帰国事業

朝鮮学校問題

大阪朝鮮学校すべての恩師 韓鶴洙先生関連アーカイブ

金 韓鶴洙先生は朝鮮高校の初代校長だったんだけど、民族教育にも熱心で本当に生徒に慕われたいい先生だった。その先生に60年代の末に、北朝鮮から「指名帰国」(名指しで帰国させられること)が来た。帰国船に乗るため新潟へ、、、
北朝鮮人権問題

刑務所にあふれかえる在日同胞『北朝鮮 泣いている女たち』より

刑務所にあふれかえる在日同胞  价川ケチョン女子刑務所には、帰国した在日同胞も数多くが収監されていた。 帰国者の中でも、日本の親戚が少しずつでも送金してくれる家は、生活状態がそれなりによかったが、そうでない人々は帰国したとき持ってきた品物を...
帰国事業

Chat GPTで聞いてみた。政治犯収容所で殺された在日朝鮮人について教えないのは民族教育と言えるのか?

質問: 帰国事業で北送された在日朝鮮人の一部は、北朝鮮の政治犯収容所で残酷に殺されました。そのことを朝鮮学校では教えていません。これは民族教育として正しいでしょうか? 答え: 北朝鮮に帰国した在日朝鮮人が、政治犯収容所で残酷に扱われたという...
北朝鮮人権問題

祖国訪問時に拉致され、収容所送りになった在日朝鮮人『さらば、収容所国家北朝鮮』 姜哲煥著/落合信彦監修 P134-137

同胞を騙して北朝鮮へ売る朝鮮総連。 収容所に送られた一時帰国者日本からの帰国者だけの居住区域である10班村には、私がいた約10年間のあいだに約5800人が送り込まれてきた。そのうちの900~1000人が独身者で、残りの5000人弱は、すべて...
北朝鮮人権問題

呉基元(オ・ギワン)氏証言 寺尾五郎の本のせいで在日朝鮮人二十数人のが銃殺される

1960年に寺尾五郎が訪朝。帰国事業で北送された在日朝鮮人の若者がホテルに押しかけよくも騙したなと抗議。その若者たち二十数人が銃殺される。
北朝鮮人権問題

北送船 送り出した側の証言「北送船のタラップは、北朝鮮・収容所の入口だった」神奈川県在住 金基燦『光射せ!4号』P169-177

私は、八〇歳に手のとどく在日コリアン二世である。今から五〇年前(一九六九年)に在日同胞の北朝鮮への「帰国事業」が始まった、私は二十歳代の青年期にこれを迎えたことになる。帰国船(北送船)が出て二年のあいだに、父母、兄弟、そして妻方の義父母等、...
帰国事業

『KNTV ドキュメント 戻らぬ船』北朝鮮帰国事業を扱ったドキュメンタリー

以下、文字起こしとスクリーンショットとインタビュー動画の切り出し。 さっと内容を把握したい人は下記をご覧ください。 南北離散家族再会事業 ナレーション: 遠目にはいつもと何ら変わらぬように見える金浦空港が、この日朝早くからざわめきたっていた...
理論誌『光射せ!』

朝鮮総連は、金日成に朝鮮大学生二〇〇名を献上した ― 金日成の還暦(一九七二年)に送り込まれた朝大生の運命 ― 元朝鮮大学教員  崔 福樹 『光射せ!7号』P161-168

思い出すだけでも嘔吐をもよおす。ひょっとすると時計が五~六百年も逆回りしたのではなかろうかと思われる。私たちの住むこの時代に起こったとはとうていおもわれないでき事である。 古代日本国(倭)が、後漢の安帝に送った奴隷(生口)、中世の高麗や朝鮮...
北朝鮮人権問題

目を見開いたまま死んだ在日朝鮮人の娘『北朝鮮 絶望収容所』より

北朝鮮帰還事業で北送された在日朝鮮人の女性がどのような扱いを受けたのか? 父親がスパイ罪で捕まり、収容所送りとなり、日本の親戚に手紙を送ろうとして見つかり、過酷な拷問の末に殺される。 そんな在日朝鮮人女性の末路を、『北朝鮮 絶望収容所』から...
書籍/映像紹介

『北朝鮮の記録 訪朝記者団の報告』政治のはなし 読売新聞社 嶋元謙郎

本稿は、1960年に新読書社から発行された「北朝鮮の記録 : 訪朝記者団の報告 」を紹介しています。帰国事業当時「38度線の北」同様、大きな影響を与えたと思われる訪朝記事です。現段階でのコメントはつけません、一つの歴史的資料としてお読みくだ...