かるめぎ NO.23  1998.07-08号

 会報『かるめぎ』の過去号を、旧サイトから、順次こちらにアップしていきます。この機会に、過去の『かるめぎ』を通して、守る会の歩みを知っていただければ幸いです。

(旧サイトより転載:http://hrnk.trycomp.net/archive/karu23go.htm)

国連人権小委が画期的な決議 ~北朝鮮国民の出入国の権利を保障せよ~

 ジュネーブで第50回の会議を開催中の国連人権小委員会は19日(現地時間)
全体会議を開き、北朝鮮の人権状況の改善を促す7項目の決議文を公式に採択した。
 報道によると、フランス出身のルイ・ジュワネ委員主導で去る14日提出された決議文は、この日全体会議で賛成19、反対4、棄権1票の圧倒的支持で採択された。

 決議文の主な部分は
①出国および帰国の権利を保障せよ。
②国連の人権保護活動に努力せよ。
③人権関連調査報告書を北朝鮮内に配布できるようにせよ。
④国際的人道救護機構は、北朝鮮住民の飢餓などに援助せよ。
⑤53ケ国から構成される国連人権委員会が北朝鮮人権状況に対する措置を取るように
-という内容からなっている。

 北の国民の出入国の権利に言及している点は、在日帰国者と日本人妻の日本への往来の実現を求める守る会の方針とも合致したもので、注目される。

 決議文はまた全文で
①北朝鮮政府の言論人と人権活動家に対する継続的な弾圧
②不法処刑と失踪に関する頻繁な報告
③数万名の政治犯抑留と彼らに対する虐待と疾病、遺棄による死亡などに対する憂慮を表明した。
 これは単純に「深刻な人権違反が横行している」と指摘した昨年とはちがって、具体的に北朝鮮の人権侵害の事実を指摘したものである。

(決議の詳細は次の通り)

決議文前文   北朝鮮の言論人と人権活動家に対する継続的弾圧、不法処刑と失踪に関する頻繁な報告、数万名の政治犯抑留と、彼らに対する虐待、および疾病、遺棄、飢餓による死亡等に対する憂慮を表明する。

決議文本文
①北朝解が98年5月、子供の権利委員会で、最初の報告書の審議を受けたことを、歓迎する。
②北朝鮮は自国民に、出国および帰国の権利を保障せよ。
③北朝鮮は国連の人権保護活動に協力せよ。
④北朝鮮は国際人権監視機構による国内の人権状況調査と、その調査報告書の刊行および配布を認めよ。
⑤国際的人権機構と人道的救援機構は、北朝鮮の人権状況により大きな関心を向けよ。
⑥国際的人道救援機構は、北朝鮮住民の飢餓とその他の経済難に対する認識を高め、より効果的に援助せよ。
⑦国連人権委員会が次の会議で北朝鮮の人権状況を検討し、具体的措置をとること。

(解説)北朝鮮は人権査察を受入れよ! 8.19国連人権小委決議圧倒的支持で採択さる 小川晴久

 韓国の市民連合からうれしいニュースが21日夜届いた。現地時間の19日ジュネーブの国連人権小委員会(差別反対・少数民族保護委員会)が北朝鮮人権問題の解決を求める決議を、昨年にひき続き採択したのである。

 このうち前進面を四点指摘したい。
一つは北朝鮮に国際人権機関による人権査察をを認めるよう促したこと。
二つめは53ケ国の代表からなる人権委員会になんらかの措置をとるよう促したこと。
三つめは北朝鮮の人権侵害状況が、より異体的に指摘されていること。
四つめは決議支持国が著しく増えていること(昨年は賛成13、反対4、棄権3、今年は賛成19、反対4、棄権1)である。

 北朝鮮は昨年の決議の直後、国際人権規約(自由権現約)から脱退したため、今回の国連人権小委員会に対しても、会議の外で26名の委員に対し、執拗に働きかけをしたという。それにもかかわらず反対票が半減した。北朝鮮の人権状況のひどさが、昨年反対票を投じた委員の間にも、徐々に知られてきたこと、国連人権規約からの脱退という破天荒の不誠実さが、こうした事態を生み出したのであろう。

 親委員会の国連人権委員会に求めた具体的措置の中には、特別報告官(Specil rapporteur)の設置が入っていることを期待したい。特別報告官が置かれれば、北朝鮮内部に入っての実地調査が行われる。北朝鮮がそれを拒否すれば、国連の一員としての批判を当然受けることになるわけである。

 それにしても日本のマスコミはどうして、このビッグニュースを報道しないのであろうか。

★9月19日 第2回街頭行動・第4回東京学習会のおしらせ

●街頭行動 午前11時半集合 銀座マリオン前にてビラまき(予定)
 9月の学習会 9月19日 2~5時 

日本人拉致問題 兵本達吉氏(元国会議員秘書)
於ベラミ(JR日暮里駅東口) TEL 03(3801)5545

金竜華問題について

 さる4月19日韓国から福岡県沖ノ島に密入国を試み、逮捕されて以来、福岡の支援者を中心に金竜華氏救援の運動がおきている。金竜華氏(45歳)自身の語るところによれば朝鮮人民軍に勤務したのち1982年、社会安全部第4、第12教化所指導員、86年咸興ハムン鉄道局タンチョン機関車隊乗務員指導員、88年7月25日に列車事故を理由に処罰されるのを恐れて中国に脱出。
 北京(92年)とハノイ(95年)の韓国大使館にそれぞれ亡命を申請し、いずれも失敗。95年6月25日で韓国にいたり亡命を申請したが受け入れられず、約1年半余の裁判の末、事態を打開できず、日本に救いを求めたという。
 守る会としては、北朝鮮に送られるおそれのある中国への強制送還はするなとの要望書を2回(6月1日と7月9日)、および抗議文を1回(6月21日)三人の共同代表名で発表した。

