かるめぎ No.41 2001.11.01

会報『かるめぎ』の過去号を、旧サイトから、順次こちらにアップしていきます。この機会に、過去の『かるめぎ』を通して、守る会の歩みを知っていただければ幸いです。

(旧サイトより転載:http://hrnk.trycomp.net/archive/karu41go.htm)

ショルテさん 南在重さん と懇談 萩原 遼

 10月4日私は、ワシントン近郊のバージニア州のとあるレストランで、アメリカの防衛財団の会長シュザンナ・ショルテさんと南在重氏(医師、人権活動家)と会い、昼食をはさんで北朝鮮帰国者裁判を中心に意見を交換しました。帰国者裁判にかんする6月4日付けの守る会声明の英語訳と韓国語訳をそれぞれ手渡し、説明し支持を要請しました。お二人とも帰国者裁判に強い関心を示し、北朝鮮の人権侵害問題としてけっしてわすれてはならないことだとのべ、懇談の数日後支持メッセージを寄せてくれました(別項)。

 ショルテさんは99年末に東京で開かれた、守る会主催の国際会議に出席しており旧知の間柄です。南在重氏は在米30年の人権活動家。耳鼻咽喉科のお医者さんですが、かたわら中国・北朝鮮国境の脱北者のためのシェルター建設に尽力している方です。守る会のことも聞いているとのことでした。

 この懇談のあと、訪米中の金国雄さん(守る会事務局次長)とジャンボさん(東海支部)がかけつけ、あいさつし、先のアメリカへのテロ事件での犠牲者に哀悼の意をのべるとショルテさんは「ありがとうございます」と答えました。

 このあと私は南氏の案内で、滞米中のカナダの人権弁護士アレキサンダー・エプスティン氏と会い、意見を交換しました。同氏は昨年12月ソウルで開かれた「第2回北朝鮮人権・難民問題国際会議」にも出席しており、共通の話題で話がはずみ、こんご連携を取りながら活動を交流しようと話し合いました。ワシントンにて

帰国裁判を強く支持します ショルテさん(防衛フォーラム財団会長)

 親愛なる友人のみなさま


 私は、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会が、北朝鮮の政治犯強制収容所で虐待を受けている兄弟姉妹たちや、金正日独裁体制下の恐るべき条件のもとで生きている人びとに代わっておこなっているすばらしいお仕事に感謝の気持ちをお送りするためにこれを書いています。

 守る会の真摯な活動のおかげで多くの人びとは、これまでも、そしていまもなお北朝鮮の罪なき人々に加えられている暴虐行為について学んでいます。
 
 私は、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が罪なき在日朝鮮人をだまして彼らの祖国に帰国させるためにとった邪悪な行動に反対して皆様方が、最近おこした行動(注:帰国者裁判)にたいし敬意を表するとともに、これを強く支持するものです。自由世界は、“帰国運動”の名のもとに帰国した10万人近い在日朝鮮人の運命についてけっして忘れることはできません。朝鮮総連によって行われた邪悪な策略(その策略は、人権を守っていると思われており、人権を破壊しているとは思われていない諸団体によって支持されました)のために恐ろしい苦痛をなめた金幸一氏のような方がたに正義をもたらすために私たちすべてのものがともに行動する必要があります。

 私たちの防衛フォーラム財団は、守る会のアメリカ側のパートナーであることをたいへん名誉に思ってきました。私たちはこれからも、政治犯強制収容所の廃絶と、北朝鮮国民に人権の光をもたらし、朝鮮総連および邪悪な金正日独裁体制の邪悪な活動によって苦しんでいる罪なき人びとに正義をもたらすという私たちの共通の目標にそって守る会およびその会員のみなさまとともに活動をつづけるつもりです。

2001年10月18日 敬意を込めてスザンナ・ショルテ

南在重氏 (在米韓国人医師・イージス財団会長) 金幸一氏と守る会のみなさんとともに、私たちも努力します

 1960年代の在日同胞の北送(編集部注―帰国事業)事件は、私の記憶にいまも鮮やかです。地上の楽園の祖国に帰ろうという名目で、当時北朝鮮が外国先進国の技術や人力の必要性を在日朝総連を通じて解決しようとした時期でした。10万人におよぶ在日朝鮮人居留民たちが北朝鮮に向かいました。この人たちと結婚した相当数の日本人もいっしょに行きました。北朝鮮に連れて行くためにふりまいた夢のような約束がすべてウソだとわかったときの、この人たちの内面の葛藤、失望感、人間的苦悩を私たちがどうして理解できましょうか?

 10年ほど前、日本に住む遠い親戚の方とソウルで会う機会がありました。私には祖父に当たる方です。日本でパチンコの事業で成功した1人でしたが、息子を北朝鮮に人質に取られていて言いたいことも言えず、自分の息子をもう一度日本に連れ戻すことができるならどんなことでもすると言われたのを聞いて、目頭が熱くなったことを思いだします。

 日本と韓国との間には不幸な過去があります。先日小泉総理が述べられたように反省し両国国民がたがいに努力するなら癒されることと思います。万景峰号(編集部注―帰国船)の在日居留民事件もその結果の中の1つです。

 時たま聞こえてくる北送在日居留民たちの悲惨な生活、金幸一氏のように命を賭けて脱出する人たち。今回の金幸一氏が朝鮮総連と北朝鮮当局を相手取って自分の過去を償えと東京地方裁判所に訴訟を起こした勇気に賛辞を送ります。よい結果がもたらされることを念じています。また、北送在日居留民の人権を尊重し、人間らしく生きることを求めるみなさんの会の崇高な努力に賛辞をお送りします。

 この運動はいかなる特定の一個人、一国家が努力して成し遂げられるものではなく、私たちのすべてが、自由世界の人たちが、あらゆる国々が、共同の善に向かってともに参加するとき、はじめてよい実りを結ぶでしょう。私たちすべてがともに努力することをお約束いたします。

2001年10月22日 イージス財団会長 南在重
(編集部注―イージスはギリシャ神話に出てくるゼウスの盾)

帰国事業の法的責任を問う、金幸一さんの訴訟関係資料

準 備 書 面 (1) 要旨 2001年9月3日 原告訴訟代理人弁護士 藤森 克美

第1、消滅時効の起算点

 1 (1) 消滅時効の起算点は「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」(民法166条1項)である。

 (2) 民法166条1項の「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」とは、単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく、さらに権利の性質上、その権利行使が現実に期待できるものであることを必要とると解するべきである(最判1970.7.15民集24巻7号771頁、最判1996.3.5 民集50巻3号383頁)。

 けだし、その権利の行使を期待することが事実上不可能なうちに消滅時効が進行しては、権利者の正当な権利行使を制限することとなって過酷である。権利を行使できるのにしなかった者が非難されるのは止むを得ないけれども、権利を行使できなかった者について時効により権利を奪うことは不合理であるとの価値判断があるのである。

 2 上記最高裁判例に則して考えれば、原告が「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」とは、具体的には原告が日本の裁判所で被告を提訴可能になったということであり、そのためには原告が日本に自由に渡航が可能となり、被告の責任を追及するために日本の弁護士の協力を原告が得ることが現実に期待できたときということになる。

 3 (1) 判例をみるに、遠州じん肺訴訟静岡地裁浜松支部1986.6.30判決(判時1196号20頁)は、消滅時効の起算点は「権利を行使しうることを知るべかりし時期」すなわち、債権の性質・内容及び債権者の職業・地位・教育等から権利を行使することを現実に期待又は要求することができる時期と解すべきだと判示し、具体的には「原告ら訴訟代理人の弁護士により損害賠償請求訴訟の説明会が開催された1978(昭和53)年4月9日と認めるのが相当である」と判断した。

 (2) また、不二越訴訟第1審判決(富山地判1996.7.24労働判例699号32頁)は、「被告会社に行けば女学校にも行ける」「金はたくさん稼げる。中学、高校にも通わせてあげる」といわれて第2次大戦中に朝鮮から日本に連れて来られた当時13歳の韓国人の女子と徴用令に基づき日本に強制連行され被告会社で働かされた当時21歳の韓国人男性が、未払賃金及び債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償請求等をなした事案につき、「消滅時効の始期を定めている民法166条1項にいう『権利ヲ行使スルコトヲ得ル時』とは、単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく、さらに権利の性質上、又は、債権者の個人的事情を越えた客観的、一般的状況に照らして、その権利行使が現実に期待できるものであることが必要であると解するのが相当である」とした。そして日本国政府が「日韓協定は、日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したもので、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない、日韓両国間で、政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができない意味である」旨の見解を公式に明らかにした1991(平成3)年8月27日「までは、原告らの個人的事情を越え、かつ原告らの関与可能性のない客観的、一般的状況により、原告らが本件賃金債権を行使することは現実に期待しえない状態にあり、右政府見解の表明された時をもって、右権利行使が現実に期待できることとなったものというべきである」として、被告主張の時点より46年後を時効の起算点とした。

