会報『かるめぎ』の過去号を、旧サイトから、順次こちらにアップしていきます。この機会に、過去の『かるめぎ』を通して、守る会の歩みを知っていただければ幸いです。
- 帰国事業を裁く歴史的な裁判が始まる
- 第1回公判を傍聴しよう!!
- 「北朝鮮帰国者・金 幸一さんの裁判を支援する集い」
- 「帰国事業」にたいする朝鮮総連の責任を問う裁判にあたっての声明
- 訴状(要旨)
- 朝鮮総連に対する損害賠償訴訟の意義 山田文明 事務局長
- 金幸一さんとその著書『悪夢の575日』など 梅村雅英 東海支部資料調査委員
帰国事業を裁く歴史的な裁判が始まる
10万人近い北朝鮮帰国者の悲劇をもたらした朝鮮総連と北朝鮮の法的責任を問う歴史的な裁判がいよいよ7月27日の第1回公判から始まります。
原告は、現在韓国ソウル在住の金幸一さん(59歳)。19歳だった1961年6月、第62次船で帰国、1年半後の62年11月、命がけで38度線を突破して北朝鮮から脱出した人です。
北朝鮮は地上の楽園、医療もタダ、教育もタダ、モスクワ大学にも留学できる、などの甘言にだまされて家財道具もすべて処分して酷寒の北朝鮮の地に渡った10万人近い帰国者・日本人妻にとって実際は「地上の地獄」だったと金幸一さんは語っています。
6月4日金幸一さんと藤森克美弁護士は、朝鮮総連を相手取って損害賠償の民事訴訟に訴える訴状を東京地裁に提出。東京・霞ヶ関の弁護士会館で記者会見をおこないました。
「失われた人生の償いを朝鮮総連と北朝鮮にみとめさせなくては10万人の帰国者は死んでも死にきれない。私はこれまで裁判というやり方があることを知らなかったが、日本の『北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会』と藤森弁護士を知り、これこそ自分がやりたかったことだと自覚した。10年でも15年でも闘いぬく」と決意を述べました。
記者会見には守る会から小川晴久、金民柱、萩原遼の3共同代表をはじめ関係者が同席、守る会としてこの裁判を全力をあげて支援していくとの声明を発表しました。
会見にはNHKテレビチーム5人をはじめ毎日新聞、共同通信など各社が参加しました。その日の午後4時の全国ニュースでNHKテレビが放映、ラジオや衛星テレビでも流されました。
守る会は、会員や関心のある方々に広く支援を呼びかけるために「守る会訴訟支援」口座を開設(19ページ参照)、資金カンパを訴えています。また訴訟を支えるブレーングループに金民柱氏、萩原遼氏ら5人の「特別弁護人」を選び、藤森弁護士を強力に支えていくことになりました。
<萩原 遼 共同代表>
第1回公判を傍聴しよう!!
第1回公判が 7月27日午後1時半から東京地方裁判所527号法廷(5階)で開かれます。
多数の傍聴をお願いいたします。 東京地裁は地下鉄丸の内線,日比谷線、千代田線で霞ヶ関下車すぐ。
「北朝鮮帰国者・金 幸一さんの裁判を支援する集い」
お話 : 金 幸一さん
報告 : 藤森克美弁護士
日時 7月27日(金曜日)
午後6:00~9:00
場所 文京シビックセンター
4F(シルバーセンター実習室)
東京都文京区春日1‐16‐21
TEL 03‐5803‐1113
交通
◆営団地下鉄丸の内線 南北線後楽園駅
◆都営地下鉄三田線 大江戸線春日駅下車 徒歩1分
主催 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
連絡先
TEL 0424‐23‐3972(小川)
「帰国事業」にたいする朝鮮総連の責任を問う裁判にあたっての声明
本日、私たちの会「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」は、いわゆる「帰国事業」によって朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)に渡った在日朝鮮人帰国者九万三千人(日本人妻六千人を含む)の悲惨な実情をこれ以上座視できず、帰国者をだまして地獄に送った在日本朝鮮人総聯合会(以下朝鮮総連)の責任を問う裁判に踏み切った。被害者の一人である原告の金幸一氏と、弁護を担当する藤森克美弁護士をはじめ広範な支援者の方々と力を合わせてこの裁判を勝ち抜く決意を以下に表明する。
一、 一九五九年十二月に始まった帰国事業において、北朝鮮や朝鮮総連は「北朝鮮は地上の楽園」「衣食住に何の不自由もない」「モスクワ大学にも留学できる」などの宣伝を精力的におこなった。それにまどわされて北の地に渡った十万人近い在日朝鮮人には、そこは地獄であった。劣悪な食事と住居、過酷な労働現場、青少年たちの勉学の夢を絶つなど悲惨な現実が待っていた。「約束が違う」「だまされた」「日本に帰してくれ」などと訴えた帰国者には韓国のスパイ、日本公安の手先の汚名が着せられ、強制収容所送りや見せしめの銃殺などきびしい制裁が加えられた。三年後には里帰りできるという約束を信じた日本人妻は、ほんの一握りの宣伝用の里帰り以外はただの一人も日本の土を踏めないまま年老いていき、多くの人がすでに亡くなっている。
二、 朝鮮総連と北朝鮮は四十年もの間、望郷の念やみがたい帰国者・日本人妻にいまこそ自由往来と里帰りの道を切り開くべきである。なによりもまず帰国者・日本人妻とその子や孫の安否・生死の確認、消息探しが切実に求められている。また不幸にして亡くなった人たちの遺骨の収集などの課題が山積している。送り込んだ朝鮮総連はそれらの課題解決の先頭に立つべきであるにもかかわらず、なにひとつ動かず、「帰国者は全員幸せに暮らしている」などと無責任な答弁に終始している。
三、 原告の金幸一氏は一九六一年六月、十九歳のときに第六十二次船で帰国したが、勉学の夢も生きる誇りも奪われて翌六二年十一月、北朝鮮から地雷原の三十八度線を突破して韓国に命がけの脱出をし、脱出途中に山から転落し左腕を骨折する重傷を負いながらも辛うじて生還した生き証人である。帰国者の人生を狂わせながら、何ら責任も取ろうとしない者たちに裁判を通じてその非を正そうとする姿勢に私たちは共感し、これを全面的に支持し全力をあげて支援する。金幸一氏の裁判を通じて、無念の思いでいまも北朝鮮に生きている多数の帰国者に思いをはせ、彼らの苦しく悲惨な境遇を打開するためにもこの裁判を最後までたたかいぬく。
四、 十万人近い帰国者の人生を翻弄した国家的犯罪をけっして見のがしてはならず、犠牲となった人たちをけっして忘却してはならない。この裁判を通じて私たちは、「人道と人権」の名においておこなわれた「帰国事業」の実態と朝鮮総連の法的責任を明らかにし、生存する帰国者とその家族に一日も早い自由往来を実現することが北朝鮮と朝鮮総連の責務であることを示したい。帰国運動に協力した日本の諸政党、日本赤十字社、労働組合などの諸団体や個人は、希望に燃えて帰国しながらも無残に夢を砕かれた帰国者の無念と悲惨な実態を直視し、この裁判の意義を理解し、積極的な支援を寄せられることを期待する。在日コリアン、日本国民、すべての良心ある方々のご支援を心から訴える。
二〇〇一年 六月四日
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
訴状(要旨)
2001年6月4日
東京地方裁判所民事部 御中
原 告 金 幸一
被 告 在日本朝鮮人総聯合会
右代表者
中央委員会議長 徐萬述
請 求 の 趣 旨
一、 被告は原告に対し、金550万円及び本訴状送達の日の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
請 求 の 原 因
第一、本訴の目的
1959年12月に始まる朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」と略す)への帰国事業によって、約93,000名の在日朝鮮人(日本人配偶者含む)が帰国した。
当時、被告朝鮮総聯は「(朝鮮民主主義人民共和国は)教育も医療も無料の社会主義祖国」「地上の楽園」という猛烈なキャンペ-ンを繰り広げ、在日朝鮮人を「帰国」へと組織した。
しかし、帰国者を待ち受けていたのは「楽園」ではなく、「牢獄」にも似た現実であった。自由の拘束と経済的困窮は帰国者に限ったことではなかったが、その中でも帰国者は徹底した監視・統制・分断の下に置かれた。
日本からの帰国者は非常に低い「出身成分」に位置付けられ、自由主義の空気を吸った者、異質思想の持ち主、思想的動揺者、不平不満分子、あげくのはては日本や韓国のスパイとみなされた。北朝鮮には12の強制収容所があって、推定15万人以上が収容されているが、日本からの帰国者も多数含まれており、人間の生活とは言えない状況に置かれていることが、この間、北朝鮮から逃れてきた者の証言などを通じて明らかになってきている。
帰国者から悲鳴にも似た、助けを求める手紙が、日本にいる家族・肉親に送られてくるようになった。まったく連絡が途絶えて行方不明になった帰国者を求めて必死に探しまわった挙句、その帰国者が処刑されていたことを知ったという痛ましいケ-スもある。
本訴は原告の辿った過酷な体験を通し、帰国事業の犯罪性を裁判の場で糾弾し、今なお人質政策に加担している被告の責任を追及するものである。
第二、被告の帰国事業
被告は1950年代の後半期以降北朝鮮への帰国運動を積極的に展開した。
この集団帰国は、50年代の貧困と差別にあえぐ在日朝鮮人社会の閉塞状況があったことと、朝鮮戦争後の復興を目指す北朝鮮政府が労働力を補充しようとしたことが結びついたものである。帰国者には、日本での絶対的困窮と侮辱的な民族差別から脱出したいという消極的な選択とともに、民族的愛国心から北朝鮮の国家建設に参加したいという積極的な意志もあった。そのうえ、社会主義への幻想に惑い、被告による「地上の楽園」宣伝に踊らされて、最初の2年間に約75,000人が殺到するというブ-ムが起きた。