 7月9日の運営委員会では金竜華氏の主張する経歴に根本的な疑義も出された。このことも考慮して、7月9日付で、本人も望んでいる韓国亡命を実現するよう求める要望書を提出した。これが、この問題にたいする守る会の立場である。(なお、8月10日から強制退去処分の取り消しを求める裁判が福岡地裁で始まっていることを付言する)

要望書
 私ども北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会は、去る五月一五日、朝日新開一九九八年五月十一日朝刊が報じた金龍華氏について、氏が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を脱出した亡命者(難民)の可能性がある限り、氏の北朝鮮への強制送還だけは、難民条約第三十三条に基づきしないで欲しい旨、法務省人官局長と福岡入官局長宛に要望音をFAXで送りました。

 ところが五月二十八日の東京新聞朝刊の報道によれば、金龍華氏は中国政府が発給した身分証明書をもっており、中国政府に外務省が照会したところ、中国政府が自国民であると回答してきたので、近く中国に送還されることが決定的になつたという。

 私たち守る会はこの報道に大変憂慮をいだいています。
 金龍華氏が中国に送還されたあと、中国政府が北朝鮮政府の要求に応じて、また両国間の「犯罪人引き渡し協定」によって、氏を北朝鮮に送還したら、中国に送還することは事実上の北朝鮮への送還となります。そうなったとき氏の生命を保証するものは何もありません。
 日本政府は難民条約第三十三条を守る立場にあります。中国に送還する前に、中国政府から北朝鮮には送還せず、氏の安全を守るという確約を取りつけるべきです。この約束が文書で得られない以上、氏の中国への送還は中止すべきです。

 1人の人間の生命は地球よりも重いと言います。中国政府から右の約束を得られないならば、日本政府は難民条約の立場から、同氏の身を日本で保護し続けるべきでしょう。 以上のことを、強く要望します。

一九九八年六月一日
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
      共同代表 小川晴久
           金 民柱
           萩原 遼
 (東京中央郵便局私書箱五五一号)

法務大臣 下稲葉耕吉殿
眩務省人官局長 竹中耕吉殿
福岡入国管理局長殿

 要望書
 昨日(七月八日)金龍華氏に村し、日本の法務省から国外退去命令が出たことを私共は知りました。私共はすでに提出した要望書にも述べた通り、氏が中国へ強制送還された場合、氏が中国から北朝鮮に送られる危険性を非常に危惧いたします。
 そこで私共は緊急に新しい要望を提出致します。
 強制送還を執行するのであれば、中国へではなく、韓国政府と協議して、韓国におこなっていただきたいと。

 その理由は、金龍華氏が一九九五年六月二正目に韓国に亡命を求め、今年の三月まで、裁判でそれを追求していた経緯があり、この問題は人命を尊重する立場から、韓国で解決するべき問題であったし、今もそう考えるからです。この四月まで金龍華氏の身元引受人であった韓国の国会議員、金日柱氏が貴殿あて陳述書(一九九八年六月二十日)でそれを強く求めておられることも考慮さるべきです。 悪しき先例をつくらぬよう、人道的立場から強く要望いたします。

一九九八年七月九日  北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会

           共同代表 小川晴久
                金 民柱
                萩原 遼
     (東京中央郵便局私書箱五五一号)

法務大臣 下稲葉耕吉殿

とりくみすすむ関西大集会

すばらしいチラシができました。

1万5千枚配ります。大きな風がおきつつあります。
ひとり10枚以上のチケット をひろめる特別推進メンバーが30人以上うまれています。

歌手寺井一通さんがこの日の集会のために新曲「わたしたちは忘れない」を作曲中です。 ご期待下さい。

帰国者家族を励ます音楽と講演の集い成功に向けての皆様のご協力をお願いします!

  10月17日(土)午後2時エル・シアター(大阪天満橋エル・おおさか)関西で帰国者家族を励ます集会を1000人規模で成功させ、帰国者家族の長年にわたる筆舌に尽くし難い苦労を社会問題・人権問題として、広く理解を求める大切な機会にしたいと思います。

 問題の深刻さ・緊急性にくらべて社会の関心と理解があまりにも低い現状を一日も早く打開し、私たちの運動を飛翔させるために、この集いの成功に向けて、みなさんの力強い具体的なご支援をお願いいたします。

 寺井一通さん、朴聖姫さんのすばらしい歌につづいて、萩原遼さんの講演と帰国者家族の方々の実情報告、そして最後に、ふたたび寺井一通さん、朴聖姫さんのデュエットで帰国者家族を思う歌などを歌っていただきます。

 関西支部では10人の参加者を募ってくれる会員、あるいは5人の参加者を募ってくれる会員を多数組織し、会員の力で成功の基礎を固めたいと考えています。関西の会員のみなさん、よろしくお願いたします。

 また、全国の会員、支持者のみなさん、関西在住のお知り合いの方々にこの集いをご紹介ください。ご案内すべき人を関西支部にご連絡ください。

 関西支部では、民主無窮花、在日本韓国民団、労働組合など各種の団体にご協力をお願いするとともに、関西の各府県知事、主要都市の市長、衆参両院の国会議員、あるいは守る会として関係を強めるべき方々に招待状を送り、参加していただこうと考えています。

 各新聞社には催しもの紹介欄で紹介することや事前記事の掲載を依頼し、各種の団体にも機関紙などで取り上げてもらい、PRに協力してもらいます。
また、街のプレイガイドや書店でもチケットを販売してもらうなど、多様な流通ルートに乗せていこうと思います。
 どうか、みなさんの心からのご支援をお願いいたします。

