受け入れない。国連の法評議会が明らかにしたように破棄通告はすべての参加国の同意があってはじめて可能である。したがって北朝鮮はこの国際規約(市民的政治的権利に関する)に完全にしばられている。

北朝鮮反論声明(‘98.4.14)

議長並びに諸代表各位
 今朝EU代表はわが国の人権に閲し、また市民的政治的権利に関する国際規約からの我々の脱退について論評した。我々は強くその声明を非難し、拒絶する。 

 なぜならそれはわが国に敵対する他の陰謀を企てるために今会議を悪用している諸勢力の側に立つばかげたこころみであるからだ。真の人権を議論しているこの場で、我々の敵対分子によって作られた陳述(主張)を根拠に、なぜEUが一つの主権国家を中傷するのに奔走するのか、その理由は水晶のように明白である。彼らが隠された目的のために人権を悪用することはいつものことである。彼らがとなえている「人権における協力と対話」は単なるお題目にすぎない。

 この会議で国際社会から非難を俗びている彼ら自身の人権侵害を自ら責める代りに、声明は他人の人権を論評している。これらの独断的な行為を通して我々はEUが人権国際法廷で文句のない(又は忌避されない?unchal1enged)裁判官になろうと空しい努力を傾けているのを見るだけである。国連諸機構とNGOにEUが求めたわが国の人権状況へのより大きな接近云々に関しては、それはわが国の現実に対する全くの無理解を示す以外の何物でもない。多くの国連機関とNGOが何不自由なく短期長期に我が国内で働いている。

 市民的政治的権利に関する国際規約からの脱退問題についても同じことがいえる。昨夏の国連小委員会でわが国に敵対する決議が採択されたが、知られているようにそれは我々に敵対するかくれた政治勢力が、上記国際規約の履行に関する定期報告を出していない多くの国中から意図的に我が国を選び出し、またわが国の現在の法と実際を歪曲して用意されたものである。
 決議を採択する過程についていえば、我々と何の協議もなく上程され、小委員会の多くのメンバーには数時間前に通知されたのである。それは猫が夜えものを盗むに等しいやり方だった。我々は断固として選別と二重基準(the《selectivity》and《double standard》)に反対し、平等と公平の原則を要求する。   

 我々のICCPR(国際人権現約)からの脱退は、誰も批判できない主権国家による正しくフェアーな実践である。それは国際法のいかなる要件や手続きからも自由である。いかなる国も自己の尊厳への侵害に耐えることができない。
 もしできるとすれば、それはもはや主権国家ではない。わが国に敵対する手段(措置)がより強められれば強められるほど我々はますますICCPRからの脱退は正しかったという確信をかためる。我々はこの規約の外で我々自身の途をひきつづき歩むであろう。

 将来ともわが政府は“人権”を装って我が主権と尊厳を侵害し、我が国の息の根を止めようとするいかなる企ても容認しないであろう。

 我々は対話と圧力の両方に対応する用意ができている。私は国際的な人権における誠実な協力を求める議長と諸代表の皆さんに、平等と公平の原則の維持と特定のグループの主権国家侵害を許さないことに、皆さんの注意を喚起して私の声明の結びとする。

カナダ代表声明(‘98.4.15)

 国際社会が全体主義体制または権威主義体制による恣意的な人権侵害に直面するとき、それは一つのことである。全体主義においては、人権の完全な無視は政治と経済システムのすべての面でみてとることができる。ナチの場合がそうであり、また共産主義の場合も同じであった。それは過去のものではなく朝鮮民主主義人民共和国のようなわずかに残った共産主義国家の中で依然として続いている。 

ポーランド代表声明(‘98.4.16)

 世界人権宣言によって鼓舞された国際規約は、国々に人権の実現に責任をもたせるようにする重要なメカニズムとなってきた。したがって我々は中国が市民的政治的権利に関する国際規約に署名するという中国の声明に勇気づけられた。我々は中国が二つの国際規約の批准にすみやかに向うことを求める。しかしながら我々は北朝鮮が市民的政治的権利に関する国際規約を破棄したことにふりまわされている(disturb)。
 我々は国連事務総長の、(北朝鮮)政府は国際規約を守る責任が完全に残っているという見解に同意する。

北朝鮮代表声明(‘98.4.16)

議長!
 北朝鮮代表は、今会期を建設的対話と協力の機会にしようと期待している多くの国の願いが達成され、政治目的に根ざす対立と不信をとりのぞくために実際的手段がとられることを強く願って、世界人権宣言50周年を記念する年に開かれている今期の国連人権委員会に臨んでいる。           