 4 (1) 本件についてみるに、原告は1961年6月12日に北朝鮮へ入国してからというもの、被告の「地上の楽園」という宣伝が北朝鮮の現実と天地ほどの差があることを十分すぎるほど認識し、激しい憤りを感じていたが、不平不満分子は強制収容所送りという現実があり、北朝鮮に居たまま日本で裁判により被告の帰国事業の責任を問うことなど客観的に不可能であった。

 (2) 1962年11月25日に韓国へ脱出した後も、原告は1995年5月の東京来訪まで韓国政府からパスポートを発行されず、日本へ渡航できなかったのである。従って、客観的には被告を日本の裁判所で訴求することは1995年までは不可能であった。

  しかも、原告は19才まで日本に居住していたものの、社会主義イデオロギー優先の教育に反発して朝鮮中・高級学校を2年で中退しており、日本における法律知識を持ち合わせておらず、その後に北朝鮮を脱出し韓国で生活するようになってからも、日本の法制度について知識を持つ機会がなく、また、本件事案の特殊性からしても、被告を相手に日本で法的手段に訴えることが主観的に可能であると認識することは、2000年10月14日に原告代理人がソウルで原告に出会い、被告の債務不履行責任訴求の可能性の説明を受けるまで、事実上不可能であった。

 5 以上記載のとおり、原告が「被告を相手に訴訟を提起し、帰国事業における責任を被告に問うことができる」と認識することを現実に期待できた時期は、2000年10月14日にソウルで原告代理人弁護士と会って説明を聞いた後であるから、2000年10月14日が「権利を行使することを得る時」であり、時効の起算点である。

 6 よって、起算日より1年足らずで本訴を提起した原告について時効は成立しない。

 第2、時効援用の制限(信義則違反・権利濫用)

 本件においては、次の各事情が認められるため、たとえ時効が成立したとしても、被告の時効援用は信義則違反・権利濫用であって許されない。

 (1) 原告は、被告の不実の告知及び重要事項の不告知によって北朝鮮に帰還させられ、その上人権と自由のない北朝鮮においては政府に対する不平不満は強制収容所送りとなるため、当然のことながら被告に対する法的責任追及の道は全く閉ざされていた。北朝鮮から韓国へ逃亡することとなり、韓国入国後は亡命者として処遇され、母や弟のいる日本へ帰って在住することは不能であった。

 (2) 韓国政府から1995年までパスポートを発行されず、日本へ渡航し日本の法律や判例など被告の法的責任追及の可能性に関する法的知見を得る機会がなかった。

 (3) このような経過の中で、在日朝鮮人帰国者で韓国へ亡命した呉寿龍・金初美夫妻と知合い、同夫妻の紹介で「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の山田文明大阪経済大助教授と原告代理人と初めて2000年10月14日ソウルで会う機会を得た。よって、本件の提訴が2001年に至ったことについて、原告は「権利の上に眠った」として非難される謂われはない。

 (4) 本件において、帰国事業における被告の債務不履行責任は明白であり、時間経過による被告の立証の困難性を救済する必要性は認められない。

 本件は法的安定性の保護が要請される事案でなく、権利の行使と義務の履行が強く要請される事案である。

 (5) 原告が、北朝鮮における行動・言論統制や監視の下、劣悪な生活環境で奴隷同様に働かされ、体重が日本での半分に落ち生死を賭けた逃亡を決意実行せざるを得ないところまで追い詰められた肉体的精神的苦痛は深刻甚大である。

 他方、被告は帰国者が奴隷的労働力の核として実働している事実や、出身成分分類による監視対象として生活を厳しく監視されること、職業選択の自由や居住の自由もなく、日本へ戻ることも不可能であり、不平不満分子は強制収容所送りされるなどを調査把握し帰国希望者に真実の情報を提供できる唯一の立場にありながら、1人でも多くの在日朝鮮人を労働力として帰国させ、日本にいる親族からの金銭や物資の献納を強いるための「人質」「金づる」とするために、北朝鮮の正確な情報及び帰国者の実情を調査することなく、故意に調査義務および説明義務を懈怠し、その見返りとして被告幹部は北朝鮮内において非常に高い地位を得たのであり、その態様は極めて悪質である。

 かかる被告が消滅時効の援用により債務を免れるのは、著しく正義に反し、条理に悖るといわざるを得ない。

以上

準 備 書 面 (2) 要旨 2001年9月3日 原告訴訟代理人弁護士 藤森 克美

答弁書に対する反論と釈明

 第1、同第1「答弁にあたって」に対する反論

 1、用語の使用を正確にすべし

 ① 3ページの「朝鮮民主主義人民共和国赤十字社」なる団体は存在しない。「朝鮮民主主義人民共和国赤十字会」という団体なら存在するが。

 ② 1ページ「我が国が過去に行った政府事業」や「我が国の裁判所」などと使われている「我が国」とは、どこの国をさすのか。朝鮮総聯は「朝鮮民主主義人民共和国」を「我が祖国」といっている。

 2、「我が国が過去に行った政府事業たる帰国事業(1ページ、下から3、2行目)」という記述について、この表現では被告は帰国事業の実施者ではないという態度である。事実の明らかな歪曲である。帰国運動を発案したのは北朝鮮の金日成であり、それを日本で実行したのは1955年の朝鮮総聯結成以来2001年2月の死去まで議長のポストにあった韓徳銖である。

 金日成は1959年1月10日、日朝協会の畑中政春理事長との会話(甲1)の中で次のように言っている。

 「在日同胞が祖国に帰ってくることは、誰も奪うことのできない堂々たる民族的権利です。したがって日本政府は一日も早く在日同胞を祖国に送り返さなければなりません」

 このように北朝鮮の最高権力者が発案したのであって、日本政府ではない。

 韓徳銖の著書『主体的海外僑胞運動の思想と実践』(1986年 未来社)ではこの問題について次(甲2)のように述べている。

 「1958年9月8日の朝鮮民主主義人民共和国創建十周年慶祝大会での、在日同胞の帰国を熱烈に歓迎するとの金日成の演説が在日朝鮮人の帰国運動を強力に展開する決定的な契機となった」

 金日成演説が決定的契機となって帰国運動が始まったといっている。日本政府が発議し、始まった運動ではないことは2人の当事者の言明で明白である。

 韓徳銖の著書は更に、日本政府に帰国を認めさせる運動を被告がいかに精力的に繰り広げたかを詳述している(甲2)。

 その結果「日本当局はもはや帰国を押しとどめようとする立場に固執できなくなった」とし、「閣議了解」の発表、「カルカッタ協定」の締結、日赤作成の通達「帰還案内」(1959年9月3日)の「不当性」を国内外に暴露し、同年10月31日ついにそれを撤回させたと述べている。運動の主体はあくまで被告であり、日本政府ではないことを、日本における帰国運動の最高権力者が言明している。 第2、同第3本案前の答弁に対する反論 1、本件を法律上の争訟に当たらないとする被告の主張は、正当性に欠けるものである。

 本件は訴状に明記されているとおり、原告被告間の「帰国契約」および「参画契約」が履行されなかったことを問う訴訟である。すなわち、原告が帰国を決意する過程で交わされた被告による各種の約束(帰国契約)、および原告の父親ないし原告が朝鮮総聯組織に参加していたことから生ずる、被告による被告構成員の生命・財産に対する保護義務(参画契約)が、実際の帰国にあたって遵守されなかった責任を問う、債務不履行に基づく損害賠償請求である。

 したがって本件を法律上の争訟に当らず、即時の却下を要求するとした被告の主張は、何ら正当性を見出すことは出来ない。

 2、被告は帰国事業の実現を組織として要求し、実現後は帰国事業を一貫して推進してきた主体であるから、十分な被告適格を有するものである。

 1958年8月、神奈川県川崎市の被告中留分会による帰国決議を皮切りに、被告は同月中に帰国運動推進を決議するとともに被告内部に帰国対策委員会を設置、以後被告により全国各地で帰国を求める運動が組織的に展開された。それは日本社会を動かし、遂には翌1959年2月の日本政府の「閣議了解」につながっていく。このように、帰国事業は被告が組織を挙げて日本政府と日本社会に要求することで初めて実現したものであって、帰国事業の実務を日本赤十字社が担当したことをもって被告が無関係のように言うのは、帰国事業の実現過程を無視したまったくの詭弁にすぎない。