帰り船をだそう

北の港清津へ
まだ見ぬ 北の港 清津へ
あなたを乗せた船が
雨と涙に 送られ
むかった港は 北の清津

あれから 30年の風が吹き
あの時の希望は
どこにいったの。
あなたもわたしも
もう 若くはなくて

朴聖姫さんが作詞し、中村八大さん作曲の「ああ清津へ」の一節です。            

一九五九年一二月、北に帰る帰国第一船が新潟港から北朝鮮の滑津へ向かって、もう三十九年。六千人の日本人妻をふくめて九万三千人の在日朝鮮人が旅立っていきました。
 その人たちはただの一度もこの日本にもどってこれません。里帰りも墓参りも、家族、親族、友人との再開もできないまま、年老いているのです。
 こんなことがこの地球上にあつていいのでしょうか。

 北朝鮮のをびしい食糧難で、帰国した人たちから救いを求める悲痛な手紙が家族のもとや日赤に何万通もとどいています。
 「せめて一カ月でも日本につれもどしてお腹いっぱい食べきせたい。病院に入れて治療してあげたい。往復の費用と滞在費は私たちでもちますから、どうか日本の政府は北朝鮮の政府と話しあつて家族をつれもどせるようはからってください。」
 ある在日の家族の声です。

 こうした切実な声に心を動かされた人たちが「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を一九九四年二月に東京で結成しました。小川晴久、金民柱、萩原遼の三氏が共同代表をつとめています。九六年六月には関西支部も生まれました。

 帰国者のなかには強制収容所に入れられて死んだ人や行方不明者もたくさんいることが手紙や人つての情報で伝わつてきます。日本にいる家族の心労はなみたいていではありません。

 この人たちが希望をなくさないためにも在日の人たちと日本の人たちで帰国者の問題を考えてください。そして力を貸してください。
 北の地からもう一度この日本にもどってこれるように、帰り船をだしましょう。

一九九八年七月二十七日  北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
      関西支部(音楽と講演の集いチラシより)

北朝鮮収容所の声がアメリカに届き始めた

 2、3年前から姜哲煥、安赫、李順玉の諸氏ら北朝鮮収容所刑務所体験者がアメリカに行き、訴えていた成果が今年に入って実を結びつつある。

 今年2月末姜哲換・李順玉両氏が招かれて2度目の訴えを行った。彼らを招いたDFF(防衛フォーラム基金)の会長スザンナ・ショルテ女史は米国議会内で公聴会が開かれるよう議会関係者に精力的な働きを展開しているという。

 5月にはアメリカの代表的季刊誌の1つ『Journal ofDemocracy』の共同編集者ラリー・ダイアモンド氏が姜哲煥,安赫,安明哲,李順玉ら諸氏をソウルに直接尋ね、インタビューを行った。
 7月4日には米国議会の前アジア太平洋委員会委員長ソラーズ氏がソウルを訪れ、前記諸氏と会見している。

 そして7月末には前記『Journal of Democracy』誌(第9巻第3号)が『北朝鮮収容所からの声』を特集した。(この政治誌は万単位の発行部数をもつといわれ、アメリカ国内はもとより、全世界の社会科学系の主要な大学研究室,研究所,図書館にも入っていて、その影響力は大きい。)私は去る7月18日の守る会主催の北朝鮮人権問題講座で、この特集の序論を全文訳して紹介したが、会員諸氏全員にも紹介したいと思う。(別項参照) 

 前記ラリー・ダイアモンド氏の書かれたものと思うが、非常に的確な認識と指摘である。姜哲煥ら収容所体験者の証言(手記)がいかに重要なものか、会員諸氏は再認識されるものと思う。彼らの手記の活用と普及に尽力していただきたい。またこれら手記の英語版の出版が急務であることをも語っている。
前記スザンナ・ショルテ女史は公聴会開催に向けて今、全力をあげておられる。
(小川 晴久)

北朝鮮強制収容所からの声ー米誌『ジャーナル・オブ・デモクラシ-』の序論-

  ここ数年、莫大な数の政治犯や囚人がぞっとするような人権の虐待を受けているという北朝鮮強制労働収容所に関する報告が世界を駆け巡っている。

 1988年のミネソタ弁護士会国際人権委員会による報告、アムネステイ・インターナショナルの1990年、1993年、1994年、1995年の報告に続いて、1997年度アメリカ国務省の人権報告書は北朝鮮に関して政治犯収容所についての沢山の報告と陳述を提出している。

 北朝鮮が現在世界で最も閉ざされた、堅固で、抑圧的な政治体制の一つであるという国際的な認識は確かに拡がっている。国連差別防止小数者保護小委員会(国連人権小委員会)は、1997年8月21日、北朝鮮で由々しき人権侵害が犯されている一貫し、一致した陳述があることへの関心を表明する決議を採択し、世界人権宣言の十分な尊重を北朝鮮政府に呼びかけた。

 しかしながら、現在まで、北朝鮮における人権侵害のスケールと組織的な性格については国際社会(国際世論)によく伝わっていない。その最大の問題は信頼できる明確な情報の欠如である。しかし、それが変わり始めている。

 最近数年間、北朝鮮からの脱出者が増えており、その中にもと政治犯や収容所の元警備兵が含まれていたのである。今までは閉ざされた北朝鮮の体制のため脱出者たちの報告を細部まで立証することは不可能であったが、元政治犯や警備員のその目で見た説明や個人的体験は、北朝鮮のグーラーク(強制収容所)としかよべないようなテロと恥辱と奴隷労働の巨大なシステムを私たちに知らせてくれる。それは驚くべき光景である。
 1998年5月『ジャーナル・オブ・デモクラシー』誌の共同編集者、ラリー・ダイアモンド氏は、北朝鮮の元政治犯と元警備員、そして彼ら亡命者とともに活動している韓国の市民団体(北朝鮮政治犯救援市民連合)の活動家たちとソウルで会見した。彼らの証言は矛盾がなく、説得力があり、そして人をつき動かさずにはおかないものであった。ダイアモンド氏がそこで確認した主なものは次の通りである。