 対話と協力の要求はかなり高い程度まで叫ばれているが、実際人権に関する議論は依然として中傷と敵対、対決と他の主権の侵害に満ちているのを確認するのは悲しむべきことである。この緊急項目の討論をみてみよう。

 西側は開発途上国を批判する上で新しい記録を作っている。ヨーロッパ議会は37ケ国を一つ一つ選び出して攻撃して40分を費やした。これは昨年の32ケ国を上まわる数字である。EUのターゲットとなった国は例外なくすべて開発途上国である。これらの国は強い独立した政策をもち、西洋風の民主主義を採用していないという明らかな理由のため、西側の標的となっている。西側はこれらの国が人権の面で前進していることに注意を払わない。

 西側はあたかも彼らだけが他の固を名指し攻撃する権利を有し、他の国々はただ攻撃される資格をもっているかのように考えているらしい。
 西側は他の国々の真実を他の国々の視角からみ、自分自身を他の国々の位置におく道徳的な習慣を養わなければならない。

 本委員会の前回までの数万枚の文書をみてみよう、西側が彼ら自身の人権状況に言及したことは一度もなかったことがわかるだろう。彼ら自身に人権問題が本当に全くないのだろうか。ナンセンス!

 彼らは政治的、経済的、文化的、社会的分野における人権問題を議論するこの集会を、彼らの政治的戦略的目的と野心を追求する機会としていつも利用している。

 結論として、東西冷戦は人権のステージにおける南北冷戦にとってかわられた。そして対立はより加速化されている。

 選別と二重基準にもとづく対決は、真の人権の推進を討議するために企画された国際的人権会議でいかなるケースでも許されてはならないと我々は考えている。

 昨年夏我が国が市民的政治的権利に関する国際規約(ICCPR)から脱退を余儀なくされたのは選別と二重基準である。昨年の決議の提案者たちが対話と協力に関する彼らのジエスチヤーを示していたのなら、我々に規約からの鋭退を強いるような今回の結果は生じなかったであろう。
 しかしながら、技術上の他の理由で規約の履行に関する報告音の提出が遅れている約50ケ国からわが国だけを選び出すという陰謀の驚くべきやり方で、わが国に敵対する決議の採決を彼らは強いた。自国の主権と尊厳を他人が侵害することを許すいかなる国もこの地上にはないだろう。
 あるものたちは国際規約からの我々の脱退は法律要件上不可能であると主張する。選別と二重基準の適用は他者の主権と尊厳を侵害するために正当であるということは詭弁である。この本末転倒の理論はこの地上のいかなる場所でも許すことはできない。

 わが代表団は再び言明する。国際規約からの我々の脱退はそれに対して誰もあれこれ言うことのできない我が主権の当然の行使である。そしてこの行使はいかなる国際法とその手続きによってもしばられることはない。事実、わが代表団は国際規約からの脱退というような不愉快な事件を克服し、正しい方法でこの問題を解決するために今期に積極的な雰囲気が醸成されることを期待していた。したがって我々は建設的な対話と真の協力の精神から我々の位置を説明するというような善意と柔軟性を示した。
 しかし我々はわが国に敵対するEUの変わらぬ姿勢を目のあたりにした。このことは我々には国際規約から脱退する絶村的な正しさがあることを我々に確信させた。

 わが代表団は国際規約からの我々の脱退は国際規約そのものへの反対ではなく、その条文の否定でもないことを明らかにしたい。我々は国際規約(ICCPR)からの脱退を余儀なくされてはいるが、我々はこの規約に秘められているすべての権利をわが国民にこれからも完全に保障していくであろう。

 選別と二重基準を一掃することは国際人権諸規約の地位に影響を与える重要な問題である。

 我が脱退の正しい解決の唯一の方法はこの問題をひきおこした西側諸国の態度にすべでかかっている。わが国の国際規約からの脱退以来、少なからぬ国がわが国の脱退の見直しを示す意図を表明している。なぜなら決議採決のプロセスが正しくなかったから。

≪資料に対する会員からの意見≫

北朝鮮政府の声明などにたいし三人の会員から意見や感想が寄せられました。

北は人権守る気持ちのかけらもない  三浦小太郎

 国連の内部事情については私はあまりよくわかりません。ただ、国連も国家の連合体にすぎない以上、基本的にはマキヤベリズムと理想主義が混在するのは当然で、人権委とてその例外ではないと思います。
 つまり、「北のひどい収容所や政治抑圧を他国が知らない」と同時に、「たとえそのような抑圧があったとしても関心をもたない、もしくはそれに注視することが国家的利益に直接的につながらない」からこそ「大きな進展がない」のではないかと思います。
 私(三浦)も、アフリカ諸国の人権抑圧や部族村立、軍事政権による独裁e t c、飢餓について、それほど多くの知識を持ち運動をしているわけではありませんからヨーロッパ諸国が北朝鮮について知らなくても、積極的でなくてもしかたがないかなとも思います。