 1959(昭和34)年8月に「カルカッタ協定」が成立して以後も、日本政府や日本赤十字社の実施する帰国事業の具体的手続きに批判を加え、それを修正させてきたのが被告による組織的反対運動であった。特に日赤が1959年に発表した「帰還案内」に、面会や見送りの制限と共に、新潟での最終的意思確認の条項があったことを問題視して組織的な「帰還案内」撤回運動を起こし、実質的にこの「帰還案内」を修正させた。そのため、新潟の日赤センターにおける帰国者の最終的意思確認作業が形骸化された。

 また帰国事業の実現前・実現後を通じて、被告は北朝鮮への帰国を強力に勧誘・説得する活動を展開した。前述のとおり、在日朝鮮人の大半は現在の韓国を祖先の出身地とするため、故郷でもなく体制も違う未知の国=北朝鮮への帰国には様々な逡巡があったが、それを説得して多数の帰国者を確保するために、「数年したら日本への里帰りもできる」「近い将来、南北が統一され、南朝鮮(韓国)にも行けるようになる」などの甘言や無責任な約束が語られた。特に先に帰国した人々から、被告から聞かされていたのとは違う北朝鮮の厳しい現実が伝えられるに伴い、当初の帰国熱は事業開始1~2年で冷め、帰国希望者が激減して行くが、その中で帰国者を継続的に確保し、帰国事業を制度的に続けさせるために、被告の勧誘や説得はより強引かつ甘言を弄するものになって行った。

 このように、被告は原告をはじめ個々の在日朝鮮人に対して、帰国意思の決定に重大な影響を与え、それを左右していた。その上構造的にも被告を通すことなくして個人が全国の市町村に置かれた日赤の窓口に行き、新潟に赴いて帰還船に乗るというシステムになっておらず、被告から勧誘され、被告の要求により帰国申請書を書かされて交付し、然る後、市町村役場の日赤窓口に手続きに行った。被告と日赤との協議で被勧誘者の帰国予定が配点され、被告は被勧誘者に対し相当日数の帰国教育を施す。

 全国各地からの出発の際は、被告によって組織された輸送隊の警備の下、新潟の日赤センターまで送られる。

 被告中央本部の新潟出張所では、日赤センターに滞在する帰国予定者に帰国手続、生活指導、特に成人に達した青年の場合、日赤センターで赤十字国際委員の立会で行われる意思確認のときに、意思の変更を申出ないよう、生活指導に当り腐心し、帰国対象者の意識レベルを事前に調査し、帰国船の出るまでの3泊4日間で動揺者に対し、あらゆる手段と方法が用いられてきた。このように、帰国決意から帰国船乗船まで被告は事業として帰国に伴う様々な事務、役務を提供してきた主体者であり、これらの事業の提供を帰国契約と評価するものである。このように構造的にも被勧誘者・帰国対象者に対する帰国契約の介在なくして帰国は実現不可能なものであった。

 「被告その他第3者が帰還者の決定に関与する余地が全くなかったことは、制度上明白」(被告「答弁書」)とするのは、被告の重大な責任を免れようとする言い逃れにすぎない。

 以上のように、被告は被告の介在なしでは成り立たない帰国事業の実現を日本政府に組織として要求して実現させ、実現後は叙上の帰国事業を一貫して推進してきた実質上の主体であるから、被告適格がないとする被告の主張には何ら正当性がない。

準 備 書 面 (3) 要旨 2001年10月18日 原告訴訟代理人弁護士 藤森 克美

 第1、被告が「帰国希望者」に提出を求めた帰国申請書は帰国契約の証憑である 1 帰国運動展開に当り、被告は中央委員会と県委員会の中に帰国対策委員会を設置した。当時の被告機関紙『朝鮮総聯』等には、以下に示すとおり、被告に対して「帰国希望者」から帰国申請書を提出させていたことを示す記事が掲載されている。

 2(1) 1958年10月11日付『朝鮮総聯』
≪要請 在日朝鮮人の帰国問題について≫(見出し)

 a)「在日本朝鮮人総聯合会は在日同胞の帰国問題が切実、かつ緊迫した問題と認め、帰国対策委員会を組織しました。当委員会は広く世論に訴えつつ在日朝鮮人の帰国運動を推進しております」(記事本文)

 (2) 同年10月21日付同紙
≪帰国申請1万7千名突破最終的には30万以上を予想≫

 a)「中央帰国対策委員会では10日、内外の記者団と会見し、在日朝鮮人の帰国運動に対する協力を求める一方、帰国希望申請者の数を発表した。10月5日現在同委員会が集計した希望者は17,130名」

 b)「同委員会では年内に希望者の実態調査を終る計画で申請を受理する事業とともに、調査をおこなっている」

 (3) 1959年2月11日付『毎日新聞』
≪『北鮮(ママ)帰国』の問題点≫

 a)「帰国希望者数は朝鮮総連は11万7千人といい、韓国居留民団では1万に満たないとみている」

 (4) 同年3月1日付『朝鮮総聯』
 ≪日本当局『帰還業務大綱』にかんする総聯中央の声明≫

 a)「帰国の自由意志の表明については、現在、在日朝鮮人帰国希望者はその利益の代表団体である在日朝鮮人総聯合会に対して帰国申請を行っている」

 (5) 同年4月21日付同紙
 ①≪帰国業務は朝・日赤が遂行出国手続、総聯への申請で≫

 a)「帰国する在日朝鮮公民の受渡問題にあっては、この業務を朝、日両国赤十字団体が直接遂行し日本赤十字社は在日朝鮮人総連合会が提出する帰国者の個別的帰国申請書にもとづいて出国手続きがおこなわれるよう措置をとること。帰国申請書を提出したすべての在日朝鮮公民を出国させるべき」

 ②≪日本政府への要請≫

 a)「日本政府は、人道主義の原則に反する帰国『意思確認』及び『選別』の不当な主張を取り止め、在日朝鮮人総聯合会に申請された名簿に基づき直ちに帰国措置を講ずること」

 (6) 同年5月11日付同紙
 ①≪日本側の主張は不当会談、成功運動おこす≫

 a)「日赤は総聯に申請された名簿に基づいて実務をすすめるべきであり、この名簿を無視しようとする日本側の態度は帰国希望者にたいする侮辱である。日本政府自らが総聯に出された申請書によって帰国へふみきったのではないか等の討論を通じて、日本政府は、ジュネーブ会談で実務問題のみを討議し、一日も早く実務協定を結べと要求した」

 ②≪政府は非人道的主張やめよ≫

 a)「政府は人道主義の原則に反する帰国意思の『確認』『選別』の不当な主張をやめ、朝鮮総聯に申請された名簿に基づいて帰国の措置を講ずること」

 ③≪非友好政策かえよ≫

 a)「意思の『確認』『選別』の不当な主張をとりやめ、朝鮮総聯に申請された名簿に基き、帰国措置を講ずべきである」

 3 被告は帰国契約の成立を否認している。しかしながら、帰国運動は金日成が発案し、被告が日本で実行した。被告は「帰国希望者」を説得し、組織し、説得に応じた者から被告は帰国申請書を徴求しており、提出した者には帰国教育という役務を提供し、徴求した申請書によって作った名簿をもとに被告は日赤と交渉をして配船を決定し(日赤との交渉も役務の提供の一つ)、帰国船が決定すれば、後述のとおりの『帰国者のための資料 第4集』を帰国予定者に配布して、極め細かな情報を提供し、情報だけでなく数多くの役務を現に提供してきた。そして帰国に当っては、最寄駅から新潟まで輸送隊の警備の役務(サービス)を受け、新潟の日赤センター内においても被告中央本部の新潟出張所のメンバーから各種役務(サービス)の提供を受けている。これらの役務の提供は、被告の一方的慈善事業の施しといった性質のものではなく、旅行業者が旅行者と結ぶ旅行契約に類似した性質をもつ帰国契約または、参画契約に由来すると原告は評価するものである。

 第2、被告が提供した各種の役務(サービス)の提供は帰国契約ないし参画契約の履行

 1 そして、被告は帰国契約ないし参画契約に基づいて、「帰国希望者」が現実に帰国するまで各種役務(サービス)を提供した。被告中央常任委員会宣伝部が1961年4月に発行した『帰国者のための資料 第4集』には、帰国事業の主体たる被告が帰国者に提供した様々な役務(サービス)の内容が記載されている。その目次においても以下に記載するとおり、その役務(サービス)内容は詳細を極めており、その役務(サービス)の提供は帰国契約ないし参画契約の履行に基くものであることは明白である。