1.北朝鮮の体制は、拷問、投獄、強制自白、そして巨大なスケールの奴隷労働を行使している。その奴隷労働は、わずかな不同意も自由な質問も許されないものであり、国内の消費と輸出用の両方にわたる広範囲の生産物を生産している。

2.ソウルの北韓人権改善堆進本部は、現在北朝鮮に10を越える強制収容所があり、約20万人が囚われていると推定している。彼らの罪は、外国の新聞の閲読、外国の放送の受信、食料事情への不満、役人の恣意的要求への拒絶、外国人との会話、許可なき外国旅行、独裁者金正日の権威を侮辱する行為などである。

3.半世紀にわたって、個人の自由と刺激(誘因)をグロテスクに歪め続けて来たため、北朝鮮はその重みに耐えかねて破壊せんとしている。それに応じて北朝鮮経済は生き残るために、特に外貨を稼ぐために一層奴隷労働の依存を高めている。政治犯と強制収容所は、収容所当局がいかなる犠牲を払ってでも達成しなければならない月別、四半期別、年間別生産割り当て(ノルマ)を持っている。このノルマを達成するため、苛酷な条件のため死去したかなりの数の囚人を補うための新しい政治犯(政治囚)の補給を収容所当局は穫得しなければならない。

4.懲罰的労働要求、ひどい栄養不足、くりかえされる恣意的な処刑などの残酷な条件の結果、前記北韓人権改善推進本部は、1972年金日成によって収容所が創設されて以来約40万人の政治犯が死んだと推定している。

 これらの説明は、個人を強くつき動かすだけでなく、世界中の人権組織や民主的な政府、国際機関からより力強い関心を引く実践例(practices)を提供している。北朝鮮体制が恐れている一つのことは、国際社会による摘発と非難である。このことは会見した元政治犯と元警備兵が繰り返し同意し、強調した点である。これらの刑務所や収容所を国際査察の対象にし、そこでの人権迫害を止めようという国際的な要求が多くの生命を救い多くの犠牲を緩和することができると彼らは確信をもって主張した。北朝鮮のグーラーク(強制収容所)を閉鎖することが、北朝鮮の意味のある解放のいかなるプロセスにとっても必須条件であることを彼らは強調した。

(小川 晴久訳)
JOURNAL OF DEMOCRACY第9巻第3号、1998年7月所載

第2回関西支部講座 「私の体験した在日朝鮮人運動パートⅡ」講師:梁永厚(ヤン・ヨンフ)先生(現在大阪女子大、関西大等の講師)                            

(講演要旨) 青年期から壮年期にかけて二十年以上にわたってやってきた運動は、自分一人でやって来たことではなく多くの子供達とかかわってきた。多くの子供達に影響を与え、いわゆる帰国運動にも賛成した。帰国した子供達は今、成人してどのように暮らしているのか。幸せに暮らしているものはほとんどいないのではないか。このことを、帰国した人たちの明日に重ねて、新しい
切り口を開いて行かねばならない、そんな意味で、運動がどんなものであったか、私のささやかな体験をお話しようと思います。

 朝連は46年初めにすでに、共産党のフラクション、裏で朝連をどうするか決定する金天海を中心とするグループが存在していました。金天海については宮崎学という人が、『不達者』という本を書いています。

 この朝連の時期は、一言で言いますと、「日本の民主革命なくして、在日朝鮮人の解放はないんだ」という共産党の考え方に依るものでした。朝鮮人連盟の結成から解散まで、中心で活動した同胞集団は、共産党の実働部隊としての役割を負わされ、そしてたくさんの犠牲が出ました。

 この方針のために朝鮮人運動は、占領軍及び日本政府から非常に疎まれ、1948年の民族教育をめぐる教育事件から、49年9月に朝連は解散命令を受けます。

 朝連解散後、50年代に入って、民戦つまり在日朝鮮統一民主戦線が結成されました。これを結成に導いたのは共産党ではありません。戦前の活動家李康勲イ・ガンフン氏の呼びかけによるものです。この時期どうしたことか、いくつかの学校が売られてしまいます。同胞が血と汗で築いたものを切り売りするというありさまでした。

 この民戦に共産党も乗るわけですが、韓徳銖ハン・ドクスは李康勲に反感を持ちました。結局韓徳銖や共産党系の指導者により、李康勲は49年に、民戦からの除名処分を受けてしまいました。

 54年になると世界の動きも大きく変わります。
 共和国からの平和路線によるメッセージが右の人にも送られてきました。祖国平和統一促進協議会が左右合同で結成されます。韓徳銖がこれはCIAの陰謀であるとして反対します。

 民戦は1955年5月の第6回大会をもって発展的に解散しその翌日朝鮮総連が結成されました。
 朝鮮総連の結成当時、韓徳銖は主導権を持っておりませんでした。古い活動家と韓徳銖による議長団制を取っておりました。また組織は民主的な体質を持っていました。

 金日成をバックにすることによって、また北の教育援助費を利用することによって韓徳銖は力を伸ばしていきますが、共産党の指導を受けた路線を歩むものは、新たな「内鮮一体」ではないかと批判してきました。民族の主体性をなくした活動だというのですが、ひどい言い方だと思います。しかし多くの人が韓徳銖派になびいていきました。これは議論によるというよりも多数派工作に
よるものだったでしょう。北からの教育援助費も大きな働きをします。