しかし帰国者の多くは、思想、言動、生活すべてが統制される北朝鮮の独裁体制社会に適応することが難しく、共和国社会の生活水準の低さに幻滅した。さらに、日本からの帰国者は資本主義社会の自由思想に染まっており、日本や韓国と人脈がつながっている潜在的スパイ分子とみなされ、体制的不純者として要監視対象とされた。
北朝鮮政府は、帰国者を「人質」「金づる」として利用し、日本にいる親族に対し、金銭や物資の献納を強いている。また、北朝鮮当局は、帰国者の日本への自由往来を認めていないので、新たな離散家族状況が生まれた。被告は北朝鮮政府が帰国者約9万人を人質に取ることを容認・加担し、北朝鮮政府のいいなりになったものである。
第三、当事者
1、原告は1941年10月7日、愛知県岡崎市で生まれた在日二世である。原告の父(金光浩、キム・クアンホ)の本籍は現在の大韓民国の慶尚南道鎮海市徳山洞である。原告の父は留学のため日本に渡り明治大学で学び岡崎で結婚した。
原告の母(辺敬媛、ビョン・キョンウォン)の実家は岡崎で紡績工場を経営していて裕福な家庭であったが、解放後(日本敗戦後)船を買い財産を積んで韓国に引き揚げた。
2、原告は61年6月12日に、祖国が保障するという被告の言葉を信じて大学進学を希望し北朝鮮へ帰国したが、実際は学校へ通うこともできないままロシア国境近くの雄基にある機械工場の工員として労働を強制された。そして原告は、日本で被告から聞かされた「地上の楽園」「躍進を続ける」という北朝鮮が、実際は衣食住全てに貧しく、著しく不足していること、精神論だけが生産の要素であり一般労働者に勤労意欲は全くなく、逮捕や収容所送りあるいは処刑を怖れて保身と密告に怯える生活であること、帰国者は更に厳しい監視下におかれ言動も統制されること、労働者や農民は長時間の重労働を強いられ、病人であろうと高齢者であろうと労働のない者に食糧支給はなく、人々はただ命をつなぐわずかな食糧を得るためだけに働く囚人ないし奴隷生活の実態を知った。挙げ句北朝鮮が世界に誇るという選挙が、鉛筆も置かず、党が決めた立候補者1名を信任することしかできない仕組みであり、選挙とは名ばかりの党の一方的命令であることを知るに至り、原告は北朝鮮からの脱出を決意し、62年11月25日、軍事境界線を突破し韓国への脱出に成功した者である。
第四、事実経過
(略)
第五、被告の法的地位・性格
被告の性格の1番目として、被告は在日同胞の権利を守る大衆団体として結成された。従って、在日同胞に対し被告は構成員の「自由」の擁護を責務とする団体と位置付けられ、被告は帰国者たる構成員又はその家族に対し、生命・身体の安全確保の責務・抑圧と隷属から人権を擁護すべき責務を負う。
被告の性格の2番目は、被告幹部の実力が北朝鮮政府の中でも上位にあり、発言力影響力を十分に有していることである。被告は北朝鮮政府の駐日外交代表部であるとともに、在日朝鮮人に対して、北朝鮮政府に代わって領事事務をしているのも被告である。
第六、帰国者の地位
北朝鮮では「出身成分」分類、即ち北朝鮮全人民を(一)金日成政権に忠実な核心階層、(二)監視対象=動揺分子、(三)特別監視対象=敵対分子に分け、それを更に51に分類し、動揺分子以下に分類された人々を徹底的に差別し抑圧する、独特の恐怖システムを有している。父の出身成分は子や孫にも受け継がれる。
そして日本からの帰還者は(二)監視対象=動揺分子に分類されており、常に監視の対象、密告の対象となっている。
戦慄すべきこの出身成分分類こそ、兵営国家、監獄国家と云われる恐怖統治を端的に示している。
第七、請求の根拠
1、原告と被告との法律関係その1 帰国契約
(一)被告は日本国内において北朝鮮への帰国運動を発起し、帰国運動を企画宣伝推進し、帰国希望者を登録し、在日朝鮮人に帰国のための学習を行うなど、北朝鮮への帰国事業を行った当事者である。
被告は本書面第五、被告の法的地位・性格に記載したとおり、被告幹部の北朝鮮での地位は高く、北朝鮮の在日朝鮮人に対する領事事務を行い、在日朝鮮人の人権を擁護するなど、組織力、実行力、権限は強く、北朝鮮についての正確な情報を即時に調査報告できる力量及び北朝鮮政府に対し帰国者の窮状を訴え改善する力量を備えているものである。
(二)原告と被告との間には1961年4月ころ「帰国契約」と言うべき契約関係(その法的性質は準委任契約)が成立した。被告は北朝鮮への帰国事業を発案し、宣伝して帰国希望者を募り、直接勧誘して帰国の意思決定をさせた当事者であるから、帰国契約の内容(債務)は、被告は帰国希望者に対し北朝鮮の生活実態についてその政治的・経済的・社会的な環境全てに対する調査を行って事実を把握し、これを帰国希望者らに正確に説明することであり、更に被告が帰国希望者らに保障した帰国後生命・身体を脅かされる不安がなく、抑圧や隷属もなく生活することができるよう擁護することである。
原告と被告との法律関係その2 被告組織への参画契約
(一)在日朝鮮人を構成員(会員)とし組織を形成している被告と構成員との間には、参画契約と言うべき契約関係が成立している。また、原告の父である金光浩(キム・クアンホ)は被告の構成員である。構成員は被告の決定に従い被告の目的遂行の為に協力する義務を負い、被告は被告綱領三条に基づき、被告構成員及びその家族について、「居住、職業、財産および言論、出版、集会、結社、信仰などすべての民主的民族権益と自由を擁護する」義務がある。これら義務は参画契約上の債務である。そして上記被告の義務は「自由」を侵害する勢力全てに対し被告が負う義務(債務)であり、北朝鮮政府であろうと例外ではない。
(二)被告は帰国者数を確保するため、特に被告構成員及びその家族らに対しては参画契約上の被告の地位を利用して構成員に強い圧力をかけることで帰国せざるを得ない状況を作り上げ、構成員及びその子弟らを積極的に帰国させたものであり、原告もまた被告構成員たる原告の父の説得により単身帰国を決めたものである。
二、 帰国契約又は参画契約における被告の調査・説明・保護(人権擁護)の各義務違反
1、はじめに
(一)被告は在日朝鮮人に北朝鮮を紹介し、帰国を強引にあるいは積極的に勧誘した。帰国勧誘にあたっては北朝鮮の生活に直接関わりのある全ての事案に対し、正確かつ最新の情報を提供しなければならない義務があり、これが出来るのは日本国内においてまさに被告だけであった。よって、被告には本債務として原告に対し北朝鮮の正確な情報を調査し、これを原告に説明する義務、及び帰国後の原告の生活に対しこれを保護する各義務があったものであり、日本の生活を捨てて帰国するという重大事を決意させる情報提供責任者である被告の責任は重い。
(二)仮にしからずといえども、被告には帰国契約締結における信義則上の義務として、北朝鮮の正確な情報の調査義務、及びこれを正しく説明する義務、及び帰国した原告の基本的人権を擁護する保護義務があったものである。
(三)仮に然らずとするも、被告は被告組織への参画契約上の義務として、被告構成員及びその家族らに対し基本的人権の擁護義務があったものであり、帰国させる構成員ないしその家族に対し北朝鮮の実態に対する調査・説明義務及び帰国した原告を擁護する義務があったものである。
2、北朝鮮における帰国者及び一般労働者(人民)の実態についての調査及び説明義務違反
(一)調査・説明義務違反
被告は、帰国希望者を募り、帰国希望者に帰国契約を締結させるに当たり、帰国希望者に対し北朝鮮のありのままの正確な情報を調査し、帰国後の生活について説明する義務を負っていた。
しかし被告は一人でも多くの在日朝鮮人を帰国させるために、北朝鮮の正確な情報及び帰国者の実状を調査することなく、むしろ故意に秘匿したものであり、調査義務違反及び説明義務違反は明らかである。仮に被告に故意がなかったとしても、日本において北朝鮮に関わる情報を正確に得ることができるのは被告しかなく、帰国者の生命・自由すら脅かされる実態を調査せず安易な情報提供をもって希望者を帰国させたことは、被告の重大な善管注意義務違反である。
(二)不実の告知
また、被告が在日朝鮮人に与えた北朝鮮の情報は著しく偏り、実際に帰国した者にとっては虚偽と言える情報ばかりであった。被告は北朝鮮における生活を「地上の楽園」と称し、在日朝鮮人らにこれを誤信させたものであり、これは不実の告知である。
(三)帰国者の地位及び立場についての重要事項の不告知
更に、帰国者が北朝鮮においては監視対象=動揺分子として密告の対象とされていること、少しでも体制に不満をもったり日本での生活を口にしたと密告されれば、突然強制収容所における監禁、拷問果ては処刑されてしまうような厳しい監視と迫害の下におかれるという重大な事実を、被告は帰国希望者に対し一切告知していない。北朝鮮には出身成分で人間を区分する制度が厳然として存在している事実、北朝鮮の特権階級たる労働党員に帰国者はなれない事実、帰国者が監視対象として位置づけられていることの意味などは、帰国者が北朝鮮で生存していくために最も重要な点であり、まさに生死の問題であるが、被告は一切これを告知していない。被告は在日朝鮮人をして北朝鮮の奴隷的労働力とするため、あるいは人質として日本に残る在日朝鮮人から情報と資産を搾取するための帰国事業でありながらこれを隠して帰国希望者を募った。重大な重要事項の不告知である。
3、帰国者に対する保護義務違反
また、北朝鮮へ帰国した帰国者の基本的人権の侵害、果ては生存権の侵害に至るあらゆる権利侵害に対し、被告は被告綱領3項による帰国者の権利を擁護する義務があり、これを行使する力量を備えているにもかかわらず被告はこれを怠り、帰国者を恐怖と危険にさらし続けたものであり、被告には帰国者に対する重大な保護義務違反がある。
被告は当然に北朝鮮国内における実態及び状況を即時に把握でき、北朝鮮における帰国者の悲惨な迫害生活を熟知していたものであるが、これを黙殺し、帰国者らの権利を擁護する義務を怠ったものである。
三、被告の原告に対する債務不履行責任