 また、これも私の推測ですが、「若干北に(手続きをめぐって)同情」する国が出てきたのかどうかはよく読み取れませんが、おそらく人権抑圧のひどい国は北だけでなくゴマンとあり、その1つは中国です。
 たとえば中国は、別に同情でもなんでもなく北を手ゴマの1つとして使うためにいくらでも時には北の味方をし、時には批判し、少なくとも北が完全に孤立せぬよう努めるでしょう。さらに言えば国連人権委は中国のチベット侵略に村しても明確な態度を取っているとは思えません。(ダライ・ラマ法王の著作はいくつも英訳されているのに)国連に働きかけるのはもちろん賛成ですが、あくまで国連はその程度のものと考える目も必要ではないでしょうか。

 北朝鮮は既に明らかなように、人権を守る気などかけらもない国家です。彼らを他国と同一にはあつかえません。もし国連に求めるならば北への徹底的経済封鎖であり、最小限の人道援助をのぞく全ての援助を全世界がSTOPすることでしょう。(おそらくこれは中国との正面衝突を生みます)

問題は日本国内にあり  佐伯浩明

 訳文を拝見しました。現委員会でのことは予想通りですが、国際社会が最早、この問題を重要テーマにして放置していないことがわかって良かったと思います。この点は極めて重要です。訳文を感謝しています。

 問題は日本国内にあります。発言すべき人が北朝鮮の人権問題を放置しています。政府、政党、宗教家、ジャーナリストは何故この問題にふれないのか、徹底的に追及する必要があります。安明進の国会参考人が実現すれば画期的です。

北は人道上の犯罪を犯している  佐倉洋

(1)北朝鮮はまき返しを図っているというより、必死の抵抗を試みている。
(2)しかも、詭弁をろうしている。人権概念の論争に持ち込もうとしている「二重基準」はまさに彼らの方にある。しかも、北こそ被害者であるとは何をかいわんや。
(3)韓国のNGOからのつきあげは、政治工作ととられるおそれがある。
(4)日本のNGO-西欧NGOから強く声をあげる必要はある。
(5)まき返しを図っているとしたら、アフリカや、アジア諸国を説得しているのかもしれない。ことに中国とか一中国もかつて米国からの人権批判に人権=西欧という論理で反論した。このことがあって逆に北に村しカーターらは人権批判をしていない。
(6)北朝鮮の場合は、人権というよりも人道上の犯罪といったものに近い。人権論では、議論になってしまう。そこは北の思うツポだ。
(7)アフリカ諸国の大使館、ルワンダ、ラカンダ、南アフリカ、エチオピア・…・・の大使(警察)に状況を説明する。日本の有識者、政治家、一般社会へのアピールの必要性。
(8)女性、老人、子どもたちへの人道(人権)上の犯罪→これは、だれが見ても非人間的(非人道的)なことが行われていると納得するでしょう。

北朝鮮の人権状況と「守る会」

1993年11月7日 都内で北朝鮮帰国者を持つ在日の「遺家族証言集会」が開かれる。

1994年2月20日 同集会が基になり「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を結成。

7月、「守る会」連続学習講演会を開始。初同は「帰国事業と日本赤十字」。以後、2年2カ月、6度に渡って学習会を開催。

8月1日 在日帰国者が北朝鮮で受けている差別と迫害に、日本赤十字社と国際赤十字社が関心をもつよう促した。

1995年5月19日 アムネステイー・インターナショナルから、「守る会」が追究している在日帰国者の曺浩平さん一家5人の安否について「国外逃亡を企てたために一家全員を銃殺した」と北朝鮮当局が発表との知らせ。同会運営委員で妹の曺宰さんのもとに入った。

