絞首刑者に石を投げさせる。それを見て失神する在日朝鮮人女性と投げれなかった在日朝鮮人男性への暴力『北朝鮮脱出地獄の政治犯収容所(上)』

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北朝鮮人権問題

 やがて前の演壇に座っていた所長が立ちあがり、二人の罪名を読みあげ始めた。
「……この二人の者は平素から修正主義の風にひたっていた自由主義分子であり、男女間の風紀を乱し、泥棒行為もした。しかし党は天のように高く、海よりも広く深い恩情をもって彼らを信任し、人民軍38度線部隊に派遣したが、そこで再び南朝鮮の歌や南朝鮮に対する幻想を持ち、唯一思想体系に背く行動をした。そのため革命化区域にまで送られたのであるが、党の配慮を冒涜し、民族反逆の道を歩むようになった。党の懐に抱こうとするときにしたがわず、逆らう者たちに残されたものは仮借のない死だけである……」
 そして「共和国刑法により絞首刑に処する」と最終判決を下した。
 彼らに対する処刑は「銃弾が惜しい」ということと、「視覚的効果を高める」などの理由で初めて絞首刑になったのであった。
 絞首刑を初めて見る人は、かたずをのんで見つめていた。数千にのぼる人びとの呼吸音さえ聞こえるほど、緊張が高まった。水の流れる音が思いがけなく大きく聞こえた。
 死刑囚二名が、保衛員に引き立てられて絞首台にあがった。そして頭に頭巾をかぶせられ、すぐさま首にロープがかけられた。
 二名の保衛員が現われ、白い布で絞首台の前をさえぎった。つばをのみこむ音さえ聞こえるほどまわりは静かであった。沈黙の中で何分経ったことだろうか。
 「一列に整列せよ」
 という声が聞こえた。ようやくのこと、茫然と我を忘れていた人たちが動き始めた。それまでは銃声とか、血が飛びちる現場が見えなかったせいか、彼らが死んだという実感はまったくなかった。しかし絞首台の前をさえぎっていた天幕を取り除くと、状況は一変した。
 まるで二匹の犬を吊るしたように二人の首が虚空にぶら下がっており、その顔は二人とも黒く変色していた。一人はすでに死んでしまったのか、微動だにしなかったが、もう一人はかすかに動いており、ズボンのすそからは小便が垂れ落ちていた。
 それを見た瞬間、私は目まいがしてその場に倒れた。意識と無意識とが行ったり来たりし、黄色い水を吐いてしまった。どれほど時間が経ったことだろうか。少し気分を取り戻した。
 「一班の独身者から、絞首台の前を通過しながらそれぞれの村へ帰る。各自、地面にある石を一つずつ持って、絞首台の前を通るとき、死んだやつらに投げつけろ」
 管理所長みずからが命令した。一班の独身者たちが列を作って二人の前へ進んだが、誰もが命令にしたがって石を投げることができず、その前で立ちどまってしまった。
 「おまえたちも同じ目にあいたいのか。この反逆者に向かって石を投げろ!」
 所長が再び大声で怒鳴りつけた。立ちどまっていた監督が手に持っていた石を二人に投げた。すると驚いたことに、あとから来た人たちも、われもわれもと力いっぱい石を投げるではないか。
 それは、そうしなければ自分も災難にあうかもしれないという必死の生存本能が、理性や人間性まで抹殺してしまう、凄惨な光景であった。
 ある人はわざと保衛員たちに近づいて大きな石を投げ、
 「民族反逆者を打倒せよ!」
 と叫んだりした。
 ぶら下がった死体の顔の皮が破れ、どす黒い血が流れ落ちた。どれほど石をぶつけられたのか、肉片がそげて白い骨が現われた部分もあった。死体の下に石が小山のように積もった。帰国同胞の娘や女性たちは口から泡をふいて卒倒した。
 私たちは保衛員の命令で、倒れた人たちを横へかついで移動させだ。とうとう帰国同胞者の順番になった。
 十班僑胞村の責任者の韓晟民ハンソンミンさんがあきらめて石を投げた。彼はもともと近視だったが眼鏡をかけておらず、よく見えなかったのか、とんでもないほうへ石が飛んだ。
 私も死刑囚を狙うふりをしながら、かけ離れたところへ投げた。
 そんな渦中でまた事件が起こった。日本から帰国してまもない成信煕ソンシンヒ兄さんが、顔をそむけたまま石を投げず、そのまま通りすぎようとしたのである。保衛員がそれを見逃すはずはなかった。保衛員たちは成信煕兄さんを押し倒し、こづきながら、
「何をしている。おまえもあんなふうに死にたいのか?」
 と靴で頭を踏みつけた。
すでに縮みあがった人びとは彼の顔が裂け、鮮血が流れても気づかないかのように、そのまま通りすぎた。村に帰る途中、誰一人として言葉を交わす人はいなかった。

北朝鮮脱出〈上〉地獄の政治犯収容所 (文春文庫)』 P206-209

※文中の漢字は正確かは不明。十班僑胞村の責任者の韓晟民さんは、大阪朝高の元校長先生 韓鶴洙さんの長男韓星民ではないかと言われている。

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