1、帰国契約上又は参画契約上の被告の債務としての原告に対する調査・説明義務違反
原告は被告と帰国契約を締結したことから、被告主催の帰国者青年学校に入所し、帰国のための教育を被告から受けた。原告はこの青年学校で、被告によって朝鮮語、朝鮮の歴史、北朝鮮の現状に対する教育を受け、北朝鮮政府は全ての国民一人ひとりの為の最大の配慮をしており、全ての点(衣食住)で何の心配もない地上の楽園であること、帰国すれば確実に大学へ進学できると誤信させられた。
しかし被告には、20歳前後の若年層を集めて教育を目的とする同青年学校において、帰国後これら若い力が北朝鮮においてどのように期待されているか、即ち奴隷的労働力の核として実働している事実、成分分類による監視対象として生活は厳しく監視されていること、職業選択の自由や居住の自由もなく、日本へ戻ることもできないばかりか、北朝鮮国内の移動すら厳しい制限があることなどを正しく説明し、将来ある原告ら若者に帰国を選択するか否かの最終決定をさせる場とすべきであるのに、むしろ洗脳に近い一方的な情報によって原告を欺罔したものである。被告の青年学校における教育は、本件帰国契約の最終目的(原告の帰国の実現)に対する重要な準備行為であり、被告は正確な調査に基づく説明義務及び重要事項を告知する義務があったにもかかわらず、これを怠ったものである。
2、帰国契約上又は参画契約上の被告の債務としての原告に対する保護義務違反
北朝鮮帰国後の原告の生活については、原告が受けた様々な抑圧や権利の侵害に対し、被告は参画契約に基づき、被告綱領三条により原告の権利(自由)を擁護する義務があった。しかし被告は、政治的にも経済的にも本国政府に働きかけて帰国者の人権擁護を遂行するだけの十分な力量を有していたにもかかわらず、何の働きかけもしないまま推移した。
また、原告と被告との契約関係(帰国契約)に基づき、帰国前に被告が原告に約束した、人間らしく扱われ差別されない生活を送るという約束、大学へ通うという約束の実現に助力すべき保護義務があるが、被告はこれを一切行っておらず、原告に対する保護義務違反は明白である。
3、信義則上の調査義務・説明義務・保護義務違反
原告は被告幹部らから執拗に帰国を勧誘され、これを断り続けていたものであるが、被告は被告岡崎支部の委員であった原告の父をして、北朝鮮が「地上の楽園」であること、「祖国は帰国者の生活を保証する」ことを誤信させ、原告の父をして原告にその旨説明させて原告に帰国を決意させた。
また、原告の帰国した61年6月は、既に帰国ブームが下火となり始め被告は帰国者数を揃えるためなりふりかまわず奔走していたものであり、被告の委員である原告の父にも被告幹部らはその地位を利用して家族を帰国させるよう強い圧力をかけていた。
被告は原告が北朝鮮に帰国さえすればよかったのであり、原告に帰国を決意させるべく(被告との帰国契約を結ばせるべく)被告は原告及び原告の父に対し、帰国後の原告の生活果ては生死に関わる真の情報を与えることなく、何の心配もなく生活し勉強できる環境が国によって保障されていると説明してこれを誤信させ、原告に帰国を決意させたものであり、これは前記二項2記載の調査義務及び説明義務を懈怠したものであり、不実の告知であり重要事項の不告知である。
原告は北朝鮮の実情を伝えられていれば絶対に帰国を決意しなかったのであり、被告が説明義務を尽くしていれば原告は被告との帰国契約を締結することはなかった。よってこれら被告の調査義務及び説明義務違反は信義則上の義務に違反するものである。また、被告には同じく信義則上の義務として原告の保護義務も存する。しかも生死に関わる問題であり、人の一生の問題を決定付けるような重要な事項の説明義務違反並びに保護義務違反は損害賠償の原因となり得る。
4、以上のとおり、被告には原告との「帰国契約」締結における債務として、又は「参画契約」上の債務として原告の帰国に対し万全の準備を整えさせるべく、未知なる社会主義国・北朝鮮における帰国後の原告の生活にかかわる社会体制及び経済体制等、原告が北朝鮮で生きるために必要な全ての正確な情報調査義務、説明義務を有していたが、これを懈怠した。
また被告は原告に対し、青年学校において北朝鮮の正確な情報及び説明を与えることにより、原告の自由な意思決定をさせなければならなかったものであるがこれを懈怠したものである。
更に、被告には原告との「帰国契約」又は「参画契約」の本債務として、原告が人間として生活するに最低限の人権擁護を行う保護義務があったものであるが、被告はこれを懈怠した。
よって、原告と被告間の「帰国契約」又は「参画契約」について、被告には上記の通り契約上の本債務たる調査・説明・保護の各義務があったが、被告はこれらに違反した債務不履行責任がある。
又、しからずと言えども、被告の帰国者の生活実態に対する調査義務・説明義務違反及び保護義務違反は人の生死に関わる問題であり、重大な信義則違反の債務不履行責任がある。
四、原告の損害
原告は被告の説明義務違反ないし重要事項の不告知等の各行為により、北朝鮮は差別のない社会、生命の自由、危険のない社会と誤信し、自らは大学へ通って勉強できると誤信して帰国した。
ところが原告は大学へ通うことができなかったばかりか、職業及び居住場所を命令されてこれに従わされ、行動・言論を統制されて監視され、劣悪な生活環境の下、人としての最低限の権利も認められないまま休みもなく奴隷同様に働かされた。その結果、体重は日本での半分にまで落ち、北朝鮮でこのまま奴隷的な労働を強制されて一生を終えるか、一か八かの逃亡に生死を賭けるかいずれかという究極の選択をせざるを得ないところまで追いつめられ、言葉に尽くせぬ肉体的・精神的苦痛を受けたものである。国外逃亡に成功する確率は限りなくゼロに近いものであり、失敗は即死を意味する過酷な選択であるが、原告は日本に残る在日朝鮮人をこれ以上被告の欺罔により帰国させてはならないという強い意志と精神力と強運で、凍傷や左肘部骨折などの傷害を負い、見つかったら銃殺されるという恐怖の中、辛うじて生きて軍事境界線を突破することが出来たものである。そして、左肘部、左肩に重い後遺障害を今なお遺している。
よって、原告は帰国契約(仮に然らずとするも参画契約)における被告の債務不履行により、上記の通り北朝鮮で人としての当然あるべき人権を著しく侵害され、575日に亘り言葉に尽くせない肉体的・精神的抑圧、苦痛、損害を受けた。
朝鮮総連に対する損害賠償訴訟の意義 山田文明 事務局長
1 朝鮮総連の罪と訴訟にいたる経過
帰国運動の被害者は93,000余人の帰国者のみならず、日本あるいは韓国で暮らす家族もその中に含まれる。
朝鮮総連から帰国勧誘時に聞かされた事実に反し、帰国者の身の上には生活苦と政治的迫害が加えられ、さらには家族ぐるみで長期に収容所に隔離され、動物以下の生活を強いられて生命をおとすひとも多く、直接処刑された例もめずらしくない。援助をもとめる連絡を受けた日本あるいは韓国の家族も、また行方不明となった帰国者を案じる日本あるいは韓国の家族も、40年もの長きにわたって一日として平安な日を送ることができずにきた。これらの人々を合わせると帰国運動の被害者は、100万人にのぼると考えられる。
重大な点は、今なお被害が継続し、帰国者は高齢化しつつあり、その生活と生命が一段と危機に瀕している現実である。帰国した家族をなんとか助けようとする在日家族の生活は、もはや限界に達している。
それにもかかわらず、帰国運動を直接推進し、北朝鮮の実状をもっとも正確に知り、かつ北朝鮮政府に強いつながりのある朝鮮総連は、その事実さえ認めず、率先して救済にあたるべき立場にありながら、何ら救済しようともしていない。
被害の内容、被害者の数、被害の期間からみて重大な人権犯罪の被害者である帰国者とその家族の権利回復のための行動は、日本の社会と政治の課題でもある。私たちは北朝鮮帰国者と日本の家族の自由な往来、帰国者およびその家族への政治的迫害の停止、行方不明帰国者の捜索と正確な消息の公表を強く求める。そして、北朝鮮において基本的人権が保障されることを要求する。これらは現代社会にあっては、当然の事柄である。
帰国運動を重大な人権犯罪とした責任は、深刻な被害の直接の加害者である北朝鮮政府とその被害の可能性を知りつつ帰国運動を推進し、その後の現実の被害に目をつむり、救済の行動をとろうとしない朝鮮総連にある。その責任を問うことは、帰国者の故郷たる日本社会の責務であり、今なお被害に苦しむ帰国者を救済するための道程でもあり、すでに犠牲となった人たちの名誉回復と追悼の行為でもある。
わが国には100万人ほどの帰国者家族が生活しているが、そのほとんどは北朝鮮に家族を人質として取られているにひとしい状況におかれ、あるいはまた、家族・親族のだれかが朝鮮総連と関連する仕事に携わり、名乗りをあげて北朝鮮政府と朝鮮総連を批判することができない実情にある。
この点では、韓国に在住する人たちにも共通する問題であるが、今回、各種の人権問題に取り組んできた藤森克美弁護士の協力を得て、金幸一さんによる提訴という勇気ある行動が実現した。
金さんと守る会との出会いは、昨年夏、他の北朝鮮脱出者によって紹介されたことに始まる。朝鮮総連への提訴を考える脱出者やその家族は多数あるが、事実関係の不明確さや他の関係者への配慮から、まず金幸一さんが訴訟に立ち上がることになった。これを機会に、多くの関係者が帰国運動の法的責任を問う行動に立ち上がる環境を切り開いていきたい。
2 訴訟の争点と意義
この訴訟は、金幸一さん個人に損害賠償によって一定の金額を入手する目的で行うものではない。訴状にもあるとおり、「原告の辿った過酷な体験を通し、帰国事業の犯罪性を裁判の場で糾弾し、今なお人質政策に加担している被告の責任を追及するものである。」