5月28日北朝鮮当局の「銃殺発表」の矛盾点を突く緊急アピールを発表した。

7月7日~14日 北朝鮮強制収容所体験者の姜哲煥カン・チョルファン安赫アン・ヒョクが来日、大阪、名古屋、東京で講演し、北朝鮮の人権弾圧政策を批判。

12月9日 曺浩平一家銃殺事件の真相究明集会を開催。

12月15日 ソウルで北朝鮮人権問題国際シンポジウムが日韓米独の4ケ国代表を集めて開催され、「守る会」の小川晴久代表が参加。

1996年5月4日 ソウルで「北韓同胞の生命と人権を守る市民連合」(以下市民連合)結成。

1996年5月11日「守る会」が「市民連合」の尹玄牧師を招き、曺浩平一家銃殺事件の真相究明集会を開いた。

7月29日 赤十字国際委員会及び赤十字連盟に対し、対北朝鮮食料支援に際して、在日帰国者の人権状況の改善にも関心をもつよう要請した。

10月26日 元在日朝鮮人の亡命者、呉寿龍・金初美さん夫妻が「守る会」の招きで来日し、東京、新潟、名古屋、大阪など各地で講演し北朝鮮帰国者の苦難を語った。

1997年4月 守る会「北朝鮮脱出者生活保護基金」発足。

7月12日「守る会」は北朝鮮帰国者家族証言集会を開催、7人が北朝鮮の悲惨な実情を報告。

7月16日 北朝鮮のアジア太平洋平和委員会は日本人妻について「彼女らは…国家と社会のあらゆる物質・文化的恩恵を受けつつ張り合いに満ちた幸福な生活を享受している」と声明。日本人妻問題は「共和国の自主権に属する問題」で「日本の一部勢力があれこれ言うべき問題ではない」と言及。

7月17日 兵庫県の元朝鮮総連幹部らが17日、北朝鮮の民主化を求め、在日朝・朝鮮人に呼びかけて「無窮花(ムグンフア)」を結成。

8月3日 京都の世界宗教者平和サミット参加者に「守る会」と「市民連合」との共同アピール文を配布。北朝鮮の強制収容所に捕らわれている人々の救済を強く訴えた。

8月7日 北九州市在住の在日の亡命親族者の保護策を練るため、「守る会」会員を中国の滞留先へ派遣

8月21日 国連差別防止・少数民族保護委員会(国連人権小委貝会)は、北朝鮮の人権改善を求めて北朝鮮と国際社会に要請する決議を採訳した。

10月3日厚生省の報告によれば、終戦の混乱時、旧満州(中国東北自治区)などから日本に引き掲げ途中、北朝鮮に入ったまま帰国できなくなった日本人が1442人にのぼる。

10月25日 北朝鮮の政治犯強制収容所の元警備隊員で韓国に亡命した安明哲アン・ミョンチョルと、在日の北亡命者、鄭箕海(チョン・ギへ)氏が「守る会」の招きで初来日、衆院議員会館で記者会見し、強制収容所など北朝鮮の人権改善を強く訴えた。  

11月9日 日本人妻の第一陣15人が里帰り。

11月16日 平壌放送は16日、北朝鮮の亡命者、申英姫さんが「喜び組」など北朝鮮の内部事情を書いた手記『ツツジの花が咲くまで』(邦訳「私は『金正日』の踊り子だった」)に基づき連続ドラマを制作中の韓国テレビ局「KBS第二テレビ」に村し「北朝鮮に対するデッチあげの謀略ドラマ。テレビ局を爆破して製作者たちを穀す」と脅迫した。

11月27日 韓国政府に逮捕された北朝鮮工作員、崔の自供で、1978年に韓国の高校生3人が北朝鮮に拉致されていたことがわかった。

12月29日 「市民連合」は江沢民中国国家主席宛に「北朝鮮から中国に逃れてきた住民は『国際難民』と認定し、かつ北朝鮮住民を保護し、第三国へ自由に出国できるよう措置を取る義務がある』と番いた要望書を発送。

1998年1月27日 日本人妻里帰りの第二陣が来日、「守る会」は成田空港で「もっと早く、もっと多く、国籍の区別なく」の横断幕を掲げてアピールした。

1月28日 インド・ナグクルにある人権研究所の事務総長、D・P・ラルワニ博士が同日付けで韓国の「市民連合」と日本の「守る会」宛に送ってきた手紙で「北朝鮮の強制収容所を無くす運動に全面的に協力する」ことを声明。

2月1日 代々木宿舎前で「守る会」が「日本人妻の皆さん、真実を語って下さい」とポスターや横断幕でアピール。       

2月2日 国連人権高等弁務官、メアリー・ロビンソンさんから「守る会」へ「曺幸さんの兄一家か北朝鮮で銃殺されたとの情報について、北朝鮮の巨大な人間の悲劇を承知している」と返事の手紙。

2月5日 「市民連合」の定期総会で、国連難民高等弁務官に対して、中国およびロシアをはじめとするCIS諸国に滞留中の北朝鮮難民の実情調査と、彼らの福利増進のために、適切な措置を取ることを要請する一など決議4点を採択した。