『帰国者のための資料 第4集』の目次(省略)

 2 『帰国者のための資料 第4集』から窺える被告が現実に提供した役務(サービス)を示す箇所を数点抜粋する。

 (1)「貧困な帰国者に対する救援対策」(省略)
 (2)「財産処分および負債について」 (省略)
 (3)「物品購入について」(省略)
 (4)「送金に関して」(省略)

 3 上記以外に被告が提供した役務(サービス)として、被告機関紙『朝鮮総聯』に以下の記載がある。

 (1) 1959年8月24日付『朝鮮総聯』
 ≪懸案の国籍問題解決 法務省と話合つく 総聯中央の認証で≫

 a)「朝鮮総聯中央本部社会経済部では、かねてより国籍問題解決のために法務省民生局第5課といろいろと折衝を重ねてきたが、このほど『朝鮮総聯中央の認証』によって、これら懸案の国籍問題が解決できることになった」

 b)「従来、朝鮮人男性と結婚した日本人女性の場合」「朝鮮総聯中央はかねてより、国籍選択の自由の国際上の通年および日本国憲法が保障する国籍離脱自由の趣旨ならびに国籍取得権の問題は基本的人権問題であるとの見地から日本法務省と折衝をかさねてきた結果このほど、朝鮮総聯中央発給の証明書添付(認証)によって、つぎの場合、日本国籍から離脱し法的にも朝鮮公民の地位を取得できるようになった。」

 (例1~5省略)

 (2) 同年11月23日付同紙
 ≪輸送、持ち帰り財産など帰国者の世話方針決まる≫

 a)「日本に残した財産について 協定6条5項によって、日本に残した財産は法的には保障されるが、その財産を処分した場合は『非居住者貯金』として扱われる。このような人は、総聯中央に財産の保管を依頼することができる。帰国者には総聯が発行する『財産保管証明書』を持って帰国させる」

 3 以上記載のとおり、被告は帰国事業の主体として、また、「帰国希望者」と帰国契約を交わした当事者として、経済的側面ばかりでなく「帰国希望者」の帰国準備の隅々に至るまで役務(サービス)を提供していたものであり、その提供行為が慈善事業による一方的施しという性格ではなく、帰国契約ないし参画契約の履行という性格のものであることは明らかである。

 第3、訴訟進行に関する意見

 よって、被告は「原告はもとよりその他のいかなる帰国者とも、一切帰国に関連する契約を交わした事実はない」と一行のもとに否認して切り捨てるのではなく、被告が提供した役務(サービス)の内容、その性格等を積極的かつ詳細に認否反論すべきである。

準備書面の内容解説 山田 文明

 1、準備書面(1) の内容について

 原告の訴状に対し、被告朝鮮総聯は7月27日に「答弁書」を提出し(『かるめぎ』40号に要旨を掲載)、その中で「消滅時効の援用」すなわち「原告が共和国から韓国に亡命した1962年11月25日から起算しても既に約39年が経過しているので、原告主張の権利は既に時効により消滅している」として、直ちに棄却することを求めています。

 この点について、原告の準備書面(1)では、消滅時効(一定年数の経過で提訴の資格を失うこと=時効)に関する法理論とこれまでの2つの判例にもとづいて、今回の訴訟の時効の起算点となるのは原告が提訴の権利を行使できる客観的な条件が整い、またその権利を有することを知ったときであり、それは2000年10月14日であることを主張しています。原告は「権利ヲ行使スルコトヲ得ル」状態にありながら「権利の上に眠って」いたものではありません。

 被告朝鮮総連が自らの義務違反、債務不履行によって生じている重大な人権侵害の責任を問われていながら、時効による棄却を求めることは権利の乱用であり、信義にもとる行為であることを述べています。

 被告は時効を理由にして裁判を早期に終結させることに最大の努力を注ぎ、帰国事業の内容に踏み込んだ実質的な審理を回避しようとしています。被告なりの主張を正々堂々と展開することもしようとしない姑息な対応ですが、必ず論破して乗り越えねばならない論点です。

 2、準備書面(2)の内容について

 これも被告の「答弁書」にたいする反論で、「帰国事業は日本政府と日赤が行ったもので、被告には被告適格がない」すなわち訴えられる筋合いではないという主張に反論したものです。

 そもそも帰国運動は金日成の政策に対応して被告朝鮮総聯が精力的に繰り広げた運動であり、被告が帰国事業を一貫して推進してきた主体であることを論じています。そのことを帰国事業の展開過程と実務処理の事実にもとづいて立証し、原告との間に「帰国契約」と「参画契約」が成立していたことを述べ、朝鮮総聯が被告として適格であることを説明しています。

 3、準備書面(3)の内容について

 第3回公判に向けて提出された原告の準備書面(3)は、「帰国契約」と「参画契約」が成立していたことを証明する被告の帰国事業への関与の具体的事実を諸資料によって示したものです。

 被告が用意した『帰国者のための資料 第4集』や被告発行の『朝鮮総聯』その他の新聞に記載された内容によって、被告の関与の実態を明らかにしています。 4、今後の論点について

 10月19日に被告が提出した準備書面(1)では、具体的な事実の提示や被告の認識を積極的に主張することをしないまま、原告の個々の主張について「知らない」「否認または知らない」「否認ないし争う」と述べています。唯一の積極的な主張は、原告が1966年に脱出記『悪夢の575日』をソウルで出版したことを時効の根拠に挙げているだけです。そして、本件において時効を認めなければ、「強制連行問題やその他のいわゆる戦後補償問題に関する種々の訴訟において」時効が主張できなくなると述べ、強制連行や戦後補償についても時効を支持する論旨を展開しています。しかし、これまで被告は強制連行や戦後補償について時効を認めない主張を展開しており、矛盾した主張になっています。被告の主張を質さねばなりません。

 次回の公判に向けて原告側では、これまでの原告の主張をいっそう精密に立証していくとともに、被告が果たした役割をさらに詳しく事実で示すとともに、当時において被告が注意義務を果たしていれば原告への人権侵害を回避できる可能性があっとことを示していきます。

第3回公判を傍聴して 山田 文明

 10月19日(金)10時15分、第27号法廷で開かれた第3回公判は、これまでと同様、双方から提出されている準備書面の内容を「陳述する」ことを確認するだけの公判でした。これまでと違ったことは「被告が提供した役務(サービス)の内容、その性格等を積極的かつ詳細に認否反論すべきである」との藤森弁護士の主張に理解を示す形で、裁判長から帰国契約の有無について被告弁護団に対し「被告が帰国事業にどうかかわったかを詳細に述べ、その内容にもとづいてどう関与した、あるいは関与しなかったといえるのか具体的に述べたらどうですか」と促しました。

 しかし、被告弁護団は「帰国契約が旅行代理店と旅行者との契約に相当する」という点について「原告がいう旅行代理店の業務は旅行に出かけてもとの所に戻ってくる契約であるから、帰国して出発したところへ戻ってこない帰国事業には当てはまらない」と述べ、「帰国契約がない以上具体的に述べることはない」という返事しか返ってきませんでした。

 裁判長は「生の事実として、帰国事業との関与もしくは関与しない状況の説明はできるのではないですか。被告の立場で主張できる範囲でいいですから、主張しては」と再度促しました。これに対して被告弁護団は「次回までに検討してみます」と述べるにとどまり、事実関係を積極的に主張することにきわめて消極的な姿勢を続けました。

 また、裁判長から原告側に対して「時効がまず争点になっているので、その点について関心をもっている」との発言がありました。時効の問題については、すでに準備書面(1)において法理論と判例にもとづいて、まだ時効にはならないこと、すなわち裁判で争えることを立証していますが、なお補強することが万全であるようです。

 次の第4回公判は12月21日(金)4時からとなりました。裁判長の方から次の公判で今後の進め方について提案したいとの発言がありました。どのような提案になるのか注目されるところです。

 原告側では証拠となる資料を収集し、実証と論証を強化するとともに、証拠資料を裁判所に提出していきます。当時の資料や証言を得たいと思いますので、お心当たりの方は、どのようなものでも結構ですのでご連絡ください。