朝鮮戦争によって焦土と化した国土を復興し、産業を育成していく必要に迫られていた北朝鮮政府は、戦争の犠牲となった労働力の不足、技術者の不足、資本の不足を在外同胞の帰国によって補おうと、中国、ロシア、日本の同胞の北朝鮮への帰国を進めようとした。その意向を受けた朝鮮総連は帰国希望者を強力に募り、1959年秋には11万人もの帰国申請書を集めていた。この過程、ならびに帰国の過程で朝鮮総連は、日本の生活を捨て見知らぬ北朝鮮へ渡る人たちに、北朝鮮の正確な実情を調査し、事実を伝え、必要な準備をするよう手助けするのでなく、「地上の楽園」と思い込ませる説明に終始し、帰国者に偽りの情報を与え、判断を誤らせた。その事実を朝鮮総連の幹部は承知していた。
帰国が始まった直後から、「地上の楽園」という説明とは異なる深刻な生活物資の不足を訴える手紙が日本の家族のもとに届き、後に続く家族には帰国を断念させようとする連絡が入るようになった。やがては、帰国者の自主的な発言や行動が敵視され、ある日突然帰国者一家が強制収容所に送られるという事態まで発生するようになっていった。そのような事実を朝鮮総連は知りながら、正確な事態の把握と救済のための具体的な手を打つことなく、そのような事実の存在さえ否定しつづけていることは、朝鮮総連を信頼して加入し、その勧めに応じた人々に対する重大な裏切り行為である。
この裁判をとおして、帰国運動の実態を明らかにし、人々の自然な希望と良心的な思考を欺き、多くの人たちの人生を狂わせた罪を告発し、朝鮮総連の対応の違法性を客観的に明らかにしていきたい。
3 人権を擁護し、コリアンとの友好を願うすべての人びとに支援を訴える
帰国運動に際して、国籍の如何を問わず多くの善意の帰国運動協力者が活躍した。政党、政治家、ジャーナリスト、社会運動家、そして熱心な先生たち。当時、その人たちに提供された情報は、決して正確な調査にもとづくものではなく、一方的なものであったし、また、不正確な見聞をもとに「地上の楽園」宣伝に一役かった人たちもある。私を含め、帰国運動に善意で協力した人たちや、心情的に支持・支援した人たちにも、今の事態を見つめ、道義的な責任を痛感する人も多いはずである。今再び、日韓、日朝の真の友好のために、過去の過ちを忘れるのではなく、被害者の救済のためにそれの実情に応じて、できる事をできる範囲で行動し、この裁判にご協力くださるようお願いいたします。
1 裁判の諸費用はすべて支援者のカンパで賄うしかありません。ぜひ、カンパにご協力ください。
2 帰国運動に関する諸資料が残っていれば、コピーでも結構ですからご提供ください。
3 手紙や訪問でお知りになった現在の帰国者の実情について情報をお寄せください。
4 帰国運動の経験や知識をお持ちの方は、ぜひお話をおきかせください。
なお、訴訟支援のカンパは下記の専用口座へご入金ください。
■ 座 名 「守る会訴訟支援」
■ 座番号「00920-7-134220」
金幸一さんとその著書『悪夢の575日』など 梅村雅英 東海支部資料調査委員
出迎えにあがり
5月27日、名古屋空港に帰国事業での北朝鮮帰国者の中の脱出者第一号である金幸一さんを出迎えにおもむき、韓国帰国前日の6月4日まで守る会会員としては結果的に一番長く金幸一さんと過ごすことになった。金幸一さんの名前は以前から知っていたが、知り合いになるとは思っても見なかったので、少し興奮しました。
朝総連
金幸一さんの名前を知ったのは3年半ほど前のこと。帰国事業のことを調べはじめ、『朝総連』という本を読んだ時のことだ。当時私は、ソウルに住んでいたので、日本語による帰国事業関係の文献や資料はあまり読む機会がなく、『朝総連』も韓国語の本であった。朝総連とは、「在日本朝鮮人総聯合会」(朝鮮総連)のことで、韓国での略称である。余談だが、この本は1974年に出版された本で、全編で300ページほどだったと思うが、そのうち四分の一ほどを帰国事業の記述に当てている。朝鮮総連を論ずるにあって、帰国事業というのはそれ程の重要性を持っているということです。
『悪夢の575日』
さて、金幸一さんのことですが、詳しくは本人の北朝鮮体験記、『悪夢の575日』(日本語版)、それを元にした張明秀著『38度線突破!』:JICC出版局、柴田穂著『金日成の野望(下)』:サンケイ出版を読んで欲しい。
私は『38度線突破!』、『金日成の野望(下)』の両方とも読んでいたが、『悪夢の575日』の日本語版があるとは気づかなかった。韓国語版で是非読みたいと思っていたのだが、果たせなかった。5月1日、静岡での学習会のときに、山田先生が日本語版のコピーを持っておられるのを知った。訴状のチェックをするとき、『38度線突破!』、『金日成の野望(下)』では細かいところが違っていることに気づき、『悪夢の575日』を手に入れる必要があると思った。そこで山田先生にコピーの入手をお願いしたのである。
長らく眠っていた蔵書
ところである日、名古屋の某私立大学で何気なくパソコンで蔵書の検索をしたところ、意外にもあるではないか。本の奥付を見ると1966年発行で、当時、駐日大韓民国大使館広報部が政治宣伝の一環として、日本全国の大学や図書館に寄贈したものらしい。宣伝の結果は私がその本の2番目の読者だったことからもわかるように、散々なもののようだった。政治的プロパガンダであるとして、誰も真面目に受け取らなかったのだろう。朝鮮総連も反共謀略宣伝としてのキャンペーンを繰り広げたに違いない。信じようとしない時にはどのような貴重な真実でも無意味という例である。こういう例は日朝関係には多い。
金幸一さんと対面しての訴状チェックでわかったことは、事実を変えてあるところがあるということ。それは北朝鮮で係わり合いになった人たちの安全を考慮してのことであるという。みんなで読んで学習会をすれば新しい発見をするだろうと思う。是非皆さんに読んでおいてもらいたい本である。
第3回北朝鮮人権市民大学 「金正日と朝鮮総連の最近の動き-北朝鮮の在日秘密組織・学習組について」 朴 龍鎬(元朝鮮総連幹部)
総連が出来たのは1955年の5月25日ですが、1952年に「連絡員」を金日成のところに送っていることですね。朝鮮戦争の最中に韓徳銖は「連絡員」を送ったわけですよ。ここで「路線転換方針」を言ったというわけです。この論文ではっきり言えるのは在日朝鮮人は朝鮮の革命をやるんであって、日本の革命をやる必要はないということです。日本にいた共産主義者は朝鮮共産党日本総局に所属していたんですが、1928年にコミンテルンの「一国一党の原則」が出ました。このため1930年頃に日本共産党に全部入ったんです。で、金日成は中国共産党に入った、朝鮮共産党ではなかったんです。そこで問題は日本にいる在日共産主義者をだれがどういう形で自分のものにするかということだったんです。
北朝鮮を知るうえで重要な文献
次に4冊の本について。まず『金日成 朝鮮海外僑胞運動について』は85年に総連が結成30周年を記念してつくられた本です。また『金日成 在日朝鮮人運動の強化発展のために(1)』(97.11.10刊行、朝鮮新報社で98.5.25翻刻発行)と『金日成 在日朝鮮人運動の強化発展のために(2)』(97.11.25刊行、朝鮮新報社で99.7.8翻刻発行)。 それと『金正日 在日本朝鮮人運動と総連の任務』(00.1.10刊行)、これは去年の一月に平壌で発行されています。この本が重要なのは金日成が死んでから金正日が自分の談話と論文を出したということですね。18回大会までの論文が全部収録されています。韓徳銖の『主体的海外僑胞運動の思想と実践』(86年、未来社刊)という本は総連のことを勉強する場合にどうしても一度見ておく必要があるんじゃないかと思います。世界の海外矯胞はたくさんいるけれども総連のような組織を持っているのは一つもない。総連のような組織は作れない、日本で総連を作った韓徳銖の功績は大きいということです。金正日が弔問団を送り込んだわけも分かります。
「学習組」について
「学習組」の規約について言えば、序文の内容は一言で言って金日成、金正日の言うとおりにしなさい、ということですよ。ここで伝達されていないのは、推測するに指導委員会をどうするかのことではないかと思います。総連は北朝鮮の大使館の役割をやってはだめだと文献にはでてきますが、実際はそういうことをやっているわけです。また日本の公安に対して総連は破壊活動防止法の対象団体になっているわけです。こういう学習組を持っていて日本の法律を守っていると言っても何をするかわからないんです。で、金炳植(キム・ビョンシギ)という韓徳銖の姪の主人がいつのまにか第一副議長にまでのしあがって、のちに反党反革命分派分子というレッテルをはられて韓徳銖から追われましたが(金炳植事件)、金日成は彼を民主党主席、国家副主席にまでしています。金炳植のカバン持ちをやっていたのが今、責任副議長である許宗萬(ホ・ジョンマン)です。彼は金の出入りも、どこに不正があるかも全部知っています。今、総連と北朝鮮との関係はこの通りです。
学習組の毎週の会議の主な報告事項の一つは「祖国統一」のことなんです。ですから「お前は南から来ている人間を5人受け持つことになっているが、今週はどういう仕事をしたか」という報告をしなければならない。報告のタネを持ってない人は困っちゃうんですよ。この報告には共和国の建設にいかに在日同胞が利用されているか、露骨に言っています。
民族教育については、終戦直後、日本語しか知らない在日朝鮮人に朝鮮語を知って帰りなさいということで夜間講習所ができた。総連ができてから正式の学校になったわけです。ですから元々は朝連の時から学校はあったんですよ。だから何も韓徳銖が作ったわけじゃない。総連が民族教育をどうするかということで強調していることは、第1に主体思想の世界観で祖国愛、民族愛の教育をし、2番目に情報革命の時代だからIT教育を行なう。そしてIT技術者を共和国に送る、また青年の教育をしっかりやって、学生を増やすように努力しなさい、ということです。ですから総連は絶対につぶれないというのです。
総 連 の 行 方