 そして1957年の総連第3回大会を迎えます。韓徳銖派は民対派(元の日本共産党民族対策部にいた朝鮮人幹部)との間で激しく主導権争いをし、自分たちを先に悟った先覚派と言っておりました。私は運動方針の転換について納得できませんでした。そして非常に疎まれました。
 第3回大会は結論を見ずに延期になります。

(文責関西支部)

(ここで時間がなくなり、若干の質疑のあと、つづきの80年以降を主にしたお
話は会を改めてしていただくことになりました。)

関西支部だより

 7月25日に開かれた第2回関西支部講座では、前回につづいて梁永厚先生が「私の経験した在日朝鮮人運動パートⅡ」と題して、2時間半に及ぶ講演がありました。参加者は17人でした。内容の要旨は別項の通りですが、前回のお話の補足、在日本朝鮮人連盟時代以降の日本共産党員グループの役割、在日朝鮮統一民主戦線時代の問題、吹田事件や朝鮮戦争時の民族教育、韓徳銖の実像などについて詳細にお話しいただきました。
 しかし、現代の問題にまで言及するには、まだまだ時間が足らず、もう1回改めて80年代以降の問題をお話いただくことになりました。先生のご予定などもあって日時は未定ですが、9月か11月になると思います。いよいよ次回は私たちの最も関心の高いテーマになります。

日程が決まり次第ご連絡いたしますので、ご期待下さい。

第4回関西支部講座 9月26日(土) 5時~8時

「どこへ行く、北朝鮮新体制」 講師 萩原 遼さん(守る会共同代表)

会場大阪経済大学E館7階  阪急京都線 上新庄駅下車徒歩12分

市バス 井高野車庫行き 大阪経済大学前下車すぐ

北朝鮮の人権状況と「守る会」 北朝鮮情勢と北当局の反応

 1998年4月19日 朝鮮帰国者の生命と人権を守る会98年度総会。

今年度活動方針は

①「出でよ100人の証言者」運動推進

②在日朝鮮人帰国者の里帰り実現を求め、基金を創設(帰り船基金=仮称)

③曺浩平さん一家真相解明、横田めぐみさん拉致日本人救出運動推進

④国会、日赤、人権NGO、マスコミへ働きかけ強化 

⑤学習会、講演会の定期開催

⑥規約検討小委員会設置一など。

 5月23日 アジア宗教者平和会議主催の北朝鮮食料支援東京シンポジウムで、勧告の民族助けあい仏教運動本部は、北朝鮮難民770人に面談した「最近北朝鮮食糧難の実態」との調査結果報告書を公表。難民家族の総数4,121人の27%1,107人が餓死、または飢餓と病気の合併で死亡。推定し北朝鮮住民2,200万人のうち300万人以上死亡の恐れと報告。

 25日 韓国外交通商省は北朝鮮からの亡命者5人が滞在先の第三国から空路ソウルに到着したと発表。夫婦と子供二人を連れた男性で、96年12月と97年9月にそれぞれ北朝鮮を脱出。

 ソウル発時事。北朝鮮は同日,板門店を通じ朝鮮戦争の行方不明米兵の遺骨二柱を返還した。

 6月28日 平壌市の第666選挙区は金正日労倒党総書記を最高人民会議第10期代議員選挙の候補者に推戴。以後、各地の選挙区で同氏推戴の動き。

 7月24日 米紙ウォール・ストリートジャーナル。米当局者は北朝鮮で反体制的動きの兆候が見られ、同国は崩壊過程にあるとの見方示す。北では脱走兵が増加、米国防総省の内部報告書によると、北東部の駐屯部隊が1995年にクーデターを計画。同省当局者は「時は依然としてわれわれに味方をしており相手側は崩壊過程にある」と述べた。

 8月8日 朝鮮中央放送。7日付労働新聞は「いわゆる“太陽政策”は反北対決論の裏返しである」と論評掲載。「南朝鮮傀儡当局らは中身のない言葉で政治を行い『太陽政策』を持ち出して何かを行うかのように無駄口をたたいている。政治的自主性も哲学も政治的見織も持たない植民地カカシであるにもかかわらず虚勢を張るその姿には誰もツバを吐かずにはいられない」

12日 産経新聞。7月26日に実施された最高人民会議(国会)第10期代議員選挙の当選者名簿678人をラヂオプレス(RP)が、同28日付労働新聞のハングル文字から分析。新人が407人で全体の6割におよび、軍人の割合も86人(新人54人)13%と増加(前回は3%)。姜成山首相ら12人の現職閣僚の名が代議員名簿になかった。

17日 米紙ニューヨーク・タイムズ。複数の米政府関係者憎報によれば、米情報当局が偵察衛生で北朝鮮の新たな核開発計画の中心とみられる巨大な地下施設を寧辺の北東40キロの地点に見つけた。作業員数千人が同地点に集まっている様子をとらえた。米政府は議会と韓国政府関係者に地下に原子炉と再処理施設を建設の恐れと仕えた。

18日 米紙ワシントン・ポスト。米情報関係者の話では地下施設の建設現場では約1万50OO人が作業、2-6年以内に完成の模様。キヤラハン下院歳出委外交活動小委員長は「建設が事実なら核合意の再評価が必要」と米政府に徹底調査を要求。

19日 北京発時事。北朝鮮食料事情を視察した米下院国際関係委員会の調査団は記者会見し、四者協議再開の前提として、米側に食料100万トンの追加支援を要求。また、弾道ミサイルの輸出中止の見返りに年間55億ドルの補償金を要求。