2月13日 朝鮮中央放送は11日、日本人妻第二陣が帰国後送った金正日総書記宛の書簡を公表。「日本はカネが政治も社会も人も支配する世界でした。耳にするのはカネに対する心配」ばかりと批判。

4月~ RENK(救え!北朝鮮の民衆、緊急行動ネットワーク)による、中国国境の北朝鮮難民の子どもたちに対する里親募集のキャンペーン開始。

4月18日 北朝鮮に娘や息子を拉致された家族が17日、全国で集めた街頭著名の第三回分30万5OOO人分を外務省に提出。署名は昨年8月と10月分も併せて計100万人突破。

4月12日 北京発AFP=時事電によると、国際援助団体「国境なき医師団」は11日、中国・図們(延辺朝鮮族自治州)の教師は「国際援助機関は北朝鮮政府にだまされている」としたうえで「(北にいる)わたしのいとこは一年前、穀物が配給されたが、触れてはならないと命じられたと言っていた。配給状況を確認にきた外国人が立去ったあと、政府は袋を回収してしまった」と述べたという。

4月25日 1978年(昭和53年)レバノン人女性4人が拉致された事件で、日本電波ニュース社の取材に応じ、拉致女性と家族が真相を証言、事件の信憑性を裏付けた。

この人にきく 「家路」の女王人 橋本安子さん(65歳)

 都営新宿線新宿三丁目を降りてすぐ、毎日懐かしい歌声が流れるお店がある。守る会でもおなじみの歌手、寺井一通さんも毎週第四水曜日に出演、すばらしい歌声を聴かせてくれる。店の名前は「家路」。他の日は連日ピアノの伴奏に乗せてお客さんたちの歌と語らいの場となる。昔ながらの歌声喫茶の雰囲気を伝える暖かいお店で、連日ピアノと歌を鳴かせてくれる橋本安子さん。守る会を以前から応援して下さっている橋本さんのお話しをうかがった。            

…橋本さんは帰国運動についてつらい思い出があるとうかがったことがありますが。

橋本 はい。新宿コマ劇場の裏「灯(ともしび)という歌声喫茶で働いていたころ、もう何十年も前になりますけれど、とても可愛らしい娘がウエイトレスをやっていたんですよ。その娘は在日の方で、親御さんの意志でしょうけれど、帰国運動で北朝鮮にわたることになった。でも、彼女は帰りたがらなかったんです。とても踊りや歌が好きな娘で、日本に残ってその方向に進みたかったのですね。

…それで、その娘さんはその後どうなってしまったんでしょうか.

橋本 私たちは説得したんです。この日本でいつまでもウエイトレスの仕事をしているよりも、北朝鮮に帰って才能を延ばした方がいいんじゃないか。当時(一九六〇年代初頭)社会主主義は芸術をとても奨励しているという印象があって、彼女もきっと北朝鮮に帰った方が幸せだろうと思っていたんです。この日本ではまだまだ差別があったし。それで、いやがる彼女を一晩寝ないで説得しました。

有名なオペラ歌手の、永田絃次郎さんの悲劇は皆さんもよくご存じでしょうけれど、他にもたくさんの方が不幸な目にあわれたのでしょうね。彼女の消息はやがて途絶えてしまいました。最近のニュースで、北朝鮮の悲惨な実状を聴くたびにいまでも胸が痛みますね。生きてさえいてくれればと思うばかりです。

…守る会についての印象や意見があればお聞かせください。

橋本 とても有意義な活動だと思います。ただ、もう少し日本の普通の人達に分かりやすくアピールすることも必要ではないかなと思います。ヒューマニズム、人権の問題として。皆さんが北朝鮮の人権弾圧を怒るお気持ちはよく分かりますが、決っして一般の人達から浮き上がった運動になっちゃいけない。

…最後にお店について何か。

橋本 実は来年の二月で二十周年になるんですよ。年中無休でやっていますから、ぜひ遊びに来てください。(文責 三浦)

関西支部便り

 5月9日、関西支部では2府2県の世話役メンバー十数人が集まり、親睦を深め、会員の状況を確かめ合うとともに、4月19日に行なわれた守る会総会の報告と、今年度の基本計画の具体化について相談しました。

 多忙な中、遠方から短時間だけ参加して下さった会員もありました。「会員の皆さんと顔を合わせることができると、大きな安心と励ましになる」と、睡眠時間を削って参加された会員もありました。「頼れる守る会」へ一段と成長していかねばなりません。
 懇談と持ち寄った昼食のあと、会議に移り、1.昨年度の活動報告、2.守る会総会の報告、3.関西支部会計報告、4.今年度の取り組み、を順次協議しました。