最後に第19回全体大会(01.5.25~26) がこのあいだ東京で開催されましたが、これに最高人民会議から祝電が送られてきています。こんどの大会では何人代議員が参加したかは発表されていない。朝鮮新報には「新しい世紀の要求と在日同胞の志向に合わせて、在日朝鮮人運動の強化発展させることについて」という見出しの報告が出ています。日本の各界からの挨拶では、日本共産党の志位委員長もいます。去年、日本共産党から「仲良くしよう」と総連に申し入れているわけです。来年は金日成の誕生90周年、金正日が還暦を迎える年なんですよ。問題は金正男にバトンタッチをするかどうかです。
(講演内容を編集部で抜粋)
<資料> 1983.10.26伝達 北朝鮮の在日秘密組織 「学習組」の規約要旨
序文
学習組は偉大な首領(様がついているが以後省略する-筆者)が作られ、導かれた栄えある在日金日成主義者の革命組織である。学習組は朝鮮民主主義人民共和国の海外公民団体である総連の核心勢力、先鋒的組織部隊であり、組織のうちで最も高い革命組織である。
学習組は在日朝鮮人運動のなかで首領の革命思想、金日成主義で武装し、首領を永遠にいただき、敬愛する首領と親愛なる指導者(同志がついているが省略する-筆者)にどこまでも忠誠をつくし、社会主義祖国を愛し、擁護し、祖国統一をはじめとする総連愛国事業に模範的に参加する先進分子によってつくられる。
学習組は偉大なる首領が抗日パルチザン時期にきずいた栄えある革命伝統を継承発展させる。
学習組の目的は、総連を金日成主義化、祖国統一の実現、わが国における全社会の金日成主義化の偉業を早めるためにある。
学習組はあらゆる活動で党の唯一思想体系、党の唯一指導体系を樹立することを基本原則とする。学習組はチュチェ思想体系にもとづく総連隊列の思想・意識的団結を強化する。
学習組は学習組員を偉大なる金日成主義で武装し、革命的組織生活をし、彼らをチュチェ思想の血のみ流れる金日成主義者にし、偉大なる金日成主義の偉業実現、祖国統一を始めとする総連愛国課題遂行において先鋒的役割を果す。
学習組は対人活動を学習組事業の基本にする。学習組は革命的大衆路線をあらゆる活動の基礎として、偉大なる首領式事業方法を貫徹し、同胞を首領と指導者の周りにしっかり結びつけるために闘う。
学習組は内外の敵どもの破壊、暗殺から学習組と総連を守る。
規約(要旨)
第一条 学習組組員
一、学習組組員は朝鮮革命とその一翼である在日朝鮮人運動において金日成主義偉業を実現する。(以下略)
二、学習組組員は在日朝鮮公民として首領と指導者を忠誠によって高くいただき、首領の金日成主義を自己の世界観とし、(以下略)
三、学習組組員は初級班に参加する。(以下略)
四、義務
(1)学習組組員は党の唯一思想体系、唯一指導体制をしっかり樹立しなければならない。(略)学習組組員はチュチェ思想に反する自由主義思想、封建儒教思想、修正主義、教条主義、事大主義、宗派主義、地方主義、家族主義に反対し激しくたたかい、チュチェ思想、マルクス主義にもとづく総連隊列の統一団結を自分の瞳のように守らなければならない。(以下略)
五、権利(略)
第二条 学習組の組織原則と組織構造
一、学習組は中央集権制の原則によって組織される。
(1)学習組は責任者、副責任者、講師を学習組総会で選挙する。
(2)学習組は学習組組織に、少数は多数に、下級は上級に服従する。(以下略)
二、略(この部分は伝達されず)
三、略(この部分は伝達されず)
四、学習組組織の最高指導機関は学習組総会である。
五、(略)
第三条 略(この部分は伝達されず)
第四条 学習組の組織構成と任務。
一、学習組は全ての学習組組織の末端基礎組織である。
二、学習組は次のように組織する。
(1)学習組は五名以上いる単位に組織される。特別の場合は三~四名でも組織することができる。
(2)学習組には責任者、副責任者、講師をおき、彼らが学習組に提起される事業などを常に協議し、執行するようにする。
三、学習組の最高指導機関は学習組総会である。学習組総会は一ヵ月一回以上を原則とするが、特別な場合二~三カ月に一回にすることができる。
四、学習組組員の組織任務は次の通りである。
(1)学習組組員は総連を金日成主義化するために学習組の中に党の唯一思想体系、党の唯一指導体制をしっかり打ち立てる。
(2)学習組組員は全ての力を祖国統一事業に集中し、全ての学習組組員を祖国統一のための事業に組織動員する。
(3)(略)、(4)(略)、(5)(略)
(6)学習組組員は大衆の要求、意見を虚心に受け入れ、すぐに解決し、民主主義的権利の擁護、団体と職場の秩序を打ち立て、敵どもの破壊、暗殺から学習組、総連の防衛、秘密を保障する。
(7)学習組は首領式活動方法を具現し、あらゆる活動の政治活動、対人活動を優先して、個別教育体系に従って学習組組員と同胞を教育し、自己に与えられた革命課題を成功裏に遂行するようにしなければならない。
(8)学習組は学習組費を受け取り、自己の活動状況を上級に正常に報告しなければならない。
「提訴」を伝える、各紙の報道 歴史的な裁判!七月二七日(金)東京地裁で!
※新聞記事の貼り付けのためここでは省略します。
「この人に聞く」 聞き手・萩原 遼 藤森克美さん(帰国者裁判弁護士)
プロフィール 1945年生まれ、北海道出身。これまで取り組んだ主な裁判は、ヤマギシ会に財産を奪われた人たちの返還訴訟。宗教団体「法の華三法行」の大規模な詐欺事件を追及しこれを破産に追い込み、この団体のトップの福永法源を逮捕・起訴にもちこんだ裁判。このほか市民オンブズマン訴訟は数えきれないくらいの人権弁護士です。
―― 在日帰国者の金幸一さんの裁判にとりくもうとなさった動機からお話ください。 ――
萩原遼さんの『北朝鮮に消えた友と私の物語』を読んだことです。帰国者が北朝鮮でひどい目にあっていることは多少は知っていましたが、あんなにひどいとは思いませんでした。これほどの人権侵害をこのままほっておいていいのかと思いました。
―― あの本が出てまもなく私の奈良の仕事場にお電話くださったのでしたね。――
99年の春でした。そのあと萩原さんと東京の弁護士会館でお会いして打ち合わせをしたのが始まりでした。
―― 原告になってくれる人がなかなか見つからず、大変でしたね。藤森さんが「とにかく手を上げてほしい。手弁当でやるから費用はかからない」と東京でも大阪でも私たちの集会で訴えておられる姿に感動しました。「なんだ、誰もやる気がないのか」とサジを投げられるのではないかと、それを心配していました。 ――
去年10月に山田文明さんとソウルに行って北朝鮮を脱出した帰国者に会う中で金幸一さんと出会えたことは幸いでした。「この人なら大丈夫」と思ったのです。これでいけると確信を持ちました。
―― これまで朝鮮問題とのかかわりは? ――
統一協会(注、韓国生まれの反社会的な集団)を相手取って元の信者たちがおこした「青春を返せ訴訟」があります。私の担当した裁判は勝ちました。また統一協会がやっていた霊感商法(注、先祖のたたりがあるなどとおどして壷などを法外な値で売りつける)の被害者を救う訴訟は14、5年やってきました。件数では1000件をくだらないと思います。
―― 被害にあった人のお金は取り返せましたか? ――
そうですね、総額でたぶん20億円ぐらいは取り返せましたね。
―― すごい金額ですね。こんどの朝鮮総連を裁く裁判も相当の長期化が予想されますが、 見とおしは? ――
5年は覚悟しています。10年裁判になるかも知れない。しっかりと事実関係を踏まえて朝鮮総連との論戦や立証合戦で相手を圧倒したいと思います。守る会には研究熱心な「特別弁護人」(注、守る会会員のなかの帰国者問題の専門家)が多数いて心強いかぎりです。守る会に要望したいことは、マスコミを味方につけるために広報活動に力を入れてほしいということです。
―― わかりました。私たちも全力をあげてがんばります。 ――
<人権年表>
『北朝鮮の対米批判と相次ぐ北朝鮮亡命』『金正日の長男、金正男の不法入国と北朝鮮の人権』(2001年2月~2001年6月)
2001年(2月)
21日 朝鮮総連議長として半世紀近くも君臨し、9万3千人の在日韓国・朝鮮人の帰国運動を推進して未だに里帰りがかなわぬ悲劇の原因を作った韓徳銖氏が死去した。
23日 韓国の人権団体「北韓同胞の生命と人権を守る市民連合」が、総会を開催し名称を「社団法人 北韓人権市民連合(英語の略称NKHR)」(ユン・ヒョン理事長)に変えた。また、「新設予定の国家人権委員会の中に、北朝鮮人権状況及び脱北者問題担当部署が設けられるべき」との決議が採択された。
26日 北朝鮮に肉親を拉致された横田滋さん(68歳)ら家族7人と支援者らの10人が米政府に救出支援を訴えるために訪米した。一行は26日、ワシントンの国務省でハバード次官補代行(東アジア・太平洋担当)と会見、代行は「ブッシュ政権が北朝鮮の国家支援指定を解除する予定はない」「私は拉致に確信を持っている」と語った。
26日 南北離散家族の第3回目の再会がソウルと平壤で始まった。平壤では1969年12月に起きた大韓航空機ハイジャック事件で北朝鮮に拉致された元スチュワーデス成敬姫さん(55歳)と韓国側訪問団で母の李後徳さん(77歳)の再会もあった。北は「成さんは自ら越北してきた」と主張してきた。成さんには夫と一男一女。
(3月)
2日 日本人拉致被害者家族の一行は、ニューヨークの国連本部を訪れ、国連人権高等弁務官ニューヨーク事務所のヌジャエ所長、大島賢三緊急援助調整室長(同事務次長)、佐藤行男国連大使らと会い、拉致問題の解決に向け協力を要請した。所長は国連人権委員会の「強制的失踪作業部会」による調査を通じた協力を表明した。
7日 訪米中の金大中大統領とブッシュ米大統領がホワイトハウスで初の首脳会談を行なった。米大統領が金氏の朝鮮半島平和構想について透明性があまりないので合意の条項がすべて順守されているかどうか確かではない」と北朝鮮に対し不信感を表明、対話では「いかなる交渉も完全な検証を伴うものでなければならない」と慎重、金氏は対話の推進では「一挙手、一頭足につき米国との協議を保証した」と表明。