連絡先E-mail bunmei@osk.3web.ne.jp
Fax 0729-24-2584  山田まで

詩二 篇  小野 美智子

『さっぽろの空から』

春と夏が駆け足で往きすぎ

太陽は三時を過ぎると山の端に消えます

するとすぐ北国特有の乾いた冷たい風が吹く

十月末には雪が降りやがて長い長い白の世界へ

四月まで解ける事のない雪

静かにしかし確実に厳しい冬はやって来る

ふと立ち止まる川辺には野菊が晩秋の風に揺れている

今年初めての北国の冬を

北へと帰った人々を思いながら暮らしてみます

『悲しき日章旗』

大国の大儀のもとに幾百の無辜の命は失わる

アフガンに鉄の塊が飛ぶ

無論テロは憎むべき、罪なき犠牲者も悼むべき

だが日本は戦後広島平和公園のいしじに、こう刻んだる

 “安らかに眠って下さい

   あやまちはくりかえしませんから”

と、平和を唱えたその誓いも虚しく参加せる有事

時の総理は日の丸を立て日帰り外交の旅韓国へ

その足で青瓦台まで行ったならソウルの空のすぐ向こう

北の凍土に今も待つ

帰国者の救いを求める長き首

絞りだすかぼそき声は届いたか

人として無関心は最大の罪である

目を逸らして見えるはずなく

耳を塞いで聞こえるはずがない

アフガンの民衆も哀れなら北に留まる帰国者も哀れ

白地に赤の旗立てて帰国者を帰してくれと何故言えぬ

この人に聞く 聞き手・金国雄 八木 隆さん 中国・四国支部長

―― 自己紹介 今までどんな仕事を ――

 二十才のころ、大阪のアマチュア劇団に関係していました。その劇団で朝鮮の芝居をする事になって、日朝協会というところで、朝鮮人の方を紹介してもらい、芝居をしました。後に失業し、アルバイトで事務所の仕事を手伝いました。五七年ごろから帰国がはじまった翌年までだったでしょうか。以降は保険会社に勤め、大阪の日朝協会の青年部長と常任理事などをしてきました。

―― 守る会には、どんなキッカケで入りましたか ――

 先ほどお話したように、多くの人が北朝鮮に帰国する運動に、日朝協会の仕事として関わってきました。萩原遼さんと一緒に活動していたのです。帰国運動や映画「チョンリマ」の上映運動が大きな活動でした。

 萩原さんはそのころ、大阪外国語大学の朝鮮語科の一期生で、日朝協会では朝鮮語講座や対外的な青年団体との交渉などを分担していました。後に赤旗記者でピョンヤン特派員として活躍されました。

 しばらくして、北朝鮮は主体(チュチェ)思想を宣伝、金日成首相を神格化するようになり、日本の団体にも強制するようになり、おかしいな、と思い、日朝協会の役員も下りて、労働運動の活動に専念しました。

 萩原さんがピョンヤンを追放され、彼の著書で北朝鮮の実情も知れ、マスコミも実情を知らせるようになってきた。マスコミは帰国者を扱いたがりませんが。

 帰国運動に日本人として関わった者として、日朝国交、北朝鮮帰国者の自由往来の実現に責任を感じて、守る会にも参加しました。

―― 家族新聞「わすれなぐさ」の発行のいきさつは ――

 朝日火災という会社に勤めていて、九一年に京都から郷里の松山に転勤になりました。単身赴任です。家族の心の絆にと、はじめて今、百十五号です。朝鮮問題も掲載します。友人、知人にも送付して今は百部の発行です。

 退職後も松山と吹田を行き来しており、それなら中国・四国支部長をやってほしいと言われ、守る会の支部代表を引受けています。

―― 今後、どのような活動をされますか ――

 北朝鮮の実情を知らせる。機関誌「かるめぎ」の読者や、守る会の会員を増やす。帰国者、金幸一さんの裁判の支援。会員の親睦などです。

 一日も早い北朝鮮と日本との自由往来を実現させたいと思います。第一船から、もう四十二年です。日本も北朝鮮もいい加減にして欲しい。

3分30秒法廷 金 啓子

今書いている小説の参考に

 2001年9月14日、わたしは午前11時からの第2回公判を傍聴するため午前6時、大阪から新幹線に乗って上京した。東京駅に着いたのは午前9時。濃いコーヒーを飲んで、さっそく東京地裁へ。始まるまでに1時間もあったので、他の裁判の傍聴に入った。刑事事件は検事と弁護士とが事件を浮きたださせてくれるので、裁判は時々、大阪地裁でも傍聴している。一度などは殺人事件の証人審理を傍聴して、みるからにその筋の人の、のらりくらりとした証言に怖いものを見たので、殺人に関わる事件は避けようと思い、その日の審理表を見た。ちょうど韓国から出稼ぎにきていて、不法滞在での審理というのがあったので傍聴した。裁判長の「黙秘権」うんぬんの出だしから、一気に結審して、今書いている小説の参考になった。

すぐに終わるのは順調に進んでいるということ

 11時10分まえに、5階の審理室の前に行くと守る会の人達が集まっていた。顔見知りの人が1人いて、確認ができたのだった。大阪から連絡してくれて、傍聴券の手配をしてくれていると、前日にFAXが入っていたが、それほどの人数でもないので、声をかけずにいた。職員が2、3人、審理室の前で並んで下さいという。その物々しさで審理室に入ったが、すぐに裁判が始まった。と思ったら終わった。裁判長が原告の弁護団に、「ボールは投げられましたね。」と言って、両方に次回の日時を確認して終わったのだった。

 ぼそぼそと物足りなげに廊下に出ると、支援する守る会の報告会は場所を移した。そこで小川先生と藤森弁護士の説明があった。刑事事件と違って民事の場合、事前に裁判所あてに回答書という形で主張を提出しており、それに不備があった場合は審理が長くなるが、すぐに終わるのは順調に進んでいるということだった。

 わたしが傍聴に行くというと、今回は金幸一さんも来ないし、どうしてわざわざ行くのかと不思議がられていたが神保町にある古本屋で探したい本があったからである。

両手いっぱいの古本

 水道橋の韓国YMCAに宿をとっていた。夕方の北朝鮮人権市民大学講座までの間に古本屋を歩いて探した。いつも読み切れないほどに本を積んで置くので戒めていたが、やはり両手にいっぱいになるほど買ってしまった。

 夕方、荷を宿に置いて文京区の立派なホールまで歩いていった。おのぼりさんのように東京ドームの側を通り会場へ。小川先生が、7月19日と20日のジュネーブで審議された北朝鮮側の答弁書(英訳)をひとつひとつ翻訳され、国際人権規約に沿った刑事訴訟法や拘置所管理規則、労働教化所管理規則の改善などを紹介してくださった。みなさんの地道な勉強会に参加して良かった。わたしも気をひきしめて、いい小説を書いていかなければ、と思った。帰り道、YMCAとは反対の方向へ歩いてしまい、一軒の古本屋で道を尋ねてやっと宿舎へ。また本を買ってしまった。

李英和さん講演会 中国・四国支部主催

 今年3月、愛媛・松山において「中国・四国」支部を多くの人たちのご援助で発足させることができました。今回はじめての催しとして、9月29日、李英和さん(RENK代表・関西大学助教授)夫妻をお迎えし、講演会(広島・西区民文化センター)を開催することができました。

 会場には、約70人が参加。無差別テロ事件でややもすると北朝鮮問題から関心が離れがちななか、改めて飢餓・人権状況を正しく認識し、国際支援の緊急性を喚起する内容となりました。

難民救援支援が日本の国際貢献の道

 このなかで、李英和さんは、「中・朝国境に近い中国吉林省延吉市に学生と一緒に訪れ難民実態調査を行なっているが、北から逃れてきた多くの子どもたちは栄養失調で髪が脱色するような飢餓状況がすすみ、生育に破壊的な打撃を受けている。回復に2世代、3世代の途方もない時間がかかるのではないか。また、せっかく北から脱出しても、中国政府はかくまった人に多額の罰金を科しており、民間サイドの難民救援活動も大変厳しい状況下におかれている」と、自らの北朝鮮留学体験をふまえ、ますます深刻化する飢餓・難民実態を報告。

 また、今回のテロ事件に関わり「北朝鮮は反対声明を出したが、自国民に“内戦”とも言うべき飢餓を強制し、大量の餓死者を出しても平然としている独裁政権が、同じように、少なくとも将来統一の相手として口にしてきた韓国民に行ってきたテロ攻撃は記憶に新しい。さらに、アラブを拠点とした日本赤軍グループが北朝鮮を自由に出入りしている事実、生物化学兵器を含む大量殺戮兵器を隠匿していることと重ねあわせて考える時、テロ撲滅声明がいかに欺瞞に満ちているか。やがて世界の世論から酷しい糾弾を受けるに違いない」と指摘。「日本政府は武力をもってアフガン難民を救援に行くと言っているが、隣国の北朝鮮難民支援に力を貸すことが日本にとってまずやるべき国際貢献であり、安全保障に最も有益であり、北の変革をうながすことにもなる」と、日本の国際貢献のありかたにも言及。