Ⅰ部 今年度の取り組み

1.運動の飛躍を目指し、1000人規模で音楽と講演の集いを開催する。
日時10月17日(土)午後1時~5時
場所 エル・おおさか(天満橋駅下車、西へ徒歩5分)
内容l部 寺井一通さん、朴聖姫さん、お二人の出演

すばらしい歌声で家族の心情を歌い上げてもらいます

Ⅱ部 帰国事業に関わった人や帰国者家族の方、そして朴さん、寺井さんにもいっしょに語り合ってもらいます。

1.朴聖姫さん、寺井一通さんお二人に出演していただける事になりました。さらに場所、設備とも申し分ない会場が確保できました。6月には本格的にPRし、各種の団体に協力を要請し、800人の参加者を集めたいと思います。皆様のご協力を心からお願いいたします。

2.府県・地域「巡回懇談会」について

 月1回程度実施する関西の府県には帰国者のご家族や守る会の会員が多数いますが、広範囲にわたるため、大阪で集まりを持つだけでは、参加できる人が限られています。そこで、各地の方々が参加しやすいように、府県・地域ごとに担当者をおき、実情に応じて懇談会を開いていきます。この過程で、新しい参加者を向かえ、会員を大きく増やしたいと考えています。各府県・地域のご担当の方、よろしくお願いたします。具体化し次第、ご案内いたします。ご都合の許す限りご参加ください。

3.在日朝鮮人帰国者と日本人妻一時帰国について

 北朝鮮当局が帰らせたい人ではなく、一時帰国を希望する帰国者と日本人妻を帰国させるよう、政府に要請する。秋には氏名を明らかにして、その人の帰国を国会、外務省、日赤、各党などに要請する。現在、数名の方が氏名を公表して要請する意志をお持ちですが、他にも該当者がないか調査をすすめる。行方不明者についても、安否照会をもとめる。

4.北朝鮮や在日の人々に関わる勉強会「関西支部講座」の開催について

 関西には多数の専門家や貴重な経験者がいます。それらの方々に講師となっていただき、多様な問題の勉強会を持続的に開催していきたいと思います。当面、次の日程が決まりました。万障お繰り合わせのうえ、ご参加ください。別途、詳細を記したご案内を会員内外に送付いたします。

第1回関西支部講座 6月13日(土)17時~20時30分

講師 梁永厚(ヤン・ヨンフ)さん 大阪女子大学、関西大学講師

「私の体験した在日朝鮮人運動」

会場 大阪経済大学 E館 7階第1会議室

ご本人のご予定で、夜の時間になりましたが、せひご出席ください。

第2回関西支部講座 8月29日(土)13時~16時

講師 鄭早苗(チヨン・チョミヨ)さん 
   大谷大学助教授

「在日の生活設計を考える(仮題)」

会場 大阪経済大学 E舘 7階第1会雑室

第3回以降は未定ですが、テーマや講師についてご提案ください。

Ⅱ宣伝対象者の名簿整備について
Ⅲ関西支部として交流すべき人たちに順次面会し、情報交換や協力関係を結ぶ。
Ⅳ関西支部でインターネット・ホームページを開設する作業を始める。
Ⅴ財政対策会費徴収と関西支部財政について
 会費の扱いについて、運営委員会に検討を依頼する。必要に応じて、広範囲にカンパを訴える。

以上

流れる歳月 横田めぐみさん拉致疑惑 第4回アベックがあいつぎ蒸発  文 萩原 遼

 めぐみさんの事件の翌年の一九七八年には、日本の各地の海岸でアベックが蒸発する奇怪な事件がおきた。一連の怪事件にこの十年間とりくんでいる人がいる。兵本達吉さん(橋本敦参議院議員秘書)である。

 兵本さんは拉致の手順をこう語る。
「拉致は四人組で目標人物を襲う。後ろ手錠をかけるついでさるぐつわをかませる。もう一人が頭から全身の入る袋をすっぽりかぶせる。それをロープでぐるぐる巻きにして四人で担いで海辺に向かって走る」。
 こうした手口で拉致されそうになって間一髪助かったカップルがいる。二人は一九七八年八月十五日、富山県高岡市の海水浴場で泳いでいた。夕方帰ろうとして車に乗ろうとしたとき四人組に襲われた。屈強の三十代の男たち。ステテコに半袖シャツ。青色のズック靴。底は真っ白だったという。女性は砂をかけたりして猛烈に抵抗した。「しずかにしなさい」といった男の日本語がぎごちなかったと証言する。