8日 訪米中の金大中韓国大統領はワシントンのシンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所」で演説、韓国は北朝鮮に対し・1994年の米朝核合意の厳守・ミサイルの製造・販売の完全中止・韓国への不可侵を要求、見返りに米韓による北朝鮮の安全保障、適切な経済支援、国際社会への進出支援などの考えを示した。
10日 国家情報院によると、北朝鮮脱出の住民12人が食糧難による生活苦から9日までに第三国経由で韓国に亡命した。内訳は工場や炭鉱の労働者5人、無職の市民2人、高等中学校の教員1人、植物園の研究者1人、未成年3人。
13日 韓国統一省によると、北朝鮮側訪問団の全今振団長は、板門店を通じ、韓国側の朴在圭首席代表に「いろいろ考慮した結果、本日の(閣僚級)会談には出られなくなった」との連絡文を送ってきた。事実上の無期延期と見られる。
14日 平壌放送は同日午後1時の論評で「ブッシュ米政府が、対北朝鮮敵視政策を変えず、我々の自尊心と尊厳を傷つけ、共和国に挑戦している」と非難。「挑戦には強行対応で応じる」と報じ、放送は一時間に6回も「米国は平和破壊者!」と連呼。
17日 韓国の有力紙「朝鮮日報」によると、1998年11月に当時3歳の子供とともに韓国に亡命したユ・テジュン氏(35歳)が、昨年6月に中国に渡り、人手を介し国にいる妻子を呼び出そうとしたところ、北朝鮮の国家保衛部員に逮捕され、前の居住先の咸鏡道の咸興で公開処刑された。国家情報部は事実を知りながら何の処置も取れなかったと批判されている。ユ氏はその後に亡命した母親と大邱市に住んでいた。
25日 「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の中国・四国支部結成式が、愛媛県松山市の松山総合コミュニティーセンターで開かれ、守る会共同代表の萩原遼氏が記念講演を行ない、在日韓国人2世の趙博さんが記念ライブと萩原代表との記念トークを行なった。
27日 「労働新聞」は「現米国政府はタカ派政府、冷戦政府」と題する論文を掲げ、現大統領を「やはり平和を破壊し、世界制覇を狙う力の信奉者」と非難を浴びせた。
(4月)
5日 北朝鮮の最高人民会議(国会)第10期第4回会議が、金正日総書記の出席の下、平壌の万寿台議事堂で開かれ、洪成南(ホン・ソンナム)首相が2000年の活動状況と 2001年の課題について報告(政府活動報告)し、即日閉幕した。課題は軍事優先路線の下での生活水準向上と農業発展による食料問題の解決。
6日 富山県黒部市荒俣の海岸に北朝鮮工作員が使用したと見られる水中スクーターが発見され、黒部署が押収し、富山県警が捜査していることが判明した。平成2年 11月に福井県美浜町の海岸で工作員とみられる2人の溺死体とともに発見された水中スクーターと同型。今回は2月中旬に発見され、3月29日に届けられた。
7日 「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」は都内で総会を開き、・帰国者の人権を擁護、確立し、自由往来を勝ち取る・強制収容所の廃絶を目指す--など2001年度の活動方針を決定。大阪経済大学助教授の山田文明氏と藤森克美弁護士が講演。
9日 日本人拉致被害家族と韓国の拉致被害家族がジュネーブの国連人権委員会(強制的失踪作業部会)を訪れ、日本人被害者9人分と韓国人被害者5人分を申し立て。
16日 世界食料計画(WFP)の北朝鮮支部代表のデビット・モ-トン国連人道援助問題調整官が北京で昨年秋の穀物収穫量は480万トンの需要に対し、300万トンと明らかにした。96年から5年間で最低予測。肥料不足と春の干ばつによる。
(5月)
3日 金正日朝鮮労働党総書記の長男である金正男氏(29歳)と見られる男性が1日、成田国際空港でドミニカ共和国名義の偽造旅券を使って不法入国しようとして東京入国管理局に入管難民法違反容疑で身柄を拘束されたことが、同日、判明した。他の拘束者は30歳と33歳の女性、4歳の男児。一両日中に国外退去処分になる見通しだ。韓国の新聞によると、北のIT政策を主導する「朝鮮民主主義人民共和国コンピューター委員長」に98年頃に就任、今年1月の金総書記の上海訪問にも同行している。
3日 金正日朝鮮労働党総書記は、平壌を訪問中の欧州連合のペーション・スウエーデン首相らとの会談で、米国との合意で1999年から続けている長距離弾道ミサイルの試射凍結を2003年まで延長する方針を示し、韓国訪問時期は触れなかった。
4日 政府は、金正男(29歳)とみられる男性一行4人を国外退去処分にふした。4人は午後の全日空機で成田から北京に到着した。政府は日朝関係に配慮し、公式確認を避けて対応した。関係筋によれば、4歳の子は金正日の子供ともいう。
4日 自民党の平沢勝栄衆院議員ら超党派の国会議員有志10人は、政府の金正男一行の国外退去について「主権国家としての役割、任務を放棄するものだ」と緊急声明。 「横田めぐみさん等拉致日本人救出新潟の会」は、「不法入国者の犯罪に政府が加担する行為に等しい」とする抗議声明を発表した。
4日 米政府担当者は、米国が北に対し9万6千トンの食糧支援を実施することを決め、世界食糧計画(WFP)に通告したことを明らかにした。ブッシュ政権下では初。
14日 欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会は、EUが北朝鮮との外交関係の樹立を発表した。EUは今後、朝鮮半島の和平プロセスに積極的に関与し、調停外交を推進していく方針だ。
16日 朝鮮中央通信や平壌放送は、軽水炉建設の遅延をめぐる北の声明を伝えた。「米国がなすべきことは、遅延により2003年から被ることになる200万キロワットの電力損失の補償対策を講じることだ」と述べ、さもないと「黒鉛原子炉を復活せざるを得ない」「核凍結を解除せざるを得なくなる」と述べ、1994年の米朝核合意の破棄も辞さない姿勢を示した。
20日 日本へ戦後来日したニューカマーの韓国人の新しい連帯組織「在日韓国人連合会」(韓人会)が、都内の海洋ホテルにて結成された。会長には韓国語学会長であり、韓国家庭料理店「松屋」社長の金熈錫が就任した。ニューカマー韓国人の親睦と連帯、ニューカマーの権益擁護、情報の共有と相互助け合いなどが目的。
24日 ドイツの民間人道援助組織の緊急医師団「カップ・アナムーア」の医師、ノルベルト・フォラツエン氏(43歳)は、米国上院外交委員会が開いた「米国の対北朝鮮政策」に関する公聴会で証言し ①北の飢餓はなどの被害は人権弾圧の独裁政権の政策の結果であり、天災ではなく、政権の打倒こそが対策となる。②西洋諸国、米国、日本などの援助物資は北では真に援助を必要とする人々には達せず、政府要人や軍人に優先して提供される ③各地の一般病院は、薬品や包帯が不足しているが、軍事用病院は新式の設備が完備されている ④食糧援助も地方で飢えている人々には届かず、平壌のエリート達はアルゼンチン産のステーキを楽しんでいる ⑤政権を批判する人々はみな強制収容所に入れられ、弾圧されるために、一般国民は希望を失い、精神障害にかかる人が多い―と述べた。
また、金大中大統領が北の人権弾圧や国際テロへの非難を表明しないことを批判し「歴史的にもまれな人権弾圧に沈黙を保つような政策は意味がない」と述べた。
24日 金大中大統領は、青瓦台で開かれたソウル駐在外国人記者団との茶話会で「来月で南北首脳会談と南北共同宣言発表からまる一年となる。これを契機に金正日総書記の訪韓日程が明示されることを願わずにいられない」と語った。また太陽政策については「必ず成功する」と語った。
25日 韓国訪問中の李鵬全人代常務委員長は、青瓦台で金大中大統領と会見し、中国は朝鮮半島の南北の自主的、平和的統一への努力を断固支持すると語った。
28日 北朝鮮政策を調整する日米韓高官協議が26日、ハワイ・ホノルルで開かれ、3ヵ国は会議終了後、軽水炉の提供と引き換えに北朝鮮の核開発の凍結をうたった1994年の米朝核合意の継続を再確認するとの共同記者発表を出した。
29日 韓国国家情報院は、インターネットのホームページ「朝鮮インフォバンク」(http://dprkorea.com)が北朝鮮の公式サイトであることを明らかにした。同院は「継続して閲覧したり、意図的に他人に広めたりすると違法行為になる恐れがある。特にHPの会員になる場合は統一省に申請しなければならない」としている。
(6月)
6日 ブッシュ米大統領は、北朝鮮政策の見直しが完了したとして、①米朝核合意の履行改善 ②北朝鮮ミサイル計画の検証可能な抑制と輸出禁止 ③通常兵力の削減―の3議題に広げて米朝協議を再開するとの声明を発表した。軽水炉原発の火力発電への転換政策は見送られた。核査察の徹底化を図るものである。大統領は同時に「北朝鮮が前向きに対応して適切な措置を取れば、われわれは北朝鮮の人々への支援努力を拡大し、制裁を緩和し、他の政治的措置をとるだろう」と語った。
15日 米国議会調査局は米政府が北朝鮮をテロ支援国家に指定していることについての「北朝鮮=テロリズム・リストからの除去?」と題する報告書を作成した。報告書は、テロ国家指定問題について、日本人拉致事件とよど号乗っ取り犯保護の両方について日本の主張をこれまでより重視する姿勢をとっている。
18日 朝鮮中央放送によると、北朝鮮外務省スポークスマンは、ブッシュ米大統領が6日に北朝鮮との交渉を再開するとの声明を発表したことについて談話を発表した。米側が一方的に交渉の議題を提示したと非難し「結局は米国がわが方を武装解除させようとしているしか理解できない」と批判した。とくに通常戦力については韓国から米軍が撤退する前には「議論の対象にさえなり得ない問題」と一蹴した。