 さらに、「この10月にはアメリカ連邦議会で、12月にはヨーロッパで、北朝鮮の難民問題の公聴会が開かれ、“救援・人権”問題に大きな道が開かれようとしていたが、今回のニューヨークのテロ事件でキャンセルとなり、国際世論の関心が逸れるのが心配」と訴えました。

 参加者の一人は「朝鮮問題のむつかしさを改めて認識した。内容は実証的でわかりやすかっただけに、もう少し参加者が…。」と述べ、こうした企画を是非つづけて欲しいと要望されました。

 夜の懇親会には、李さんご夫妻(奥さんは韓国に留学中・一時帰国)、支部代表の八木さんご夫妻を囲み、留学時代、救援活動、日朝協会活動のことなど、多岐にわたる話題に花が咲きました。

 地道な活動を実を結ぶ日まで

 支部を結成して約半年、活動らしい活動はまだ定着していませんが、こうした講演会や「かるめぎ」の普及、相互交流を通じ、早急に支部の運営体制を確立し、各地域でミニ懇談会などが開催できれば、と考えています。

 次回(11月25日)は、韓国KNTVが制作した、帰国事業により離散化した家族をとりあげたドキュメンタリー『戻らぬ船』の上映、金国雄(事務局次長)さんのお話しをまじえ「ビデオ上映とおはなしの会」を予定しています。

池田 正彦 中国・四国支部事務局長

<人権年表>

『日本人8人、平壌市内で監視下集団生活か』 (2001年7月~2001年10月)

2001年(7月)

7日 「救え! 北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク(RENK)」のRENK通信(7月7日号)は、中国に潜伏中の北朝鮮住民のチャン・キルス君一家7人が北京の国連難民高等弁務官事務所に難民認定申請を勝ち取るまでの経緯を詳報し、同一家の国際社会に向けて人権救済を求めた声明文(6月20日付)を掲載した。

12日 RENKメンバーは東京港区の中国大使館前で「中国当局は北朝鮮難民への虐待を中止せよ!」と抗議行動を行った。

23日 「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」が、参議院選挙立候補者にアンケート調査を実施し、回答者107人の集計結果を発表。拉致認識では49.5%が「一連の日本人拉致事件は北朝鮮による国家犯罪」と答えた。「事実関係明らかでなく単なる疑惑」は9.3%だった。制裁措置で「北朝鮮が誠意ある解決を迫らなければ制裁措置を検討すべき」が50.5%と最大。「話し合い解決」は16.0%。

24日 同日付け「統一日報」(本社・東京)によると、北朝鮮当局が国連人権委員会の審査に対し回答書を提出した。昨年1月に国際問題化した脱北者7人のうち、6人の近況を公表、2人が労働教化刑に服し、4人は元の職場に復帰したとしている。再脱出した1人については言及していない。公開処刑に関しては92年10月、咸興で両親を殺害した者が住民の要求によって公開処刑されたことを認め、他は「根拠がない。北朝鮮を誹謗中傷する人たちが捏造した根も葉もない噂」として否定した。

(8月)

6日 朝鮮中央通信は小泉純一郎首相と田中真紀子外相がジェノバ・サミットとハノイでの東南アジア諸国連合地域フォーラム(ARF)閣僚会議の席上で、北朝鮮拉致疑惑に言及した事につき「対話が暗礁に乗り上げている朝日間の2国間問題を国際問題化し、わが共和国に圧力をかけようとする極めて愚かで悪辣な下心」と非難。

7日 同日付産経新聞によると、「国境なき医師団」スタッフの報告で、北朝鮮に近い中国東北部で北朝鮮脱出者の取締が強化されていることが判明。取締を呼びかけるビラが各戸に貼られ、警察が6月1日から8月30日までの間「不法行為の摘発」として、1軒1軒巡回するローラー作戦を実施。「脱北者の潜伏を助けた者は厳罰に処す」として、罰金は5千元から3万元(7万5千円から45万円)になった。脱北支援者の話では、1週間に20人程度の送還が、6月に亡命者が北京の国連高等難民弁務官事務所に難民認定申請をしてから取締が厳しくなり、1日おきに約50人が送還されていると言う。

9日 韓国統一省が明らかにしたところによると、今年の北からの亡命者数は8日までに319人に達し、昨年1年間の亡命者数312人を上回った。家族単位が多い。

14日 韓国統一省が明らかにしたところによると、北朝鮮を脱出した住民13人が最近、第三国を経由して韓国に亡命した。亡命者数はこれで今年は332人となった。13人は咸鏡道、両江道、慈江道、平安道の労働者、農民ら。生活苦の脱出。

21日 世界食糧計画のパーティニー事務局長は北朝鮮訪問の帰途北京で記者会見し、穀物収量は当初予測の49万7千トンから17万2千トンに大幅に下回るとの見解を示した。WFPでは、食料事情視察活動の裁量権拡大で合意した。

22日 支援米の使用状況を視察した自民党の塩川恭久、滝実両衆院議員は帰途、北京で記者会見し、平壌、南浦など7地区20数カ所を視察した結果「世界食糧計画の配給システムが定着し、適正な配給が行なわれている」と述べた。

24日 同日付朝鮮日報によると、北朝鮮消息筋の話として北朝鮮に拉致された日本人8人が現在、平壌市内で厳しい監視を受け、集団生活をしているという。大部分が女性で10歳前後の少女の頃、拉致されて現在は10代後半から20、30代になっているという。拉致したのは朝鮮労働党本部作戦本部で、監視は党組織指導部幹部5課。外務省も昨年、極秘に調査団を派遣し、韓国情報当局の情報を入手した模様。

26日 同日付産経新聞によると、韓国人権団体「北韓人権市民連合」はこの夏、北朝鮮から亡命した子供たちが韓国社会に溶け込みやすくするためにサマースクールを開き、史跡巡りやコンピューター操作、韓国語学習などの特別課外学習を行なった。

(9月)

3日 北朝鮮を公式訪問した江沢民国家主席(中国共産党総書記)は平壌市内で金正日総書記と会談。中国中央テレビによると、江主席は新たな食糧と物資援助を表明。

3日 韓国国会は、南北問題を担当する林東源・統一相に対する野党の解任決議案を賛成多数で可決した。自民連(金鐘泌総裁)が賛成に回り、連立政権は事実上崩壊。

4日 林東源統一相の解任問題に端を発し連立与党解消で政局が大揺れした韓国では、李漢東首相ら全閣僚が大統領に辞表を提出し、李内閣は総辞職をした。

5日 訪朝した江沢民国家主席は3日間の日程を終え帰国した。共同声明の発表はなく、中国側は帰国後の北京での記者会見で「幅広い共通認識に達した」と述べた。

7日 金大中大統領は内閣改造を行い、林東源統一相の後任に林氏と近く太陽政策に理解が深い元外交通商相の洪淳瑛氏を起用。太陽政策は「基本を変える理由がない。推進方法と速度は国民的な支持を受けて調和的、超党派的に進める」と表明。

9日 「よど号」の妻へ、拉致問題での徹底取調べを求める市民集会参加者は、都内・全郵政会館で開いた集会で、北から10数年ぶりに帰国し旅券法違反で逮捕された「よど号」赤軍の妻の金子恵子容疑者に関し①拉致問題での徹底した取調べ②金子容疑者は事件の真相を告白し、被害者救出に協力を③マスコミは「よど号」グループが北朝鮮入後に犯した拉致など犯罪行為について関心を向けて報道―の3点を求める声明。

10日 警視庁は、北朝鮮の日本人拉致疑惑について「『拉致疑惑』ではなく、『拉致容疑』としてとらえている」と拉致被害家族の横田滋さん、早紀江さん家族に伝えた。

11日 金大中大統領は大統領秘書室の外交安保首席秘書官など主要メンバーを大幅に交替させ、外交安保統一特別補佐官に統一相を辞任した林東源氏を改めて任命。

11日 米国で世界貿易センター2棟のビルと国防総省がハイジャックされた旅客機の自爆テロによって爆破された。アフガニスタンを拠点とするウサマ・ビン・ラディンに率いられたイスラム原理主義の中の過激派組織「アルカイダ」による犯行とみられる。犠牲者は死者・行方不明者を併せて5千人以上と推定される。

12日 北朝鮮の外務省スポークスマンは「非常に遺憾な悲劇的事件であり、テロリズムの危険性を再度、想起させた」として米国の同時多発テロ事件を批判するコメントを述べた。北は「国連の一員としてあらゆるテロ、テロへの支援に反対し、このような姿勢を変えないであろう」としている。