 二人は袋づめにされて松林に転がされていた。男たちは沖合を見つめながらなにかを待っていた。そこへ犬の吠え声がした。男たちは急にあわてて、袋を残したまま逃げだした。危機一髪助かった。遺留品の布袋は旧ソ連製で死体の運搬などに使われるものという。猿ぐつわも日本製ではなかった。

 この拉致未遂事件の前に、同じ一九七八年に三件のアベック蒸発事件がおきていた。七月七日福井県の小浜湾近くで。七月三十一日には新潟県の柏崎港岸付近で。八月十二日には鹿児島県吹上海岸に「夕日を見にいく」と出かけたカップルが消えている。

 みな結婚をひかえた恋人同士で家出の理由も自殺する動機もない。「神隠しにあった」とか「UFOにさらわれた」ということばまで出るほど忽然と消えている。兵本さんは、十年の調査の実績をもとに、「北朝鮮に拉致されたとしか考えられない」という。小浜は海流の関係で北朝鮮から金だらいやボートが流れついたりする。

 古来から朝鮮の漁民はこの浜辺で水や食粗を補給し、お返しに魚を置いていった。漁民の仁義が生きていた。「そうしたよき風習を北朝鮮の金日成・金正日政権は悪用したとしか思えない」と兵本氏はいう(つづく)

引田天功さんの「芸術祭」参加  中嶋 慶

 金日成の誕生日を祝して、数年前から行われている「四月の春、国際親善芸術祭」に、マジシャンの引田天功さんが、日本の芸術家の代表として、北朝鮮で公演した。

 北朝鮮シンパでもない彼女が、「芸術祭」に招待されたことについて、一部の消息筋によると、金正男(金正日の息子)が彼女のファンであるという説が流れている。様々な憶測が飛びかっているため、その真偽は別として、今後も日本の芸術家がこうした形で招待されるのか興味深いところだ。

 彼女は19日、「芸術祭」の公演を終えて帰国。翌20日、テレビ朝日系『ワイドスクランブル』に生出演し、北朝鮮の映像とともに、北朝鮮の印象、「芸術祭」の感想を語っていた。その内容は次のようなものである。

一、北京一平壌間の空路、緑がいっぱいの中国側とは逆に、北朝鮮の領空に入った際、緑もなく、土も真っ赤で、畑らしきものは見えても、作物が植えられていないので驚いた。川も氾濫していて、胸が痛くなった。

二、北朝鮮の副総理が、会談の際、「わが国はこのような事情ですが、人々はどんなに空腹でも、皆さんに一生懸命、おもてなしをしている」と説明していた。この話を聞いた私は、胸がいっぱいになって、どういう反応をしたらよいのかわからなかった。

三、すべてが珍しく、見たこともない光景で、建物は大きく、公演会場の入口には立派なシャンデリアがあった。

四、金正日総書記から贈り物をいただくレセプションに参加し、感動した。

五、18日に帰国予定だったが、私は開会式に出席していないので、せめて、閉会式に出席しなければ失礼にあたると思い、19日の特別機で帰国した。

 何と純粋で、素直な感想であり、印象談なのだろう。ただし、純粋で素直なことは、時として、マイナスに働くものである。特に、カルトにマインドコントロールされやすいのが、このような人たちであることは言うまでもない。

 彼女は「芸術祭」参加前、マスコミの取材に対して、「芸術に国境はありません。私は一芸術家として参加を希望しています」と語っている。彼女は、北朝鮮がどういう国なのか詳しく知らないばかりか、あまりにも純粋すぎるのである。

 あの国の芸術というもののほとんどが、金父子や封建軍事独裁体制を支持し、賛美するものでしかないこと、つまり、純然たる芸術が存在していないのに、「芸術に国境はない」という一面の真理は通用しないことに気付いていない。
 これは、「日朝友好」という言葉にも、よくあてはまる。日朝友好とは、現時点では、日本と封建軍事独裁国家(政権)との友好であり、明らかに、迫害に苦しんでいる北朝鮮の一般の人々に対して敵対することになる。
 だとすれば、国民と国民の交流ならば問題はないのか。否である。北朝鮮の一般の国民で海外と自由に交流できる人などいるはずもなく、政権に不満を持っていても、自由な意思表示はできない。投獄、拷問、処刑の恐怖が待っている。言論、表現の自由のすべてが許されない国の国民との交流、それ自体が制限され、成立しえないのである。

