『北朝鮮人喰い収容所』人体実験が行われる収容所

北朝鮮人権問題

北朝鮮の強制収容所について脱北者の証言を紹介します。

北朝鮮人喰い収容所―飢餓と絶望の国』 黄万有著 P43~45より

吉州郡では一九九五年から三年間にわたって農業が不振で、一九九八年には最悪の状態となった。郡当局はどうやって生きのびるか悩んだあげく、郡安全部を実験場に選んだ。彼らは一食一〇〇グラムのトウモロコシ飯を支給していたのを、ドングリの木の葉を乾かした粉三〇パーセントとトウモロコシ七〇パーセントの混合食をつくり、二〇日間の人体実験をすることにしたのだった。この結果、監房では囚人たちが毎日のように死体となって運び出されていくことになった。

ゴミ捨て場から拾い集めてきたような真っ黒な食器に、新しく開発されたくだんの「新メニュー」が盛られて、我々の前に出された。ふつうに考えたら食べられたものではない代物だったが、囚人たちはスプーン一杯でも早く口に詰め込もうとした。味気ない味に顔をしかめ、それでも生きていくためには、噛んで呑み込まねばならなかった。苦労して、砂ぼこりのような口当たりのドングリの木の葉を腹に押し込んでいく光景は、それこそ飢えた原始人を連想させた。

虫も選んで避けるドングリの木の葉を、人間が食べるということは、人間の歴史上、恐らくなかったことだろう。獣も食べない食べ物を、留置場に収監されている人間に食べさせて実験をする、これが北朝鮮の社会であった。

新しく開発されたこの「食品」を食べた囚人は便通がなくなり、五日以上もトイレに行かないようになった。腹痛を訴える者がしだいに増えていった。便が固くなって、とうてい体外に出すことができなかったからだ。

そうなってしまうと、肛門から固まってしまった便をほじくり出してやるしかない。囚人たちはお互いに肛門を開いて便をかきだした。それはもはや生死を賭けた戦いだった。殺るか殺られるかというのと同じことであり、詰まった便を何とかしてほじくり出せなければ、そのまま死ぬ他ない。下剤や浣腸などといった気の利いたものは求めても与えられないのである。

こうなると、さすがに飢えて死ぬ者も一人二人と出てきた。
 「ああ、世も末だな」
 「この国はこうやって亡びていくんだろうか」
囚人たちは、こんなふうに嘆きながら息を引き取っていった。今日はあっち、明日はこっちの部屋で、一人また一人と死体が運び出されていった。長い囚人生活をしていてもまだ白かった歯が、ドングリの木の葉のせいでどす黒く染まっていった。
 「おれたちはこのまま死ぬしかないな」
皆あきらめたようにつぶやく。その唇の間に見える歯は、ことごとく黒く変わっていた。監房には、社会を呪う声が満ちるようになっていた。ほとんど1ヵ月の間、食べ物に木の葉をまぜて食べるテストが行われたわけだが、もともと屈強な囚人たちだけが生き残っただけで、実験は失敗と結論が下されたらしい。一般の食糧危機対策には適用できないと判断されたのだろう。それで、この食事は中断された。
 「いったいあなたはどんな罪を犯して、このような人間以下、いやブタ以下の扱いをされながら生かされるようになったのか……」

この頃から、私は囚人たちから話を聞きはじめた。彼らは独裁体制下の北朝鮮で罪とは言えない罪を犯し、生き延びるためにあらん限りの力を尽した不幸な兄弟たちであった。

北朝鮮人喰い収容所―飢餓と絶望の国』 黄万有著 P43~45より