16日 ソウルで再開された第5回南北閣僚級会談は第1回本会議を開き、韓国側は非武装地帯内での京義線鉄道・道路の着工を促し、金剛山陸路実現に向けた南北間の道路連絡、離散家族の面会所設置や離散家族の相互訪問などを求めた。北朝鮮側は大筋で受け入れ、電力供給と非転向長期囚送還を要求、韓国側は具体的回答を避けた。

28日 警視庁は北朝鮮による日本人拉致容疑事案の概要をホームページに掲載、広く情報収集活動や広報活動を実施することを決めた。29日からアクセスできる。7件10人の容疑事案を地図や被害者の顔写真入りで詳しく紹介して情報提供を仰ぐ。

(10月)

14日 北朝鮮に拉致された疑いが濃い日本人家族らが、東京・日比谷公会堂で1千8百人の聴衆を集めて「横田めぐみさんたちを救出するぞ! 第3回国民大集会」を開き、「拉致疑惑は『現在進行形のテロ』である」として早期解決を訴えた。北朝鮮で医療奉仕したドイツ人医師のノルベルト・フォランツエン氏は「北朝鮮の病院には水も電気も医療品もなかった。道路上には拷問の跡がある兵士の死体があり、ショックを受けた。私の最終目標は金正日を国際法廷で裁いてもらうことだ」と表明。

19日 北朝鮮亡命者のチャン・キルス君(17歳)が、公開銃殺の模様など北朝鮮時代の暮らしを描いた絵画展(21日まで)が東京都内のギャラリー西遊記で開かれた。北朝鮮の人権問題に取り組むアジアプレスの石丸次郎氏らが尽力した。

佐伯 浩明 運営委員  

アメリカ紀行記 ジャンボ・東海支部

ある女性に助けられた旅だち

 夏の暑さもようやく和らいだ9月25日、私と東海支部事務局長・金国雄さんの2人は、アメリカはワシントンDCに住む萩原遼さんを訪ねて、一路東へ飛びました。同時多発テロの影響で無事ワシントンに辿り着けるかという心配があり、事前にいろいろとアメリカ国内での交通手段を調べましたが、名古屋空港出発時に、航空会社とのアメリカ国内での振替便交渉以外、意外なほどスムーズに進み、ワシントンに辿り着き、多くが取り越し苦労に終わりました。そのスムーズに行けた理由に、ある女性との出会いがありました。

 その女性とは、ワシントン・ダレス空港へ向かう飛行機に乗り継ぐためにデトロイトで時間待ちをしていたときに、たまたま休憩ロビーの私達の隣に座った方で、金国雄さんがその女性の食べていた果物に興味をもって話し掛けたのがきっかけでした。その女性はアラブ諸国の出身で高校生時代よりアメリカに留学で来ていた人で、今はワシントンに住んでいて「同じ飛行機で帰るので市内まで一緒に行きませんか?」と言ってくれたので、これは好都合と送ってもらいました。もし彼女との出会いが無ければ、土地勘も無くアメリカでの電話のかけ方ひとつ知らなかった私達が、無事、萩原さんと出会うことができたかどうか…。ちなみに彼女が食べていた果物はグァバというもので、一口もらいましたが甘くておいしかった。

豊富な消費物資

 萩原さん宅に転がり込んだ私達は、まず初日と2日目をワシントン市内と萩原さん宅の近所を散策しました。市内の町並みを見るのも楽しかったのですが、何よりも楽しかったのは朝の散歩と近所の大きなスーパーマーケットとその隣のホームセンターを見て巡ることでした。萩原さんの住むアパートメントの周りは首都の近郊とは思えないほど森や林が多く、野生のリスや鹿が出るくらいの所で、朝の爽やかな空気の中を散歩するのはすごく気持ちのよいものでした。散歩の最後に新聞を買うためにスーパーに行くのですが、店中は品物を探すのが困難なほど品数が豊富で、誰がこんなに食べるのだろうかと思うほど巨大で、一人分を買うのが大変でした。中でも牛乳は2リットルのポリ容器に入っているものもあり、牛乳というよりも洗剤か何かの薬品に思えます。アイスクリームも洗面器のような大きさのものもあり、この国がいかに大消費国家であるかが伺われました。ホームセンターでは、軽自動車と同じぐらいのエンジンを積んだ芝刈り機が売られており、一軒一軒の土地の広いアメリカでは、このような物も売れるのか、と感心しました。

ニューヨーク、ボストン、ナイアガラへ

 2日間ほど萩原さん宅ですごした私達3人は、9月28日、鉄路、ニューヨークに向かいました。マンハッタンのペンシルバニアステーションに降りたちニューヨークの街を見渡した感想は、車は渋滞、歩道は人でいっぱい、高いビルが建ち並び空が狭い…。「これが世界の中心か。テレビで見た通りだ」と思いました。ペンステーションから8番街を宿泊予定のホテルまで歩いている途中、ホテルで出会う予定だった関西支部の浅野さんとばったり会いました。無事出会うことができた事を喜び、4人はホテルにチェックインして夕食を食べた後、ブロードウェイでミュージカル「レ・ミゼラブル」観劇に出かけました。テロ事件の影響でお客が減っていると聞いていましたが、当日は満席で、さすが10年以上、ロングラン公演しているミュージカルだと感心しました。内容は当然すべて英語なので殆んどわからなかったのですが、舞台装置と俳優さんの声量のすごさに迫力があり、ミュージカルを初めて見る私には大変な驚きでした。

 翌日、私達4人はナイアガラ観光のためラガーディア空港からバッファロー空港に向かいました。テロの影響で国内線が乱れていて、私達が乗る予定だった便も欠航で午後の便に振り替えられてしまい、お昼にはナイアガラに到着して見物する予定が夕方の到着になってしまいました。バッファローの空港からナイアガラの滝に向かうタクシー運転手のおじいさんは、萩原さんと懇意の方でいろいろと話を聞くことができました。そのおじいさんには男の子のお孫さんがいて、その子のお父さんは軍人でサウジアラビアに駐留しているときに事故で亡くなってしまったとのことです。

「Sometime Grandfather Manytime Father」と、言っていたのが印象的でした

 残念だったのは翌日、空港まで送ってもらおうと思い、その子も連れてきてくれて一緒に写真を撮る予定でしたが、交通事情のために来ることができなかったことが残念でした。ホテルにチェックインを済ませてさっそく夕暮れのナイアガラの滝を見に行きました。ナイアガラは有数の観光地で、特にカナダ側がすごく賑やかで、滝の他にカジノやお土産屋さん、レストラン、なぜかお化け屋敷が立ち並び、ネオンが煌びやかで観光客が多かった。翌日、遊覧船にも乗りましたが、滝つぼ付近は絶えず水煙が立ち昇り、乗船前にもらったカッパを着ていないと全身びしょ濡れになるくらいです。カメラを濡らさないように撮影するのが大変でした。滝は断然、アメリカ滝よりカナダ滝の方が大きく、水量も豊富でカナダ側が賑わうのも当然かな? と思いました。

世界貿易センター跡地を訪れ

 その後、バッファロー空港からニューヨークに戻りホテルに到着後、所用で出掛けた萩原さんを除く3人で、世界貿易センタービル倒壊現場に行きました。交差点ごとに警察官が立ち、いつ止められるかヒヤヒヤしながらも現場から通り一つ手前まで行くことができました。それ以上は警察と軍による警備・封鎖で近づくことはできなかったのですが、ビルとビルの間から投光機に照しだされたガレキの山と立ち昇る煙を見ることができました。見た方向のせいなのか現場は意外と狭く感じられ、このような場所に110階建てのビルが2本も建っていた様には思えず、周りのビルも外壁がボロボロで建っているのがやっとという感じでした。私が見ていた場所の周りのビルの壁には行方不明者の消息を尋ねるビラが多数貼ってあり、中には子供に関するものもありました。「このような子どもまでも巻き添えに…」と、いたたまれない気持ちになりました。2日前に泊まったホテルの近くには消防署があり、その前に20人ほどの消防士の写真が貼ってありました。その消防署で被害にあった人たちのようで、消防車3台くらいの小さな消防署でも、これほどの人たちが被害にあっている事を知り、事の大きさを実感しました。私はその写真の前でいつの間にか頭を垂れていました。