 引田さんが、本当に、芸術を愛し、それを生業にしているのなら、今後、このようなことをなさらぬように、心から願うものである。 

私と「北朝鮮」との出会い 下野久美

 私が知り得る周囲には、北朝鮮帰国者、及びその家族、知人、友人がいないので、体験談の原稿というものは書けませんが、私の超個人的意見のみ書かせていただきます。

 四年前、某私立大学の図書館で、図書目録のデータ入力の仕事をしていた私は、たまたま新刊の「北朝鮮脱出」(姜安煥・安赫著 文芸春秋社刊)を手に取り関心を持ち、そのまま借りて一気呵成に上下巻二冊を読み、あまりの衝撃と怒りで心が凍え落ち込み、職場に本を返した後も強烈な内容が心に残り、後日、本屋で同じ本を購入しました。
 それが、きっかけで、四年間で私の部屋の本棚は、「北朝鮮」が付く本、ビデオ、あるいは、著者名が漢字表記であるが一日でそれとわかるコリアン名のもので、ぎゅうぎゅうに埋まってしまうようになりました.
 そんな私ですから、帰国者の方々の事を知ったのは、恥ずかしながらまだ最近になります。という事は、それまでは、一般の日本人には、自らが関心を持ち何らかの行動をしないと、そういった問題も情報も知る由がなかった事であるという事だと些か強引ですが、1967年生まれの私はそう思うのです。

 「北朝鮮」の存在ですら、大韓航空機墜落事件で少し知ったくらいですから…。最近は、新聞、雑誌、テレビでも、ポツポツ取り上げてるようですが、私には、まだまだ日本のマスコミに対しても、それ以上にこの国に対しても不満と怒りでいっぱいです。

 朝鮮総連に大金を積まないと、家族、知人の生死も安否も知る事ができないだなんてそんな不条理が存在しているのに、なぜ、北朝鮮(金正日)の思いのままに問題を放置しているのでしょうか。なぜ、もっともっとわが国の世論は必死にならないのでしょうか。同じ日本人として恥ずかしく、申しわけなく思っています。

 昭和の時代に36年間にわたり隣国を植民地として蹂躙し、強制連行し、戦後も、住居、就職その他、社会的にも精神的にも朝鮮人を差別し、平成十年の現在でもまだなお、反省どころか、問題に対し、無責任に放置しているようにしか私には思えません。高邁な理想ばかり語っていても、問題は何ら解決しないのは、周知の事実です。意識的に無意識、無関心を努め、傍観者に徹するのは、ある意味では、同罪に近いのではないでしょうか。

 いえ、傍観している間にも、厳寒の中で凍死などによる死者が増え続けていることは、明らかなので見殺しにしているようなものです。
 本日(2月17日)の新聞に、北朝鮮が、3月11日から朝鮮戦争などで生き別れになった離散家族探しを開始するという記事が載っていました。本当にこれを機に南北交流は広がるのでしょうか。本当に探す気があるのでしょうか。
 それも大事な事ですが、それ以前に解決すべき問題はあるはずなのに、どうも問題の焦点がズレていると思います。帰国者の生命と人権が本当の意味で守られるよう、日本人の私も願わずにはいられません。

『カルメギ』編集部員がきまりました

ことしの『カルメギ』編集部員がつぎのようにきまりました。
川井源泰、佐伯浩明、萩原遼、三浦小太郎、山田文明の5氏。
編集長は萩原氏です。

編集後記
『カルメギ』21号、少し遅れましたがお届けします。有能なスタッフもきまり、大いに意欲的な内容にしたいと一同はりきっています。
 今号は原稿が多く、4ページの臨時増ページとしました。北朝鮮の餓死の実態の記事は日本で始めて紹介される本誌の特集です。
 帰国者からの手紙は今号は休みます。紙面の都合で会員の声の原稿が一部次号まわしとなりました。(萩原遼)

 人権とはもとよりヒトの権利という意味ですが、実はしかし命あるすべての生き物は、それぞれ固有の生存権と幸福追求権を持ち、網の日のようにつながりあっています。ゆえに人権が揉潤される時、自然もまた無惨に破壊されるのは、理の当然のことなのです。(川井瀬泰)

 北朝鮮の飢蛾を伝える記録ビデオを見た。骨と皮までにやせた子供に表情はなかった。金日成・正日親子の独裁体制がもたらした悲劇に一日も早くピリオドを打たねばならない。(佐伯浩明)

「守る会」に参加してそろそろ一年。積極的にかかわろうと思ったのは、昨年の証言集会での感動がきっかけでした。今年もカルメギの製作等を通じ、北朝鮮の人々に少しでも手を差し伸べられればと思っています。(三浦小太郎)

 帰国者のご家族や帰国運動に関わった人の多い関西から、重要な事実や最新の情報を集め、カルメギに送りたいと思います。日頃は学生たちにコンピューターの使い方を教えています。出来るだけ早くカルメギ電子版を作りたいものです。 (山田文明)