21日 韓国政府が投資する韓国観光公社が、韓国の現代グループと北朝鮮政府が進める金剛山観光事業参入を決定した。観光公社と現代による新企業設立に必要な資本は、韓国政府が支給する南北協力基金も充当される見通しで、同公社は約4百億ウォン(約40億円)を現金出資する方向だ。野党やマスコミには反対の声もある。
(佐伯浩明 運営委員)
同胞を金日成親子に売り渡した男(下) 洪 吉童(元朝鮮総連中央幹部)
前号で指摘したように、韓徳銖が在日同胞を心から愛し在日同胞のために一身をなげうった人間でないことは明白であるが、それは晩年、彼が在日同胞から見放された存在に転落したことのなかに明確に現れている。
彼の葬儀が盛大だったという人たちがいるが、彼が金日成親子からもらった勲章の数に反比例して一般同胞の対応はきわめて冷ややかであった。葬儀に集まった人たちは、現在総連に禄を食む人たちと外交儀礼で来た人たちがほとんどであった。
彼の死後、一部の在日人士が「統一日報」で彼の死を悼むとしながら、「彼はスケールの大きな人間で彼に対する一般同胞の冷ややかな態度は、彼に対する評価を矮小化したり朝鮮総連が犯した数々の誤謬を彼個人の誤謬にする短絡的な見方が意図的に広められたせい」などとわかった風なことをいっているが、これはまことに「短絡的」な見方であり、笑止千万といわざるを得ない(この人士は同胞の冷ややかな態度を無視できず韓徳銖の功罪は相半ばであるなどとつじつまを合わせた)。
在日同胞の彼に対する冷ややかな態度は、彼が金日成親子に在日同胞を売り渡した犯罪者であることを看破した結果であるといえる。
韓徳銖の罪状
韓徳銖が在日同胞を金日成親子に売り渡した罪は次のようなものである。
1、 総連系同胞を欺まん宣伝で共和国に帰国させ、金日成親子に売り渡し、帰国者に新たな奴隷的生活を強要した罪。
2、 総連系同胞に金日成親子を崇拝させ、首領独裁制を強制し、意に沿わない多くの総連幹部を反党分派分子の罪名で追放し、思想の自由と民主主義を奪った罪。
3、 共和国と在日同胞の歴史を捏造、歪曲し総連系同胞の歴史観を狂わせた罪。
4、 民族教育を金日成親子崇拝教育に転落させ、在日同胞の中に偏狭な民族主義を蔓延させた罪。
5、 総連系同胞の財産を金日成親子に収奪させることによって朝銀信用組合を破産させ、そのおこぼれで莫大な私財を不正に蓄えた罪。
6、 総連の財政基盤をパチンコ屋と不動産屋に集中させ、在日同胞経済のIT化を阻害した罪。
7、 共和国の金政権だけを支持するように強要し、内外に共和国の虚像をまき散らし、祖国の分断固定化に狂奔した罪。
勿論ここでいう7つの罪状は、彼が政治家であったことから当然のことであるが結果責任の罪である。すなわち在日同胞全体に何をもたらしたかということであり、上述した人士のごとく個々の人々の印象や感情を論じるものではない。
権力への執着心
この罪状の中で最大の罪は在日同胞を共和国に帰国させた罪であるが、これらの罪を一つずつ糾弾するには紙面の制約もあるので他の機会に譲るとして、問題はなぜ彼がこのような大罪を犯すことになったかである。それは彼の「権力に対する異常な執着心」と密接に関係している。この権力に対する韓徳銖の執着心については、いまから40年前、韓徳銖の性癖を肌で知り「帰国事業」の犯罪性をするどく看破した呉貴星(関貴星)氏が次のように指摘している。
「彼は個人崇拝が大好きで、独裁意識が強く、権力に盲執する癖は異常なものがある」
(『楽園の夢破れて』,p.95,亜紀書房刊)。
韓徳銖の権力に対する野望は金日成というスポンサーが現れたところから顕在化した。その最初の行動は総連の結成による日本共産党民族対策部系(民対系)幹部からのクーデター的権力奪取であった。
権力者への過程
この権力奪取に至るまでの韓徳銖と金日成の結託過程は総連の記録からは定かではない。
解放前までは一面識もなかった両者が、解放後どのような経緯で結びついたのかは、それがその後の在日同胞の運命を左右する誠に重大な問題であったにも関わらず明らかにされていない。また明らかにしようともしなかった(この点については萩原遼氏が『北朝鮮に消えた友と私の物語(文藝春秋刊)』のなかで工作員南信子の存在を明らかにすることによってその一端を明らかにしている)。
総連の公式発表では彼が解放直後から金日成を慕い運動を展開したとしているが、当時の彼を知る人たちはこれを一笑に付している。彼はむしろ呂運亨氏らの主張する「朝鮮人民共和国」路線を支持していたようである。これは解放直後、金日成が朝鮮における有力な政治指導者として登場していなかったことからも見ても自然な姿であったといえる。彼の金日成との野合はむしろ在日朝鮮人組織を日本共産党の支配から奪取することによる利害の一致から始まったと見るのが妥当である。このことは彼の「在日朝鮮統一民主戦線」(民戦)時代の不遇な状態、そして総連結成後の「民対派幹部」への執ようなまでの排除の姿勢などからみてほぼ間違いない。金日成が自分の権力強化に利用するために韓徳銖を使い、韓徳銖もまた金日成の権威を傘に自己の野望を実現しようとしたのである。
総連結成
総連の結成により「民対派」から権力を奪い取った韓徳銖は、帰国事業によって93000余名もの在日同胞を金日成に売り渡す一方、あらゆる虚偽宣伝を行いあたかも自分が差別と貧困からの解放者のごとく振る舞った。そして在日朝鮮人運動の唯一の正統な指導者として君臨するため、上海浪人で後に姻戚となる金炳植を手先に使い、帰国事業の「興奮」を利用して、自己中心の「在日朝鮮人運動史」の捏造にとりかかったのである(勿論、彼の私財の蓄積もここから始まる)。
彼はこうして自己の運動だけを「正統」とし、その他の人々の在日朝鮮人運動をすべて「異端」と決めつけ自己に対する個人崇拝をあおり立てた。これがいかに目に余るものであったかは、その後、朝鮮労働党が1961年8月「8月提綱」なるものをもってこれを痛烈に批判したことからもうかがえる。
「8月提綱」によって総連の実権は韓徳銖批判派に移りかけた。韓徳銖はショックのあまり入院し金炳植は人事部長を解任され「朝鮮問題研究所」に飛ばされた。しかし彼らは、その後の人事部長についた安興甲らが韓徳銖の追い落としを計ったとする報告を金日成に送り権力の奪還に成功する。権力奪還後における韓徳銖の復讐はすさまじいものであった。かれは金炳植を新たに設置した組織部長に据え、29、30回中央委員会で態勢を整え「民対派」撲滅に乗り出したのである。
「金炳植事件」
後に金炳植が韓徳銖に取って代わろうとして起こった1972年の「金炳植事件」(金日成の絶対化をうたった1967年5月25日の非公開教示による金日成崇拝運動を「民対派」撲滅闘争に利用していた韓徳銖が、その突撃隊長であった金炳植に寝首をかかれそうになった事件)は、こうした流れの中で起こったものである。
金炳植は総連内の朝鮮労働党組織である「学習組」を通じて「民対派」だけでなく自分に反対する幹部を徹底的に弾圧した。そして自分に忠実なことが金日成と韓徳銖に忠実なことであるとして総連の主要組織をすべて手中に収め韓徳銖を孤立させたのである。しかし金炳植が韓徳銖の罪名作りのために設置した盗聴器(韓徳銖の自宅)が露見することとなり最後の仕上げ段階で大逆転を喰らうことになる。この時、中央常任委員会(ほとんどが金炳植派となっていた)で、韓徳銖は「自分を帽子だと思っているのか」と激怒したという。
「金炳植事件」は総連結成後の最大の権力闘争であり、韓・金体制による総連の私物化が表面化した事件であった(彼らの組織を私物化する姿は、共和国の人々が飢えに苦しむなかで王様の生活を楽しむ金正日一族の姿と酷似している)。この事件の後、共和国に送還された金炳植は、「南朝鮮研究所」の所長という閑職に追いやられていたのだが、彼が隠匿していた秘密資金100億円(金炳植は1980年代の後半に秘密裏に日本を訪れこの秘密資金を回収していった)を金正日に差し出すことと引き換えに国家副主席に返り咲いた。
「金炳植事件」後、韓徳銖の権威は急速に衰えていった。それとともに彼の金日成親子への盲従はますますひどくなり、恥も外聞もかなぐり捨てた権力への執着があらわになっていく。このことを端的に表した「事件」が1986年の総連第14回大会でのできごとである。この大会で韓徳銖は、金正日によって実権を取り上げらそうになった(世代交代の名目で)のであるが、議事進行中にそれを察知した彼は突如討論者をおしのけ壇上に立ち「私が議長だ」と叫んだのである。
この事件以降、自己の地位に不安を感じた韓徳銖は金日成親子に対する私的献金にもいっそう精を出すことになる。その資金の捻出のため金正日に媚びることしか能のない財政担当の許宗萬に数百億の資金調達を頼み込んだといわれているが、ここから韓徳銖は好きでもない許宗萬に実権を譲り渡していくことになる。権力に盲執する韓徳銖は在日同胞にその負の遺産を残したままこの世を去った。彼の犯罪が裁かれるのはこれからである。
最後に私自身ある時期まで韓徳銖の犯罪に加担していたことを厳しく自己批判するとともに、その贖罪のためにも今なお総連を私物化している金正日とその盲従分子許宗萬一派に対する闘いを引き続き行なっていく所存である。
支部だより
<関西支部>
関西支部事務局会議報告 関西支部事務局体制が発足
6月15日夜に関西支部の事務局会議が6人の参加で行われました。この事務局会議は4月の守る会の総会を受けて、山田文明氏が守る会事務局長就任にともない関西支部の今後の運営等に関して行いました。
最初、山田事務局長より、守る会総会以降の経過報告と会費納入状況の報告がありました。6月4日に、金幸一氏を原告として朝鮮総連を帰国事業の責任を訴えた訴訟の報告がありました。第1回公判が7月27日金曜日に東京地裁で行われます。関西支部としては、翌28日に関西支部の報告集会を持つ(下欄参照)。これからの関西支部の講座の内容では、2、3人の講師に当たっているところである。以上の報告などを受けて今後の活動について検討しました。