アメリカの政治の中心地

 翌日ワシントンに戻った私達は帰国するまでの2日間をワシントン市内観光に出かけました。ホワイトハウス、ワシントンモニュメント、リンカーン記念館、スミソニアン博物館を見学しました。ホワイトハウスは意外と小さかった。そして帰国前日の夕方、初日にワシントン市内まで送っていただいた方とディナーを共にしました。片言の英語と身振り手振りの会話でしたが、彼女は大学院で国際法を勉強しているとのこと、そしていつか、その方を日本に呼んで案内すること、そしていつか私達が中東に行くときには案内してもらうことなどに会話も弾み、最後にとても楽しいひと時を過ごすことができました。

さいごに

 今回のアメリカ旅行は、パックツァーのような観光地巡りばかりで移動はすべて専用バスで夜はあまり出歩かないという隔離された旅行ではなく、地元の人たちと同様の生活ができたことが非常に有意義でした。萩原さんの住む地区は黒人の方たちが多く住む所でしたが、日本で聞いていたような夜な夜などこかで発砲事件があり観光客が襲われるなんて事はなく、夜中に出歩いても怖いとは思いませんでした。それどころか皆さんとても親切で困っている人を見ると日本人のように見て見ぬ振りをすることもなく、すぐ声をかけてくれます。今回の旅行もそんな親切な人たちに助けてもらったお陰で無事帰って来る事ができました。今回の旅行で私達を受け入れて、いろいろと面倒を見てくれた萩原遼さんと、行く先々で助けてくれた名前も知らないアメリカ市民に感謝して…。

支部だより

<関東支部> 関東支部結成!!

 守る会では支部体制が整えられつつあり、これまでに関西支部、東海支部、中国・四国支部が誕生しているが、これに続き、このほど関東支部が誕生した。 関東支部の主な活動としては「北朝鮮人権市民大学講座」の開催、「帰国者裁判」の支援、政府、国会議員、政党、日赤、朝鮮総連、民団、マスコミ等への働きかけなどがある。運営委員の顔ぶれは関東地域に在住する本部委員会の運営委員が兼ねる。なお役員は支部長:小川晴久、事務局長兼会計:川崎孝雄、帰国裁判担当:高柳俊男、事務次長:佐倉洋。連絡先電話番号03(3263)7473

 守る会本部連絡先が変わりました。新電話番号 03(3263)7473〔関東支部の連絡先は「守る会」本部連絡先と同じです〕

<関西支部>

 在日コリアンと朝鮮総連についての講演を予定したのですが、事情により中止となり、連続学習会は中止になりました。次回は韓国・北朝鮮情勢などをテーマに実施したいと考えています。関西地区の方は、ご参加お願いします。

 最近、中国の延辺地区を訪ねた方に話を聞きました。中国の脱北者取り締まりは依然として厳しく、困難な状況が続いているようです。脱北者は、残された家族に危険が及ぶため、団結して権利の要求をすることが出来ません。故に中国当局は難民問題の存在自体を認める必要がなく、国際世論も大きな声になりません。他の独裁国にもまれな連座制が、ここでも人々を押さえつけているのです。在日が帰国者の権利問題に声を上げられないのもこの邪悪な制度によります。

 今も日本から北の親族への仕送り・送金が続いています。北は一時、古着の仕送りを拒否していましたが、今はまた送れるようになったらしい。送金は、北を親族訪問する人に頼んで現金を手渡すことが多いようです。このように帰国者家族たちは、40年来、助け合っているわけですが、それぞれ自分の身内を気遣うだけで、この問題を公表することすら出来ません。公開の席で北の批判をすることすら出来ず、朝鮮総連に対しても支持するしかないのです。

 ワンコリアを唱えてお祭りをすることも悪いことではありません。北との交流は将来、実りがあるかもしれません。しかし、北は単に体制を異にし、“分断”されているのでなく、すでに破綻した体制を人質政策やテロを使って維持しようとして来たのです。国家としての最低の道義を守っていないのです。

 日本の人道援助にも交流活動にも私は賛成ですが、北が体制を続けてはいくことには道義的、経済的に不可能であることを指摘していくことが必要なのではないでしょうか?

関西支部 山口 修

<中国・四国支部>

 中国・四国支部では11月にビデオ上映会(2本)と報告会を企画している。

 ビデオ会では「戻らぬ船」という韓国KNTV製作のドキュメントとRENK編修の「インサイド・ノースコリア」の2本である。

 「戻らぬ船」というのは帰国船の実写映像や当時の「在日」の置かれた状況、帰国事業により日朝間での離散家族化された人たちの問題を取り上げているドキュメント番組である。「守る会」の小川晴久共同代表、金民柱共同代表もこの番組に出演しインタビューに答えている。上映時間1時間。

 「インサイド・ノースコリア」は1998年9月に中国に住む脱北者が隠しカメラを携えて再び北朝鮮に入国し北朝鮮の現状を撮影したものである。このフィルムは世界的に衝撃を与えた映像となった。撮影場所は北朝鮮の有数都市であり、国際的人道援助の重点地域にもかかわらず、闇市には飢えたコッチェビが食べカスを求めてさ迷い歩いている。ノーカット版。上映時間40分。

 これらのビデオ上映後は「帰国事業裁判報告会」。講師は金国雄氏(東海支部事務局長)。現在行われている「帰国事業」に対する朝鮮総連の責任を問う裁判の進行状況について講演があります。皆様のご参加を待っています!

ビデオ上映とおはなしの会ご案内 上映 「戻らぬ船」「インサイド・ノースコリア」

お話「帰国事業裁判」 金国雄さん

日時 11月24日(土) 15:00~17:30

場所 広島市西区民文化センター(音楽室)

電話 082-234-1960

主催 中国・四国支部

電話082-291-7615(池田)

志金 1500円

(2)北朝鮮人権市民大学 第6回 講座 

「同時多発テロと北朝鮮の『内剛外柔戦術』の行方
1999年4月20日の朝鮮総連への金正日教示を中心に」

講 師:朴斗鎮先生(朝鮮問題研究家)

場 所:文京シビックセンター4F

日 時:11月16日 午後6時~9時

シルバーセンター実習室

主 催:北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会

問い合わせ先:TEL0424-23-3972(小川)

編集後記

◆ 会員のみなさん、お変わりありませんか。こちらワシントンも街路樹がすっかり黄色と赤に染められ風に落ち葉が舞っています。こんどの号も裁判関係の資料が多くなりました。朝鮮総連が、帰国運動は日本政府がやったものでわれわれとは関係ない、すでに時効だという無責任な態度にたいし、藤森弁護士とそれを支える特別弁護団の努力でこれに徹底的に反論し彼らの責任を立証した歴史的な文書です。ぜひ熟読ください。当地でも帰国者裁判に関心が集まっています。お二人の支持メッセージを掲載しました。(萩原 遼 ワシントンにて)

◆フォラツェン医師は北朝鮮民衆が、自らの力で事態を改善できない絶望からうつ病を患っており、体制変革以外に治療方法がないと断言する。また国際法廷に民衆虐殺の人道上の罪で金正日を訴えたいともいう。人道上の罪には時効はない。裁判が進行中の帰国事業の人道上の責任にも時効は本来あり得ない。もとよりこの責任は、朝鮮総連だけではなく日赤や日本政府にもあるのだろうが。(佐倉 洋)

◆さわやかな秋晴れのなか、みなさん、お変わりなくお過ごしのこととお察し申し上げます。今年の3月24日に発足した中国・四国支部も順調に活動しています。9月29日(土)の「李英和さん講演会」には、多数の参加者がつめかけ実のある講演会になりました。さらに11月24日(土)には、「ビデオ上映と帰国事業裁判報告会」を開催します。これらはいずれも意欲的な池田正彦事務局長のご努力と北朝鮮をなんとかかしようという方々の熱意の賜物です。みなさん、今後ともお力になってください。よろしくお願い申しあげます。さて、今号は2001(平成13)年度最終版です。少し早いかもしれませんが、来年もよろしく御願い申し上げます。(松浦 照雄)

◆いつも、原稿の遅れを気にする毎日です。本当に期日まで発行できるのかしら?? と、思いながら皆さんの原稿をお待ちしています。ところが、今回の『かるめぎ』は「国際テロ」の影響なのか? 萩原さんから郵便物(原稿・写真)がワシントンから届きませんでした。北朝鮮を含め、世界の悪魔のサイクルはいつまで続くのでしょうか? (窪田 和夫)

 第4回公判を傍聴しよう !! 第4回公判が12月21日(金) 午後4時から東京地方裁判所527号法廷(5階)で開かれます。 多数の傍聴をお願いいたします。 東京地裁は地下鉄丸の内線,日比谷線、千代田線で霞ヶ関下車すぐ。

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