北朝鮮帰還事業で北送された在日朝鮮人の女性がどのような扱いを受けたのか?
父親がスパイ罪で捕まり、収容所送りとなり、日本の親戚に手紙を送ろうとして見つかり、過酷な拷問の末に殺される。
そんな在日朝鮮人女性の末路を、『北朝鮮 絶望収容所』から紹介します。
冒頭の絵は、『北朝鮮全巨里(チョンゴリ)教化所―人道犯罪の現場』P128より、一番近いイメージの絵を引用しました。
目を見開いたまま死んだ娘
収容所内にある東浦地区の拘留所(完全統制区域内の刑務所とでもいうべき存在。実態は政治犯に対する懲罰所)に金福徳という当時二十六歳の女性がいた。
彼女は六二年に日本からの帰国船で両親とともに北朝鮮に戻ったが、父親がスパイ罪で捕らえられ、母親と彼女は収容所に連れてこられた。
母親は13号収容所で飢え死にし、長女である彼女は父親の無実を訴え続けるとともに、自分を日本に送り返してくれと担当保衛員に哀願した。しかし、両方とも聞き入れられるわけはなく、逆に、まだ資本主義の思想が抜けていないと見なされ、拘留所に入れられてしまったという。
拘留所に入れられ鞭打ちと飢えの苦痛に耐えている彼女の哀れな姿が、拘留所の戒護員・崔哲南特士の目に止まった。
崔特士は彼女と言葉を交わすうちに同情と憐憫の情を募らせ、取り調べをするという口実をもうけては彼女を拘留所の戒護室に呼び出して、しばしば密会の機会をつくっていたようだ。
崔特士は家から鶏汁と、時には餅まで持ってきて彼女に食べさせた。そのような形で二人の逢引きが重ねられていった。
福徳は手厚く接してくれる崔特士に、日本の大実業家である親戚に手紙を書くので郵送してほしいと頼んだ。もし成功すれば、そのお礼に自家用車を、それが難しければ自動車を買えるだけのお金をあげる、とさえ言ったそうだ。
大金を与えるという約束と彼女への同情から、崔特士は彼女に紙と鉛筆を与え、彼女は他の戒護員の目を盗みながら、拘留所内で一字一字手紙を書きつづっていった。
しかし、その手紙が別の戒護員に発見されてしまったのだ。
(中略)
手紙には、日本にいる叔父と叔母たちに、北朝鮮に帰国して以来のことが綿々と書かれていた。
父はスパイの濡れぎぬを着せられて逮捕され、その夜のうちに家族は収容所に収監された。父親が生きているか死んでいるかもわからず、母は子供たちが飢えていくのを見かねて、自分の食事を子供たちに与え続けたため、とうとう自分自身が餓死してしまった。
そんな内容だったという。
十七歳で収容所に入れられ、夜ごと母親から日本にいる叔父や叔母たちの話を聞いていた。母は臨終の際に、彼女だけでも生き残って日本に渡り、自分たち家族がどんなにひどい扱いを受けたかを伝えてくれ、と涙を浮かべながら言った。在日同胞が自分たちのように騙されて、北朝鮮に帰国することが今後ないように、と。それが母の遺言だった。
などとも書かれていたという。
この手紙を読んだ戒護員は、これを非常事態だとしてすぐさま保衛課長に報告した。金福徳は保衛一課に連れていかれ、そこで集中的に尋問が行なわれた。
しかし、保衛課長の参席のもとで実施された尋問は、それに名を借りた凄絶な拷問だったのである。
「誰がお前に紙と鉛筆を与えたんだ!」
金福徳は、鞭打たれても決して囗を割らなかった。
(中略)
福徳がそんな仕打ちをされているなどつゆ知らず、その日果樹園でたまたま蛇を生け捕りにした崔特士は、家で蛇酒でもつくろうと、持ち帰るために1メートルほどの蛇を紐で縛った。それを持って入っていった戒護員の事務所に、尋問疲れでたまたま休憩をとっていた保衛課長がいた。
崔特士が捕まえてきたた蛇を見た保衛課長は、思い浮かぶことがあったのか、その蛇をつかみ、尋問室に入っていった。そして、半死半生になるまで鞭を受けて気絶している金福徳の服を、すべてはぎ取ってしまったのだ。