 調査団は食糧危機については、信頼すべき筋の話としてこの3年間で少なくとも合計90万人から240万人が食糧不足で死亡との推計を示した。

20日 朝鮮中央放送 朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議の常設会議は、最高人民会議第10期第1回同会議を9月5日平壌で召集を決定。国家主席に金正日労働党総書記が選出される見通し。

21日 米国と北朝鮮による高官協議がニューヨークの米国連代表部で再開。

 韓国国防省は、北朝鮮からの化学・生物兵器攻撃に対処するため、来年9月までに陸軍本部に防護司令部施設を発表。同省関係者は「北朝鮮は核兵器以上の殺傷能力を持った化学・生物兵器を生産し、休戦ライン側沿いに配置している」と説明。

科学的社会主義の再生を! キム・ググン(金国雄)

 東京、大阪での集会、学習会になかなか参加する事のできない地方会員にとって、「カルメギ」6月号(No.22)での金鉄雄氏の「第1回東京学習会報告」は、学習会の内容、雰囲気を知る事ができ大変参考になります。

 報告の中では、国際的にも人権確立・擁護が普遍的になってきた中で、いまなお北朝鮮において人権侵害と自由抑圧がなされている状況を国連人権委員会の動きからも説明されていました。

 また在日として、現在の北朝鮮支配体制を考え、反対し闘って行く上で主体思想をいかに総括しどのように位置づけるかは、とても大切な事と思います。今回の学習会ではその事が議論されたようですが、私はその事に大変関心を持っています。また、これからの大切な課題と考えます。

 また、討論会での「北朝鮮が社会主義社会であるのかないのか」との議論に関し、私は在日の科学的社会主義者として「北朝鮮の社会体制は社会主義、共産主義とはまったく無縁な社会であり個人崇拝を柱とする専制体制である」と認識しています。

 人民の護民官でなければならないとする共産主義者にあっては、人民の先頭に立ち独裁・専制体制に反村し、国民の自由獲得を目指し闘うことは最も重要な責務です。その為にも私は、以下の呼びかけを現在おこなっています。

 私は子供の頃より、社会主義・共産主義に憧れ希望を持ち続けてきました。それは今でも決して変わることなく、逆に今もっとも大切な事と考えています。

 在日の子供にとって、当時の日本の社会は素晴らしい反面教師でした。そのお陰で、私は自由、平等というものに強烈に憧れました。それ故、共産主義を学ぶために高校より朝鮮学校に転校し独自に共産主義の勉強をしていました。

 しかし、当時(60年代後半)の朝鮮学校はすでに金日成主義一色でした。はじめは、民族の英雄として肯定的に考えていました。そして、いずれ北朝鮮へ帰り祖国の社会主義建設の為、この一生を尽くすつもりでいました。

 それは当時、帰国船で帰っていった人々の誰もが持ち合わせていた純粋な思いであったと自分自身を振り返ってもその様に考えます。今日、北朝鮮へ帰国された人々の運命を思うにつけ、決して他人事でなく自分自身の運命でもあったと思っています。

 当時、共産主義(現在は科学的社会主義)を学ぶにつけて、金日成主義が決っして社会主義でも共産主義でもない、ただの個人崇拝主義であると思うようになっていきました。そして何れ、経済の破局が訪れる事を確信していました。また当時のソ連や中国、東欧等の共産圏と呼ばれる国々も、何れ倒れざるを得ないと思っていました。        

 いつの日にか皆が、金日成主義の呪縛より解き放たれ真の社会主義、共産主義を目指す事を願い、また、金日成独裁体制に手を貸す事はでさないと学校を飛び出し、日本全国を放浪しました。

 90年代初頭、ソ連、東欧諸国が崩壊し、やっとこの様な時代が訪れたことに北朝鮮変革の望みを強くしました。しかし、総連関係者を見てもこの日本にいて素直な目で見れば、北朝鮮の体制が社会主義でも共産主義でもない、ただの専制体制でしかないことを未だ理解しようともしない人たちがいることに、またここまで来ても知らない振りを通す事に、憤りを禁じ得ません。それゆえ、共産主義者として闘う事を誓い、組織する事を目指して活動を始めています。

 勿論、状況に大きな違いがあるにしても、未だに国家保安法が存在し国民を抑圧する韓国の体制に対しても反対をするものです。どんな体制であれ、人々を抑圧、弾圧する事は許されないと考えます。歴史は必ず、人類の自由の発展に向かって前進します。

 私は科学的社会主義者として、祖国、韓国・北朝鮮において徹底して民主化が押し進められる事を望んでいます。また、この日本に於いても、在日の人々を含め、すべての人々が自由、平等、平和、そして夢と希望を持って幸せに生きていくことができるような社会になることを願っています。

 しかし、私一人で行うことではなく、また、できる事ではありません。科学的社会主義を信じておられる方が、同胞の中にいるならば共に闘っていきましょう。その様な方へ、私のメッセージをお送りしたいと思います。

 韓国・朝鮮民族が科学的社会主義を失ってどれほどの歴史が経ったでしょうか。遡れば、ソ連と共に金日成が登場してきた時代、すなわちスターリン体制が北朝鮮を席巻した時まで遡るのかもしれません。

 社会主義・共産主義は本来、人間をあらゆる抑圧から解放し、自由で平和な社会を目指すものです。人間にとって、自由、平等、平和ほど尊いものはない。在日は身を持って知ったはずです。 

 我々は何故、この日本で生まれなければならなかったのか。本来ならば、人間としてどこに生まれようとも、自由と幸せにいきる権利が当然備わっています。60年代を中心にして、多くの同胞が社会主義に希望を託し帰国しましたが、当時より社会主義は存在していなかった事が、今では多くの人々の目にも明らかです。