「カルメギHP」多言語版の模索と諸行事への取組を検討
機関紙「かるめぎ」のハングル版、英語版を「カルメギ」ホームページにリンクさせるかたちで協力しておこなっていく。具体的には窪田氏が中心になり会員のなかから協力を得て作成していくことを決めました。映画「チョンリマ」を見に行く。詳細は未定です。9月1、2日に1泊の予定で秋の行事を取り組みます。そして、秋のイベントを開催します。関西支部のセンターを山田医院旧館を使用させてもらい、週3日ぐらいは人も配置してセンターとしていきます。次回の事務局会議を7月13日におこなうことなどを決め漸次的に懇親に入り、さらに話し合いました。
途中より、金国雄さんの飛び入り参加もあり、金国雄守る会事務局次長の今後の抱負など熱意あふれる発言を受けてさらに討議を深めていきました。
これに先だって、5月31日の萩原遼氏の渡米壮行会を兼ねた会合で関西支部の今後の運営を話し合いました。10人あまりの運営委員を決めて、運営委員会を定期的に行っていくことを決めました。また関西支部の事務局長代理に山口修さん、事務局次長窪田和夫さん、坂元正三さん、浅野正光の4人が互選されました。今後、関西支部講座などの機会で会員のみなさんに紹介し、推し量っていきます。併せて報告します。
<浅野正光・関西支部>
被告となった 朝鮮総連!! 第17回 関西支部講座のご案内
原告 金幸一さんの主張と被告の対応
法廷からの報告
講師 藤森克美弁護士 原告 金幸一さん
日 時 2001年 7月28日(土) 午後1時30分~5時
場 所 大阪経済大学 E館 E41会議室 大阪市東淀川区大隈2-2-8
大阪市バス 井高野車庫行き(大阪駅前、扇町、天神橋筋五丁目、天神橋筋六丁目などで乗車できます。) 大阪経大前下車すぐ。 または、阪急京都線 上新庄駅下車 徒歩10分。
<東海支部>
東海支部第2回学習会&懇親会
6月3日(日)、夏のような日差しの午後、事務局長、金国雄さん宅に会員を含め8名が集まり東海支部学習会と懇親会が行なわれました。
最初に「戻らぬ船」を皆で鑑賞、帰国船の実写映像や当時の状況、帰国事業により日朝間での離散家族化された人たちの問題を取り上げたビデオでした。先の見えない状況の中で親族・身内の人々を案じる姿を見て、「金正日一人がいなくなれば、こんな思いをする人もいなくなるだろうに・・・」と素人考えながら思いました。
そして東海支部資料調査委員の梅村さんを講師に帰国事業が始まるまでの経緯について皆で学習し討論をおこないましたが、その話の中でも1954年ごろから帰国事業の準備が進行していって、56年には47名の人が北への帰国を希望、実際に帰っているのを聞いて、その頃から北への憧れを持つ人がいたことに驚きました。
オモニの体験を語る
その後、金国雄さんのオモニのお手製の朝鮮料理を味わいながら懇親会を行ないましたが、オモニの話の中にも帰国する親戚を見送りに新潟に行った時、帰国船が出るまで、あてがわれた宿舎に滞在する日本人妻が最後の最後まで北へ行くことを迷った末に結局、「子供とはなればなれになるわけにはいかない」との思いから帰国船に乗船していった事を話してくれました。
よく、「好きで北へ行ったのだから、何故に助けなければならないのか?」と言う人もいますが、家族の幸せを求めた親やなんら分別もつかない子供も親に付いて行ったということです。また家族の絆のため、苦渋の選択をし、北に渡った人も大勢おり、その中には日本人妻・夫も当然の如くいたということです。いまはその人たちのためにも北の民主化、自由往来の実現を願わずにはいられません。
金幸一さんも参加
また今回、訴訟のために来日されたソウル在住の金幸一さんにも加わっていただき、38度線を越えたときの話や北朝鮮へ帰国した当時の事などをお聞きしました。金幸一さんは、金日成総合大学、果てはモスクワ大学まで行けて、教育費はタダと聞いて帰国を決意したのですが、いざ行ってみたら工場に連れて行かれ労働で勉強どころではなかった。
「これ以上、在日同胞を北朝鮮に送ってはならない」との思いから、38度線を越える決意をしたそうです。韓国への脱出後も長らく日本行きが認められず、ソウルで生活されてきたのですが、日本に住むお母さんに北の実情を伝えたことによりお母さんによって身近な在日の人びとの中には帰国を思いとどまった人もいたという事でした。
しかしお母さんは、その事を良く思わない総連からずいぶん迫害されたそうですが少数であっても「地上の地獄」に行かずにすんだ人たちがいたことを知り心からよかったと思いました。
そうこうしているうちに時間も遅くなり、次回の親睦会の約束し閉会しました。
<ジャンボ・東海支部>
会費納入と訴訟支援カンパのお願い
前号の「かるめぎ38号」をお送りしたときに会費納入のお願いをいたしました。多数の方からカンパを含めてご入金いただきました。厚くお礼申し上げます。
東京の口座と関西の口座のどちらに振り込めばいいのかという疑問を抱かれたかたもいらっしゃると思いますが、どちらに振り込まれても結構です。守る会として一元管理する体制にあります。
昨年度あるいは今年度の会費をまだご入金でない方は、ご都合の良いときにご入金くださいますよう、重ねてお願い申し上げます。
なお、今回の訴訟にあたり、訴訟支援専用の口座を開設いたしました。守る会の東京、あるいは関西の口座に裁判支援であること明記してご入金くださっても結構ですが、下記の口座にご入金いただければ、訴訟支援として入金し、その趣旨で活用させていただきます。
口座名 「守る会訴訟支援」
口座番号 「00920-7-134220」
編集後記
◆ 暑い夏もまもなくですが、会員のみなさん、お変わりありませんか。北朝鮮と朝鮮総連の推進した”帰国事業”が40年後、はじめて裁かれることになりました。今号はそれの特集号として編集しました。藤森弁護士を中心に5人の”特別弁護人”らの力でまとめられた訴状は、”帰国事業”の虚偽性を白日のもとにさらしています。貴重な人生と生命を奪われた帰国者の人権宣言ともいうべき力のこもった内容です。ぜひ読みとおして下さい。山田文明事務局長の文章もこの裁判の意義を簡潔にまとめています。あわせてお読み下さい。
韓徳銖の7つの犯罪をついた洪吉童氏の論文も帰国事業の推進を彼の犯罪性の第一にあげています。本来、在日コリアンの助けあいの組織である朝鮮総連を金父子の私有物のように作りかえたのが朝鮮労働党の在日秘密組織である「学習組」であることが、朴龍鎬氏の講義で明らかにされました。「学習組」の規約は日本で初めて明らかにされるものです。洪氏も朴氏も元総連の中央幹部だった方です。きわめて重要な証言であり、その勇気に敬意を表します。 (萩原 遼)
◆ 教科書問題の大会への北朝鮮代表の入国が拒否され批判された。しかし今の北朝鮮代表に教科書批判ができるのか、という疑問がある。これは逆も言える。「皇国史観」を支持するものに北朝鮮を批判できるのかということだ。このことには東西冷戦の狭間におかれた20世紀の日本の思想風土が反映されている。「金日成は偽物だ」とアフリカの指導者たちに北朝鮮の国連での非承認を説いてまわっていた私の大師匠格にあたる星野芳樹氏(左翼運動のかどで10年近く投獄され、上海やケニアのナイロビで学院を開いていた)は、日本では言論発表の場を失わざるを得なかった。結局、冷戦構造崩壊後の米国主導によるグローバリズムの次は、ナショナリズムにもどるのではなく、国家の枠をこえて世界とつながる「新しい地域主義」にあり、そこでこそ「共生」が試されると思われるのだが。 (佐倉 洋)
◆ 私の住む四国の山村にも鉱山があった。現在は廃坑になったが、昭和40年代くらいまでは良質の銅を産出していた。戦中・戦前は多数の朝鮮人労働者が劣悪な環境で働かせられていたと古老に聞いた。現在でも在日朝鮮人にはまだ住みにくい日本。北朝帰国者や在日朝鮮人の方が日本を祖国と呼んでくれるのはいつだろうか。私はその日がくるのを待っています。私は両手を挙げて彼らを歓迎したい。 (松浦照雄)
◆ 今回から「かるめぎ」のレイアウトを担当することになりました窪田です。いかに読みやすく、親しみのある誌面を作っていくかを考えていますが、発行日までの時間がぎりぎりでなかなか満足できるような誌面になりませんが読者の皆さんの期待に添えるようがんばっていきたいと思っています。 (窪田和夫)
「北朝鮮人権市民大学」第4回講座のお知らせ
「シンポジウム 帰国事業とその責任-対総連訴訟の意味を考える」
藤森克美先生(弁護士)
朴龍鎬先生(元朝鮮総連幹部)
高柳俊男先生(法政大学教授)
日時:7月14日(土)
午後6時15分(6時開場)~9時
場所:文京シビックセンター4F
シルバーセンター実習室
主催:北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
問い合わせ先:TEL 0424-23-3972(小川)
045-592-5396(佐倉)
発行:北朝鮮帰国者のいのち生命と人権を守る会
年会費:5,000円 郵便振替口座 00140-4-718645
裁判支援振替口座 口座名 「守る会訴訟支援」
口座番号 「00920-7-134220」
東京本部 〒100-8691 東京中央郵便局私書箱551号
TEL/FAX(03)5978-3636
関西支部 〒581-0868 大阪府八尾市西山本町7-6-5
(山田文明方) TEL/FAX(0729)90-2887
東海支部 〒488-0044 愛知県尾張旭市南本地ヶ原町2-114
(金 国雄方) TEL/FAX(0561)54-4590
中国・四国支部 〒791-3310 愛媛県喜多郡内子町城廻811-36
(福本正樹方) TEL/FAX(0893)44-3163
*関西支部の住所が変わりました。
カルメギ・ホームページ
http://homepage1.nifty.com/northkorea/ 頒価 200円