政治部部長と政治部教養課の指導員、保衛課長の三人で、彼女の手足を大の字に広げて縛りつけ、冷たい水を浴びせた。
気がついた金福徳は起き上がろうとしたが、素っ裸にされたうえ、手と足が縛られているのに驚いて周囲を見回した。
「アマっ、これに我慢できるかな」
保衛課長は彼女の陰部に生きた蛇の頭を押しつけた。蛇は陰部にもぐりこもうとして、銀鱗がぬめりと光るその体をくねらせる。
「助けてください。そればかりは勘弁してください」
「協力者の名前を言う気になったのか」
「は、はい、私か間違っていました。崔先生が手伝ってくれたのです」と声を挙げて泣き出した。「崔先生」といえば、戒護員の崔哲南特士しかいない。保衛課長は協力者が崔哲南と知ると唖然とした。
崔哲南は、党への強い忠誠心が高く評価されて早くから入党が許された人物で、生活態度も申し分かい、性格も温順で、いつも保衛課の模範として称賛されていた。当の保衛課長自身が最も信頼していた人物の一人でもあった。
その崔哲南特士が協力者であったという事実を知っているのが自分ひとりだったなら、彼女を殺してしまえばその事実を闇に葬ることもできる。しかし、この件はすでに政治部のみならず7局にまで報告されていたために、事態を秘密裡に処理することはすでに不可能になっていた。
下手なかばい立てはもはやできない。そればかりか、自分の部下がかかわったこのような事件が公になれば、保衛課長自身も当然責任をとらなければならない。
当事者である崔特士はもちろんだが、自分にまで災いが降りかかるとわかると、保衛課長は狼狽し、怒り、すべての元凶は福徳だとばかりに彼女への拷問をさらにエスカレートさせたのである。
まず、彼は外で餌を食べていた犬を引っぱってくると、金福徳に「犬のチンポコをなめれば許してやる」と言った。「許す」という言葉に彼女は恥辱を飲み込み、命ぜられるままに犬の陰茎をなめたのだった。
犬がもがきわめくと、保衛課長は犬を追い払い、彼女への尋問を再開した。一緒にいた政治部部長(中佐)と教養指導員(小佐)も、福徳と崔特士の関係を知りたくて身を乗り出した。
「おまえ、崔特士と何回浮気をしたんだ?」
「浮気などしていません」
「ほんとうにしていないのか。またひどい目に遭わせるぞ」一糸まとわぬ彼女への執拗な尋問が続く。
(中略)
浮気、つまり性の交わりをしたとなると、食べ物の供与よりもさらに重罪になる。保衛員と政治犯が一緒に寝たということは、政治犯を同等の人間として扱ったということになり、政治的変節者と見なされるからだ、彼女は恩義のある崔特士を重罪からだけは守るために、浮気だけはしていない」と言い張ったわけである。
繰り返される同じ尋問に彼女が否定し続けると、業を煮やした尋問者たちは火かき棒を持って入ってきた。
火かき棒はトネリコの木でできており、長さは約七十センチ、男根よりも少し太い。
「このアマ、泣かないで耐えてみろ」
保衛課長は彼女の陰部にその火かき棒を押し込んだ。苦悶の声が尋問室に響きわたる。執拗な尋問。否定、否定、否定……。そのたびごとに、火かき棒の動きは激しさを増す。ほぼ二時間にわたって、そんな責めが延々と繰り返された。そして、ついに彼女は、
「五回しました」
と絶え入るような声で自白したのだった。
それを聞いた保衛課長は部下の不始末に対する満身の憤怒を込めて、陰部に突き立てられた火かき棒を蹴りつけたのである。錯乱し、恐怖に脅え、悶え苦しんだ金福徳は、「う、う……」という声を上げて、そのまま息絶えた。服をはぎ取られ、大の字に縛られ、蛇で脅され、犬を使って辱められ、七十センチもの火かき棒を押し込まれた彼女は、最後には目も閉じずに死んでいったのだった。
『北朝鮮 絶望収容所 (ワニ文庫)』P188-195
『北朝鮮 絶望収容所』安明哲著