 主体思想という金日成崇拝の観念論によって、社会主義が潜称され、計画経済の名の下、統制経済が多くの国民的エネルギーを支配者の奢侈生活の為によって浪費され、残ったのは暗澹たる貧民社会です。人によっては、物乞い経済といい、どこに社会主義があったのでしょうか。

 その事を、私たちは冷厳に見つめ直し、社会主義を取り戻さなくてはなりません。今日の在日にとっても政治はもっとも大切な事です。

 科学的社会主義者は、自由と民主主義の先頭に立って闘わなければなりません。その為にも結集しましょう。
 同じ思いの方がおられましたなら連絡を下さい。連絡先は、事務局に聞けばわかります。或いは、インターネットで流していますのでメールにてお寄せ下さい。     

「在日コリアン科学的社会主義者ネットワーク」
 URL http:〃www.02.so-net.ne.jp/~democrat/
 E-MAIL freeman@za2.so-net.ne.jp/

この人に聞く 山田文明(49歳)関西・音楽と講演の集いに燃える (聞き手 萩原遼)

 守る会関西支部の事務局長。秋の関西での「帰国者家族を励ます音楽と講演の集い」を成功させる「すいしんメンバー」の中心です。大阪経済大学助教授で、専門は経営情報。関西支部を今年未には五百人にしたいと大きな構想をねっています。

萩原 遼
萩原 遼

日朝友好運動は高校生のころからと聞いていますが。

山田文明
山田文明

一九六五、六年でした。発展する北朝鮮の実情を描いた「チョンリマ」という映画があり、高校生でしたが仲間をつのってバス一台したてて観にいきました。社会主義朝鮮はすばらしいと思いました。

萩原 遼
萩原 遼

それがいま大きく変わったのは?

山田文明
山田文明

一九八七年の大韓航空機爆破の金賢姫問題ですね。国家が工作員を養成し、テロ活動を推進する。おどろくべき集団だと思いました。その後、北朝鮮に拉致され脱出した韓国の映画監督の辛相玉さんの書いた『闇からの谺(こだま)』や朴春仙さんの『銃殺された兄を返せ』などを読んで北朝鮮の人権無視の実態はただごとではないと思うようになりました。

萩原 遼
萩原 遼

あのころはみんなだまされていたということですか。

山田文明
山田文明

わたしもその一人でしょう。思い込んでいたことが事実でなかったなら、そのお返しをしなければならないという気持ちです。それをどう行動に移すか。

萩原 遼
萩原 遼

帰国者の問題にとりくむきっかけは?

山田文明
山田文明

守る会の在日家族のお話を聞くなかで帰国者の悲惨な状況と、骨身を削って援助している在日の家族の苦労を知り、これは社会問題だ、人権問題だと理解するようになりました。

新聞はアフリカの飢蛾や、ミャンマーの人権侵害などはとりあげても隣の北朝鮮の人権問題はとりあげない。日本の民主主義の意識がはたしてまともかどうか検証されていると思えてならないのです。

萩原 遼
萩原 遼

関西支部は結成二年あまりで着実に発展していますね。

山田文明
山田文明

やはり関西は在日の方も多いですから、帰国者もその家族も、帰国運動にかかわった人も多いですね。その人からの最新の情報や事実をカルメギに送りたいと思います.早く5百人の関西支部にして事務所も持ちたいと思います。

萩原 遼
萩原 遼

そのためには秋の大集会の成功がどうしても必要ですね。

山田文明
山田文明

八百人の座席を満員にすること、そのために三人の人にチケットを広めていただく「すいしんメンバー」百人をまずつくる、そのなかの三十人は「特別すいしんメンバー」として十枚以上広めていただきたいと考えています。関西の会員のかたはもとより全国のかたがたもなにとぞよろしくお願いします。

萩原 遼
萩原 遼

カルメギもそのためにがんばります。

 

 

(聞き手 萩原 遼)

安明進氏講演会報告  三浦小太郎

 今夏8月、北朝鮮工作員で韓国に亡命した安明進アン・ミョンジン氏が、北朝鮮に拉致された日本人を救出する会(略して「救う会」)の招さにより来日、1日の新潟集会をかわきりに全国6カ所にて講演会・集会が催された。

 私(三浦)は、2日め柏崎集会と4日の東京集会に参加することができた。2回とも現代コリアの佐藤勝巳氏が安氏とともに講演を行い、安氏の同時通訳は西岡力氏が努めた。

 柏崎の集会は、「蓮池薫さん、奥土佑木子さんを救おう柏崎の集い」と題され、同地で20年前に拉致された両氏のご家族、友人、学友の方々が実行委員となり、約600名の人々が集まった。会場である柏崎市民会緒は、蓮池さんが演劇の舞台として立ったことがあるという。蓮池さん、奥土さんを思う地元の暖かかい心が会場に満ちあふれた集会となった。

 佐藤勝巳氏の現状報告に続いて安氏が壇上にのぼる。安氏はまず、拉致事件が続発するのは1970年代以降、金正日が正式に後継者となり、対南工作の実権を握ってからだと説明した。金正日はこれまでの工作活動を全て失敗と見なし、今後「現地人化教育」を徹底せよと指令を下した。

 これは日本、韓国、アラブなど、工作員を派遣する予定の国民を教官として必要だから拉致してこい、と言う指令であり、直ちに実行に移された。特に日本への潜入は「食事をしてトイレに行くことよりも簡単」といわれ、成績の余りよくないものほど対日工作に回される。
 安氏はこの指令は現在でも取り消されてはいないだろう、会場の皆さんが自分の友人、妻、子ども、何よりも自分自身の問題としてこの拉致問題を捉えて欲しいと述べた。さらに、アメリカやレバノンの例を挙げ、何故日本政府は自国民の救出の為にもっと全力を挙げないのか、不思議でならないと語った。

 さらに、日本の一部政治家に北への食糧援助や国交回復を推進し、それによって拉致問題の解決を図ろうという意見があることを述べた後、これは北の実情を全く知らない人の意見であり、北はもし日本が譲歩すれば莫大な援助や戦前の保障を要求し、それを得た後は拉致のことを持ち出してもただ無視するか、後はうるさいことを言うのならば交渉は打ち切ると言い出すだろう、今や偽札、麻薬、武器輸出を国家ぐるみで行っている国には常識は通用しないと指摘した。

 最後に自分が北で出会った拉致された日本人教官たちのことが今でも目に浮かぶと述べ、また帰国者、日本人妻の方々も、人質とされ、どんなにつらい思いをしているのか計り知れない、それでも日本に来た人達は金正日万歳と言わなければならない、その心中の血が滲む様なおもいを察してあげて欲しい。

 2000万の圧政に苦しむ北の国民のため、拉致された人々のため、私は真実を語る決心をした。もしも日本政府が認めてくれるのならば、私は日本の議員団とともに北に赴き、証人として拉致事件の真相を究明する用意がある、どうか皆さん日本国民の力で政府を動かして欲しいと結び、盛んな拍手を浴びていた。

 続いては拉致された蓮池さん、奥土さんらご家族が救援を訴え、蓮池透さん(薫さんのご兄弟)が、「私達家族はもう待つことに疲れました。集まってくださった皆様には感謝の言葉もありませんが、本当ならこのような集会はせずに済んでほしかった。国民を救うための外交一つできない、この国の現状をどうか皆さんが変えてください。」と語った。

帰国者からの手紙食にもこと欠くなかで、母の還暦祝いが頑が痛いです

(あいさつ部分省略)
 こちらから電話を一回かけるのもほんとにたいへんです。こんども電報をうけとって母が電話しようと平城というところに歩いて行きましたがピョンヤンに行って電話するより10倍も高いためお金がなくもどってきました。

 ピョンヤンには勝手に出入りできず何日も努力してみましたが、やむなく◯◯が自転車に乗ってやっと電話をかけてもどってきました。

 おばさん、来年5月9日陰暦がわたしの母の還暦です。こちらに来られる気持ちはありませんか。おばさんが歩くのがたいへんだということはわたしたちも知らないわけではありません。しかし(日本にいる)おばさんたちはいくら苦しいといっても兄弟たちがたがいに支えあっていきていますが、こちらには身近な人ひとりなく、病気の夫をかかえ子供7人を育て苦労ばかりの母です。おばさんが、足が大変とは言え、母に会う最後となるでしょう。

 わたしたちも子供の義理をまもって還暦祝いをりっぱにしてあげたいと思いますが、思うばかりで、きょう食べることもたいへんで心配ばかりしています。

 おばさん、荷物を送って下さる気持ちがおありならできればナイロンの花柄ふろしきでダンボールを送って下さい。いまきびしい生活をしているわたしたちにはどんな物でも助かります。できれば冬服、毛の下着、同じもので送って下さい。寒く、お腹がすいて、冬がほんとにたいへんです。

 おばさんにふさわしくない、いやな話ですが、昨年電報を受け取り待っていたところ、生活があまりに苦しくて、手紙を仲介してくれた家からお金12万¥借りて使ったところ毎日のように借金の督促で、母は頭を痛めています。日本ではこのくらいの金はたいしたことのない金でしょうが、わたしたちには全家族が10年稼いでも払えない金です。そんなわけで、おばさんが可能ならすこし助けて下さい。たいへんならむりに送らなくてもけっこうです。

 こちらから一度も助けることができず手を出して負担をおかけするばかりで、申し訳ありません。なんとかして負担をおかけするまいとしても、あまりに生きていくのがしんどくて面目ないと知りつつもお願いするのですから、おばさんも怒らずに寛大に理解して、すこし助けて下さい。

1998.6.19 甥◯◯拝

花柄のふろしきでをダンボール送って下さるとわたしたちの生活に大変助かります。どうかお忘れなく

 ひところ割合かんたんにかけられた電話が最近厳しく制限されていることもこの手紙から良く分かる。(編集部)

入会を申しこんでこられた看護婦さんの手紙

  私は育児休業中の看護婦です。来年より復職する予定です。特技など特にありませんが、何かできること等あればと思っています。
 北朝鮮の本を読むたびに心が痛みます。他の国にはマスコミも協力して助けているのに、何故、北朝鮮のことになると何の努力もしないのでしょう。

 勉強会にも出席したいのですが、子供が小さく、出席できるかどうかまだ分かりません。いつか北朝鮮のベールが開いた時には、ぜひ栄養失調になっているたくさんの人達の看護ができればと思います。そうなるように今の私にできることは何があるのでしようか。考えてもお金を送ることくらいしか思いつきません。それも小額ですいません。来年からはもう少し都合がつくと思います。同じ人間として北朝鮮は許せないと思います。いいかげんな気持ではありません。入会させてはしいと思います。

関西在住 K.S.

編集後記

▼残暑がつづきますがお変わりありませんか。今号は合併号(2月と8月の年2回)です。締め切り間ぎわに国連人権小委の決議のニュースがとびこんできました。この決議全文の入手などのため発行が数日遅れました。この決議の意義は小川解説に明快に記されています。北朝鮮への無条件援助によって譲歩を引きだすといういわゆる“軟着陸”論が国連の場でも疑問が出されているあらわれです。 (遼)

▼本号がみなさまのお手元に届くころには、守る会は初の街頭行動(東京)を終えた後と思います。帰国事業がどれほどの悲劇をもたらし、今、北朝鮮で帰国者の方々がいかに苦しんでいるのかもっともっと、広く国民に訴えていきましょう。 (三浦)

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